西瓜の歴史( ´ ▽ ` )ノ | 真奈のスイカ大好き食いしん坊日記

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皆さん、こんばんは[みんな:01]

鼻声のまなぴです[みんな:02]

先週の歴史散歩の番組で、レギュラーから準レギュラーになってしまったので、一週間に一回歴史のブログを書くことになりました[みんな:03]


何を書こうかなぁと思ってたんですが、1番最初は、私が大好きな西瓜の歴史について書くことにしました[みんな:04]

皆さんも、いろいろアドバイスくれて、ありがとうございます[みんな:05]

嬉しいです[みんな:06]

これから、参考にさせていただきます[みんな:08][みんな:09]

と言うことで、第一回目は、西瓜の歴史についてです[みんな:07]

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☆西瓜の歴史☆
 陸揚げされて神田の青物市場(現在は移転し、大田市場)へ向かう西瓜。
この頃の西瓜に縞はありません。
 西瓜は原産地の南アフリカから中国(11~12世紀)、ヨーロッパ(16世紀初頭)、アメリカ(17世紀)と伝わっていきました。
エジプトでは紀元前6000年の昔から農耕と牧畜が始まっており、壁画や絵画に西瓜が描かれています。
中国語では水分が多く、夏出回ることから「水瓜」「夏瓜」ともいわれますが、西域から伝わったため、「西瓜」と呼ばれるようになりました。
日本へは17世紀中期に隠元禅師が中国から持ち帰ったといわれています。

 しかし、鳥羽僧正(1053~1140)の『鳥獣戯画』に西瓜らしい絵が描かれていたり、僧義堂の『空華集』(1359)に西瓜の詩が見られることから、もっと古い時代に伝わって平安朝後期に作られていたのではという見方もあります。

 現在の西瓜は、緑の地に黒い縞模様が一般的ですが、こうした品種が広まったのは、昭和初期以降で、それまでは黒皮、無地皮が一般的でした。
「鉄カブト」とも呼ばれていたそうです。

 『農業全書』(1696)や本草図譜(1828)に西瓜の記述があり、天保年間の絵馬には西瓜の切り売りの様子が描かれていますが、無地皮になっています。
 江戸時代には果肉が赤いのは気味が悪いとされ、あまり食べられなかったものの、明治末期に西洋種(アイスクリーム種)がアメリカから導入されて改良が進み、本格的な西瓜栽培が始まりました。

 昭和初期になると、奈良中心の大和西瓜と関東地方中心の都西瓜の二大品種郡が形成され、いわゆるシマシマ西瓜が出てきました。現在の品種はほとんどが二大品種の血筋です。

 京都大学の木原均先生が種子を作り、1951年に種なし西瓜が登場しましたが、生産面での欠点があったりしていつのまにか消えていってしまいました。

☆薬としてのすいか ☆ 
スイカの果肉の90%以上は水分で、果汁は糖質7.9%と、少量のリンゴ酸やアルギニンを含み、紅色の色素はリコピンとカロチンです。種子には20%の脂肪と50%以上のタンパク質を含み、ほかにフィトステロール、ウレアーゼなどが含まれています。  
江戸時代の農学者、宮崎安貞が著した『農業全書』には、スイカは「味よく暑気をさまし、酒毒を解し、渇きをやめ・・・」と記されています。
スイカは昔から、単に食用としてではなく、体に良いものとして親しまれていました。
現在ではその効能も科学的に分析され、スイカの果汁は薬用として利尿に特別の効果があることが知られています。果汁を濃縮した「スイカ糖」は急性や慢性の腎臓炎に服用され、漢方では、スイカの皮がコレステロールを減少させたり、血管を拡張させたりする薬の材料としても使用されています。
また、弥生時代の遺跡からは炭化した種子が大量に発見されたことから、当時、高タンパクなスイカの種が備蓄食糧として利用されていたのではないかともいわれています。


と言うことで、西瓜の歴史でした[みんな:13]

西瓜にも、長~い歴史がありました[みんな:10]

西瓜は、昔からみんなに愛されていました[みんな:12]
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今年もたくさん西瓜食べたいなぁ[みんな:11]



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