■はじめまして。
Amebaユーザーのみなさん、こんにちは。
今日から、21年間の自分の記憶を少しずつ思い出しながら、ここAmebaに書き残していこうと思います。
■0歳〜5歳(まだ記憶があいまいな頃)
2004年8月生まれ。
地元の保育園に通い始めました。最初は友達の作り方もわからず、一人で過ごすことも多かったと思います。
家は父方の実家で、徒歩1分もかからない距離に同い年のSちゃんが住んでいました。保育園がお休みの日も一緒にブランコに乗ったり、お散歩したりして遊んでいた記憶があります。
ですが、年少〜年中の頃、Sちゃん一家が引っ越してしまい、4〜5歳の頃から会えなくなってしまいました。そのときはとても寂しかったのを覚えています。
また、僕が2〜3歳の頃、父方の祖父と母方の曾祖父が亡くなりました。そのときに僕が言ったという言葉を、最近母から聞きました。
「爺ちゃんが軽トラに乗ってお空に飛んでいった」
「爺ちゃんが屋根の上で手を振ってる」
今思えば不思議というか、ちょっと怖いような話ですね(笑)。
■6歳〜7歳
6歳の頃の記憶は少ないのですが、鮮明に覚えているのが2011年3月11日。
そうです、東日本大震災の日です。
その日の朝、僕は「頭がグラグラする」「体調が悪い」と言って保育園を休み、母と家で過ごしていました。
地震発生の数分前、急に熱が上がり、39℃近くまであったような気がします。
そして14時46分。
突然の大きな揺れ。家の中のものが次々に倒れ、視界が揺れ、恐怖でいっぱいでした。母に抱えられ外へ出ると、地面が割れ、電柱が傾きながら揺れ、カラスの鳴き声が響き渡っていました。まるで時空が歪んだかのような光景でした。
揺れが収まると母は車で弟を迎えに保育園へ。そこでは段ボールが落ち、園児たちの泣き声が響いていました。弟を乗せたあと母は職場(レストラン付き宿泊施設)に直行。そこも食器やガラスが散乱し、混乱していました。
その後ガソリンや生活必需品を買いに行きましたが、ガソリンスタンドは長蛇の列。スーパーも「子どもは危険だから入れない」という対応で、母がひとりで買い出しに行き、僕たちは車で待っていました。母にとっては子どもを車に残すこと自体、すごく不安だったと思います。
夜、家に戻ってからは父や祖母を含めた家族5人で蝋燭を囲んで食事。停電は3日ほど続き、真っ暗な夜が本当に長く感じました。3日目、父が「停電が治ったぞ!」と走って帰ってきたときの喜びは今も忘れません。
この出来事から約1か月後、僕は小学校に入学しましたが、震災の影響で入学式も卒園式も短縮。大切な行事がしっかりできなかったことも印象に残っています。
■今の気持ち
僕たち2004年生まれ(いわゆる“04世代”)は、小さい頃からこうした大きな出来事を経験してきました。
文章だけでどこまで伝わるかわかりませんが、これだけのことを経験しても、今なお未来への不安は消えません。
ここまでが、僕が思い出せる0〜7歳までの記憶です。
これから8〜21歳までの出来事も少しずつAmebaに書いていこうと思います。
うまく文章にできていない部分もあるかもしれませんが、僕なりに頑張って書いていきますので、温かい目で見守っていただけると嬉しいです。

