752 乳房全摘から9年
5月30日は僕が左乳房を失った日・・・って書くと、男のくせに大げさだろうか。今日、あの手術から9年目を迎えた。最悪の病理結果だったにも関わらず今日まで生きながらえ、しかもこれといった不調もなくこの日を迎えられたのは、なぜか当たり前のようでもあり、驚きでもある。この季節・・・新緑の香り、心地よい風、穏やかな気温などを体が感じ始めると、自然と入院していたあのころを懐かしく思い出していたものだが、いつのまにかそんなこともなくなり、当時の怒涛のような検査と治療、そして戸惑いと不安といった記憶が薄れつつある。現在の僕は…。左後頭部の巨大な転移巣を放射線で焼いてからこの1年間は、腫瘍マーカーも基準値内を維持している。仕事は在宅勤務が中心で、部下はおらず、期限も責任もない仕事を与えられ、ストレスはゼロに等しい。昇給と昇進はなくなったが、逆に言えば昇給と昇進を考えなければこれほど幸せな職場環境はないだろう。まったくありがたい限りだ。1日4回の犬のお散歩と読書、そして趣味の観劇や2、3泊程度の旅を時々・・・というのが今の僕の生活だ。強いて悩みを言えばなかなか体重が落ちないってことと、終活が思うように進まないってことくらいで、たいした問題ではない。前にも書いたように新聞をとることもやめちゃったし、心穏やかに自分を見つめ直す時間は格段に増えた。あとはこの時の流れに、少しでも長く身を委ねられることを祈るばかりだ。しかしこの穏やか時間は、僕がステージⅣのがんと引き換えに手に入れた期限付きのものだ。来月の血液検査の結果次第ではすぐに抗がん剤がはじまり、以後、入退院を繰り返すことになるなんてことは常に覚悟している。がん患者の末期がどれほど辛いものなのか、がん患者を9年もやっていると自然に耳に入ってくる。とてもじゃないけど、穏やかに死ねるなんてことはないだろう。だから少しくらい僕が思う理想の時間の使い方を追い求めたとしても、許されるんじゃないかなと思っている。この病気になって9年。脳卒中や心疾患だったら突然死んだり麻痺が残ったりするのだろうけど、がんという病気のいいところは、元気なうちに死の準備ができるってことだ。この9年間、たくさん旅行してたくさん思い出を作ってきた。好きなお芝居も飽きるほど見たし、幼少期を過ごした懐かしい土地にも訪れてたくさん写真を撮ってきた。もうあんまり思い残すことはないかな。あるとすれば、2歳半になるウチのわんこ。最後まで面倒みるのが飼い主としての当然の務めだけど、僕がだめなら妻が、妻がだめならわんこの弟の飼い主さんが引き取ってくれるだろう。ああ、彼との別れはつらいなあ・・・。辛すぎるからあまり考え過ぎないようにしようっと。「最終章」これを宣言してブログを閉じてしまった同病のブロガーがいた。彼女の最後の記事は、「やれることは全てやった・・・」と、運命を受け入れたかのような一種の清々しさを感じさせる文面だったが、子供さんのこと、効きづらくなった治療に襲ってくる痛み・・・文字の間から悲痛な叫びが聞こえてくるようでもあった。実は、彼女とは癌が発覚した年も再発した年も僕と同じだった。同じ病気だから当然同じような治療をしているわけで、親しく交流していたわけではなかったけど、密かに彼女のブログには注目していた。年齢も近く、住んでいるところが近いこともあり、男女の差はあれどいつかお会いしたいなぁって思っていたけど、難しくなってしまった。「次は僕の番だな」彼女のブログを見ながら何度そうつぶやいたことか。。。そして最後にもう一度つぶやいた。「次は僕の番だな」と。