標準治療を受けるのは、なにも難しいことはない。
自由診療ではないちゃんとした病院へ行き、当たり前の検査を受け、当たり前の治療を選択さえすればいいのだ。
そして、そのことと主治医との相性とは関係がない。
僕の主治医である教授先生との相性の悪さは相当なもの(と、僕が一方的にそう思っているだけかも知れないけど)だが、僕は教授先生の治療方針に疑念を抱いたことはない。
いや疑念があったとしても、最終的には教授先生の判断を信じていると言ったほうが正確かもしれない。
なにしろ医学部をご卒業されてから今日まで何十年も勉強してこられ、創薬にも携わり、医学本を出版し、さらには主要な医学会で要職を務め、これまでに何千人という癌の患者を診てきているのである。
僕が数冊の本を読んだり、ネットで見たり聞いたりした知識をもって闘ってみたところで、とてもじゃないけど太刀打ちできるはずがない。
教授先生は絶対的な自信があるからこそ素人のつまらない質問や相談ごとにはまともに答えず、「ただ黙ってワシの言うことさえ聞いてさえおればいいのだ」という態度になるのだろう。
教授先生は親身になって患者に寄り添うようなタイプの医師ではないが、癌患者は医者に何を求めているのだろうか?
愚痴や悩みを聞いてほしい?優しさがほしい?治療の辛さを分かってほしい?
僕の教授先生は、患者が期待するような甘えには一切応えてくれない。
癌治療が目覚ましい進歩を遂げているとはいうものの、この病気はまだまだ完治が難しく、解明されていないことがたくさんあることは教授先生が一番よく分かっている。
ましてや僕は男性乳がんのステージⅣで、女性に比べれば闘う武器だって限りがある。
僕の治療の中で一番優先しなければいけないことは、ケモで永久に失った髪の毛を増やすことでも、体に30キロくらいのおもりをつけられたような倦怠感でも、死なない程度の痛みを解消することではない。
じわじわとブラックホールに引きずり込まれるような嫌な感覚と、突然涙があふれて嗚咽するようなうつ状態を解消することでもない。
まずは「延命」であり、延命はQOLよりも優先する。
死んだら元も子もないじゃないか・・・と言われたわけではないが、教授先生は僕の命に関わること以外の些細な症状については、あまり関心がないように思える。
漢方薬すら処方してくれない。
そんな教授先生から僕が離れない理由はただ一つ。
正しい治療を受けたいからであって、彼の患者であれば間違いなくそれが叶えられると思うからだ。
「最高のがん治療」の共著者である大須賀覚先生はツイッターでこう述べていた。
「医者と患者の関係は、人と人との関係ですから常にうまくいくとは限りません。良い関係を築くには時間がかかるもの。時には不信感を抱いたりもする。
そんな時にはセカンドオピニオンなどで他の医者の意見を聞いたりして欲しいと思います。不正確な情報から答えを探すと情報の海に溺れてしまいます。
『医者は信用できないから自分で調べて解決する』これは危ない考え方。
ネット/書籍で正確な医療情報にあたる可能性は低く、むしろ怪しい医療にハマることが多い。
『ある医者と上手くいかない場合は、他の医者に相談する』これが大事。
医療は専門性が高く、専門家の意見を重視するのが極めて大事です。
(中略)
皆さんが思っている以上に、ネットには正確な医療情報が少ないです。」
と。
リングの上で、癌と闘っているのは医者ではなく患者自身なのだ。
ラウンドとラウンドの間の1分間のインターバルの中で、傷つき、疲れ切ってよろよろとコーナーに戻ってきたファイターの出血を止め、氷で体を冷やし、足をマッサージし、次のラウンドに向けてまた闘えるように体を整えてくれる。
そしてこれまでの闘い方を冷静に分析し、強大な敵に勝つための戦略的アドバイスをしてくれる。
勝たせることがコーチの仕事なのに、闘っている選手自身が「コーチが寄り添ってくれない」とか、「優しくない」とか、「痛い、辛い、しんどい、もうやだ」・・・なんて愚痴を言えばコーチはどう思うだろうか?
これまでに何百人もの選手を育て、豊富な試合経験から適切にアドバイスをしているのに、選手が自分の言うことをまるで聞かず、それどころか本人が「良い!」と思ったことを勝手に進めるような選手だったらどうするだろうか?
「それじゃ、勝手にすればいい!オレはもうコーチを下りる!」
・・・と、僕だったらそう言うだろうな。
世の中の代替医療をうたう医療者たちは、そんな患者の甘えた心の隙間にそっと入り込んでくる。
満身創痍でフラフラになってコーナーに戻ってくると、1分どころか何分でも心ゆくまでインターバルを取ってくれて、選手の愚痴をありったけ聞いてくれる。
「今までよくがんばってきたね。これは好転反応と言ってね、あとはもう良くなるだけしかないんだから・・・」と、心が折れかけている選手を優しい言葉で励ましてくれる。
出血にはなんでもよく効く魔法の軟膏なるものを塗り、「これを飲めば元気になるよ」と不思議な水を含ませられると、なんだか体の奥底から新たな力が湧いてくるような気がしてくる。
コーチの言葉を信じてまたよろよろとリンクの中央に向かうけど、しょせん全てはおまじない。
強大な敵の攻撃にやがて力尽き、とうとうリングのど真ん中に大の字になって倒れ込んだ。
薄れゆく意識の中で考えていたことと言えば、
(コーチは悪くない。私の頑張りが足りなかっただけなのだ・・・、頑張りが足りなかっただけなのだ・・・)
という、お人好しな自己反省だ。
そんな選手の健気な気持ちはもう届かない。
(もうこいつはだめだな・・・)と見るや否や、コーチは法外な値で売りつけて稼いだお金を握りしめて、そっとリングから離れていく。
リングの上で力尽きた選手から訴えられることもなく、周囲から魔法の軟膏や不思議な水の真偽を問い詰められても、「いやいや、わしは心の底からその効用を信じておるのだ」・・・と言えば、詐欺に問われることもない。
(何としてもこの試合に勝ちたいから・・・)と、全幅の信頼を寄せて頼ってきた選手を商売上のカモとしか見ず、旨味がなくなれば簡単に見捨て、人の生死にはまるっきり無関心なコーチには心から憤りを感じる。
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このブログで散々愚痴ってきた教授先生だが、彼の仕事は是が非でも僕を勝たせることにある。
ステージⅣであるが故にKO勝ちは望めなくても最後のラウンドまで僕をリングに立たせ、せめて判定までは持ち込みたいと思っているはずだ。
時には刀が折れて矢が尽きてしまい、ホントにKOされる前にタオルを投げこんで闘いを止めるという厳しい判断を迫られることだってあるだろう。
転院して主治医を変えたいと思ったほど大嫌いな教授先生だが、悩み、考え抜いたからこそ医師の使命と責任の重さに気づいたのかも知れない。
僕は主治医が教授先生で良かったと・・・。
いやぁ、それはまだ今の時点では言えない(笑)
(続く)