この数十年のがん治療に対する研究成果は、如実に生存率に現れてきている。
腫瘍内科医の勝俣先生のツイッターによれば、1997年・・・というと今から23年前になるが、その頃は、
○ 標準治療の概念も乏しく、ガイドラインさえなかった。
○ がんの標準治療について正しく書かれているものを作りたくて、「がん診療レジデントマニュアル」の初版を発行した。
<これは最新の第8版>
○ この頃の抗がん剤は61個だったが、現在は150個を超えている。
○ 当時は脳腫瘍、悪性黒色腫、腎がん、膵がん、肝がん、甲状腺がんは治療方法がなく、これらのがん種の抗がん剤は臨床試験でしか使えなかった。
○ 強烈な吐き気を強烈に抑えてくれるイメンドもなく、外来でケモをやるのが大変だった。
・・・という時代だったらしい。
あの時代の癌治療は、吐き気や脱毛といった過酷な副作用のあるきつい抗がん剤を使い、がん患者はだんだん食事も満足にとることができなくなり、最後は凄まじい様相で人生を終える・・・といったイメージから、「癌」という単語は口にするのも忌まわしい言葉だった。
しかしこの20数年間で急激に医療技術が進み、生存率は大幅に改善し、QOLという言葉も一般的になってきた。
抗がん剤の強い副作用を強力に抑制し、終末期を楽に迎えられるような薬の使用も増えてきた。
だから20数年前のイメージを今日までずっと引きずって標準治療を受けない・・・という選択をする癌患者がいるのは非常に残念なことだ。
「ナショナルジオグラフィック」によれば、約170万年前のヒトの人骨から骨肉腫が発見されたそうだ。
よく「自然由来のもので癌を治す」・・・なんて言う怪しいサプリメントを売りつける会社の広告文句を目にするが、
「古人類のように簡素な食事をし、汚染されていない環境で暮らしていても、がんになることはあったのです。どのような生活様式を選択しても、がんをなくすことはできません。私たち自身の中にがんの古い芽があるからです」
というこの論文の一説を信じれば、世に出回っている民間療法のほとんどはインチキだと言わざるを得なくなってくる。
160万年前から今日に至るまで癌は多くの犠牲者と悲しみを生んできたが、反面、癌の発生メカニズムや治療法を巡り、世界中の優秀な研究者や医師によって何千年と研究されてきた。
世界中の英知を集め、長年に渡って蓄積されてきた研究を基に、最高かつ最善の治療をこの日本で受けることができるというのはとんでもなく幸せなことだ。
その治療法は、言うまでもなく「標準治療」である。
医療費を3割負担するだけで世界最高の標準治療を受けられるにも関わらず、それを拒否し、安全性や効果が確立されていない自由診療や民間療法に頼るというのは「思い上がった患者の姿」ではないだろうか?
かつて僕が受けたセカンドオピニオンで、代替療法について質問した二人の医師の答えが忘れられない。
一人の医師は、
「僕の家族に代替療法という人体実験をしようとは思いません」
と言い、もう一人の医師は、
「代替療法はおまじないのようなものです。効くと思えば効く・・・そんなものです」
と言っていた。
この時は我が意を得た回答に、「やっぱりな・・・」と、かつて代替医療を僕に勧めた妻の顔を見てドヤ顔する程度だったが、代替療法のことを知れば知るほどこの二人の先生の言葉の重みが分かるようになってきた。
しかし、代替療法に取りつかれた方たちをあながち「バカなやつらだ・・・」とも笑えない。
以前に米原万理さんの「打ちのめされるようなすごい本」の読書感想をここでご紹介したことがあったけど、米原万理さんのようなロシア語がペラペラの超知的な作家さんでさえも標準治療を避けてしまったのだから。
この本には、彼女が興味を持った標準治療以外の数々の療法が紹介されている。
彼女を知る者は、「米原万理よ、もういい加減にしないか。つまらぬ療法に関わらずに思い切ってメスで切ってしまえ」と叫びたくなった・・・というのに、彼女は最後まで標準治療を受けずにお亡くなりになった。
癌を宣告されてから自身で200冊の本を読み込み、医師の言いなりにはならず、自分が納得するまで結論を出さなかった。
以下、「打ちのめされるようなすごい本」での彼女のつぶやきである。
「ああ、私が10人いれば、すべての療法を試してみるのに」
「(癌を扱った本の)圧倒的多数は、サプリメントや健康食品を売りつけるのが目的のあからさまな宣伝本で説得力0」
「(代替医療商品は)人の弱みにつけ込んだ犯罪的な(値段の)高さ」
「金儲け一辺倒が空けて見える」
「藁をも掴みたい癌患者の弱みに付け込んで犯罪的に高価であったが、再発によってまったく無効であることを確認できた」
行った先々の病院やらクリニックなどで、自分が納得するまで質問や意見をぶつけるものだから、
「貴女には向かない治療法だから、もう来るな。払った費用は全部返す」
「治療にいちゃもんをつける患者は初めてだ。」
と、代替医療や民間療法の先生たちとも相当バトっていたようだ。
彼女の場合は才女であるがゆえの知的好奇心、行動力、意思の強さ、そして財力までが裏目に出たのだろう。
彼女は命を懸けて自分が納得できる治療法を模索し続けたが、2003年10月に卵巣がん見つかってから3年後、2006年6月25日にこの世を去った。
まだ56歳だった。
(続く)