例年ならこの時期の僕は仕事に忙殺されていてブログの更新もままならないのだが、過去記事に書いたとおり、2019年4月から部下のいない一人部署を担当することになったので、定時に帰り、暦通りの休日をいただいている。

なんともいい会社ではないか。
僕の直属の上司は別の場所にいるので僕の行動についてとやかくいう人はおらず、部下がいないので模範的な勤務態度を示す必要もない。
休んでも、遅刻しても、直行しても、直帰しても、だれも僕を気にする人はいない。
やらなければいけない仕事はあるけど、ほとんどが締め切りのないものばかりなので僕にとっては暇つぶしの範疇。
やろうと思えばブログの更新だって思いのままだ。
(もっとも会社のPCにはセキュリティがかかっているので、厳密に言えば思いのままではないけど、下書きくらいはできる。)
しかも給料は前と同じとなると、あれだけ忙しくしていたのは一体なんだったんだ・・・と疑いたくなってくる。
(但し、高額療養費の区分の関係で僕の希望で給料を下げてもらい、以後の昇給を凍結してもらっている。)

そんなとっても素敵な職場環境なのに、先日、僕は上司に不満をぶつけてしまった。
要約すれば、

「なんでもやるし、どこにでも行くと言ってるのだから、みんなから頼りにされるような仕事をやらせてくれ・・・」

と。
電話だったけどこの半年間のうっ憤が噴出してしまい、僕の剣幕に驚いた上司が慌ててやってきた。
とは言っても電話から1週間後のことだったので、僕はそれまでに十分頭を冷やす時間があった。


思い返せば病院から重労働禁止の診断書が出て、いつ死ぬか分からないのでこれからは重要案件を担当することはできない・・・と言ったのは僕のほうだった。
そんな僕にこれまでと同じ給料を支払いながら、体力的にも精神的にもうんと負担の少ない一人部署に配置替えをしてくれたことを、僕はすっかり忘れていた。

うっ憤を晴らすどころか、感謝しなければならないほどだ。
わざわざ遠方からやってきてくれた上司に、僕は陳謝した。
「ごめんなさい、血迷いました」・・・と。


というわけで改心した僕は、この素敵な職場環境を心の底から納得して受け入れた。
もちろんいい歳をした社会人だし、幹部職員であることは以前と変わらないので、いくらできるからと言っても直行直帰や遅刻、早退をするわけはない。
あくまで無理のない範囲で、これまでと比べて余裕のある勤務をさせていただいている。

気の毒なのは僕の次席だった課長で、僕が担当していた仕事の全てを彼がかぶることになった。
親友でもありライバルでもあった彼は僕に弱気なところを一切見せないが、人伝えによると何度も徹夜を繰り返し、残業の多さを会社から指摘されているそうだ。

しかも管理職だから一切残業代は出ない。
彼は僕と違ってがんばり屋さんだから、この苦労が将来の出世=給料のアップにつながると信じている。
僕は彼の奥さんのこともよく知っていて、奥さんは彼に「責任の少ない、余裕のある仕事」を希望していると聞いているが、ホント、体には気を付けて、奥さんと子供を大事にしてほしいなぁって心から思っている。
第一線から戦線離脱した僕が何を言っても反感を招くだろうし、でしゃばって手伝いを申し出てもやりにくいと思うから静観しているけど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
隣のデスクで遅くまで残業する彼を尻目に、僕は定時になると「お先ー」と言って退社するのだ。
この4月までは部下が退社するまで一緒になって残業していたので、最近はそんな挨拶すら心苦しくなり、黙って退社することも多くなった。

僕の妻は、
「せっかく一人でがんばってここまでの組織を作って、この地位にまで昇りつめておきながらそれをみすみす次席の課長に譲るなんて・・・」
という不満を持っているようだが仕方があるまい。
ステージⅣのがん患者が責任ある仕事をがんばることで、かえって周りに迷惑をかけることだってある。
この年齢で引き際を考えるようになるなんて夢にも思わなかったけど、惜しまれるうちが花だ。
それに・・・、負け惜しみではないけど、この仕事を25年間ずっと続けてきたが全くと言っていいほど未練がない。
業界にも全社的にも名前が売れ、ものすごく苦労して組織の土台を作ってきた。
夢半ばだったら未練も残るけど、後任の課長にはなんとか完成品を手渡すことができた。
あとは彼の色に染め、もっと素晴らしいものに仕上げてくれればいい。

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さて、長々と前説を書いたことでお分かりだと思うが、診察日だったけどなにも書くことがなかったのだ。
仕事のストレスが減り、ジムにも順調に通えているせいか、心身ともにすこぶる調子がいい。
新しいホルモン療法はもっと体重が増えるぞって教授先生に脅かされていたが、この3か月で-13㎏を達成した。
血圧も血液検査も特筆することはなく、強いて言うなら貧血気味であるということくらいで、CEAに至っては6.5というこの3年間でもっとも低い数値が出た。
CEAは再発が分かってからというもの一度も正常値(5.0)に戻ったことがないが、このまま癌を消し去って正常値に戻れーっとつい欲が出る。
<グラフ>



調子のよい時ほど手綱を締めよ・・・と考えるのが、僕のビビリである所以だ。
こんな時でも素直に喜ばず、常に最悪のことを考えて心の備えを作っておくことでこれまでも心の動揺を抑えてきた。
そこで、今のフェソロデックス+イブランス療法はどのくらいの期間効果があるものなのかを調べてみた。

調べてみると、無増悪生存期間(PFS)の中央値は13.6か月らしい。(出典:日本がん対策図鑑
中央値なのでこれよりも短い人もいるし長い人もいるが、僕は2019年6月25日から始めたので、順当にいけば来年の8月くらいまでは安心できるのではないだろうか。
その次の治療はこうなるんじゃないかなって思うものはあるけど、さすがにそれは今考えなくてもいいだろう。

次回の診察日は教授先生の都合が悪いようで、3週間後となった。
4週間後ではなく、3週間後にまた注射を打つんだと思うと、なんだか1週間損したような気になってくる。
12月の診察はこれで終わりなのか、それとももう1回あるのか気になるところだけど、それにしても1年が経つのは早いねぇ。

こうして元気にいられる時間に感謝!・・・だね。