多くの会社がそうであるように、我が社も4月から新しい会計年度が始まった。
新たに迎え入れる人、去り行く人、昇進する人、異動する人・・・さまざまな人が行き交う時期でもある。
そして今回は僕もその中の一人で、「去り行く人」・・・となった。

今年の5月30日で僕は術後5年目を迎えることになるが、ステージⅣの5年生存率は37.8%(国立がん研究センター 2018年9月12日発表データ)と、これからあまりうれしくないところへ足を踏み入れることになる。
これまで大きなプロジェクトを一人で担当して数々の成功を収めてきた僕は、上層部や顧客に可愛がられながら今の幹部職という地位を手に入れた。

しかし、術後5年目といういつ死んでもおかしくない節目に到達した以上、最悪のことを考えておかなければいけなくなった。
皮肉にも僕の仕事はリスクマネージャーなのだ。


この1年の間、仕事と徐々に増す体調不良のリスクに葛藤し続けてきたのだが、いつまでも隠しておくわけにもいかず、とうとう今年に入ってすぐ、今の病状を会社の上層部と相談することにした。
そして話し合いの結果、僕は4月1日付で約25年間続けてきたこの職を手放すことに決めたのだった。
癌という病気は、悪くなり始めると坂を転がり落ちるように一気に悪化すると聞く。
主治医である教授先生だって、「月単位で急変する可能性がある」と言っているのだ。
もちろんこの話も会社には伝えたし、教授先生が書いてくれた「重作業禁止の診断書」も提出してある。

僕は決して重要人物ではないが、僕しか分からないような大きなプロジェクトを遂行中に倒れるようなことになると、顧客はおろか、世間の皆様にも大変な迷惑をかけることになり、場合によれば新聞沙汰になることだってあり得る。
そんなことは断じて避けなければならず、そんな可能性すら検討しなければならなくなったのなら、僕はもうこの仕事を担当する資格はない。
簡単に代わりが見つかるような仕事ではないのだ。


1か月ほど前、僕が第1線から外れることを部下に話した。
僕が5年前に癌の手術を受けたことを知っている面々だが、これまで病状について話をしたことがなかったのでみんな一様に驚いた顔をしていた。
しかしそれもほんの一瞬のことで、皆の関心は次の体制のことに移り、その次には僕のレンタカーのカードやコピーカードといった貸与品の返却など、事務手続きを進めたがった。
そこにはこの部署を創設し、これまで粉骨砕身してみんなを守ってきた者に対するリスペクトは全く感じられなかった。
送別会をやろうなんて気は、微塵も考えていないだろう。
ははは、僕の人望の薄っぺらさと人の世の冷たさには全く情けなってくる。
世間の癌患者への理解なんてこんなもので、確かに国として制度を推進していくことも大切だけど、人として根本的な何かが欠けている中では折角の制度だって片手落ちだ。
そういう僕だってたまたま癌患者になったからこう思うだけで、決して偉そうなことは言えないのだけどね。


ステージⅣのがん患者が仕事を続けるのって、想像以上に難しい。
病院のがん相談室の前においてあるパンフには、仕事を続けるがん患者たちの素晴らしい体験談が載っているけど、そんなものはほんの表面的なもので全く本質をついていない。


そして迎えた4月1日。
後任の課長への引継ぎやお客さんへのご挨拶を済ませると、本当に寂しさを感じる時間がやってきた。
これまで僕のところへ相談しにきていた人が僕の目の前で後任の課長に相談しているのを目の当たりにすると、僕はもうどんな表情をしていいのか分からなくなった。
これまで僕のところに決済を求めにきていたことを、後任の課長がハンコを押す。
僕のかつての部下たちが、僕抜きで物事を決めていく。
僕への電話が鳴らなくなった。
僕の目を見て話す人がいなくなった。
僕はこの広いオフィスの中で、まるで自分が空気か透明人間のようになってしまったような気がした。

老兵は死なず、単に消え去るのみ。
・・・そんな言葉が身に沁みる。

建設家だったら死んでも立派な建物が残って後世まで称えられることもあるだろうが、僕に残っているのはつまらない自負心のみだ。
僕がこの部署を作ったんだ。
僕がこの仕事の基礎を作ったんだ。
僕がこの仕事を取ってきたんだ。
・・・そうでも考えなきゃ、僕がこの25年間心血注いだ仕事が、この後任の課長にの全部強奪された気になってくる。
病気になったことが不幸なのではなく、病気に負けることが不幸なのである。
そんな言葉を何度もつぶやいて自分を奮い立たせてきたが、僕はついに病気に負け、仕事を奪われてしまった。

 

会社は僕のために、わざわざ僕一人だけの部署を新設してくれた。
僕の会社は大きな会社で部下がいない幹部職員なんて一人もいないけど、僕が初めての例外になるようだ。
ここでの仕事をどう進めていくかは自分で考えなければならない。

が、僕が新しい仕事をどんなにがんばったとしてももうこれ以上昇進することはないし、ひょっとすると定期昇給だってなくなるかもしれない。
世間には癌になったことで仕事を取り上げられたり、減給になったり、中にはクビになったりする話もよく聞くが、そうならなかっただけでも感謝すべきなのかもしれない。

 

僕は決して野心家ではないが、これから先、昇進も昇給も望めず、僕を頼りにする客や同僚がいなくなるってことが、こんなにも労働意欲を失くすなんて思いもよらなかった。

もう仕事なんて…、どうなったっていいや…。

 

自宅に帰ると涙がダラダラと止まらなくなったが、これは明らかに花粉症だけのものではない。
もう断薬できたと思っていたデパスを薬箱の奥から引っ張り出してきて久々に1錠を口に含んだが、あまりいい心の状態ではない。
しばらくまた抗不安薬のお世話になることになるだろう。

 

これから何を生きがいにすればいいのかまだ心の整理がつかず、日々メソメソして過ごしている。
元号が新しくなったと同時に、僕にも新しいピリオドが始まったようだ。

 

さよなら、僕の人生の大半を費やした仕事よ。
さよなら、僕と関わった人たちよ。
さよなら、僕に癌を植えつけた平成の世よ。
さよなら…。

もう、全部さようなら。