無力症、疲労、倦怠、虚脱、運動不耐、活力低下、脱力・・・等々、今の自分を表現する言葉を探すと、全てがあてはまりそうな気がする。

「疲れ」・・・は、昨日今日始まったものではないが、ここ最近の自分自身の生活態度を考えると、(ここまでひどかっただろうか・・・)と、自己嫌悪に陥るほどだ。
なにしろ何か一つのことをするとすぐに疲れちゃう。
休憩を挟まなければ次のことができないのだ。

平日はもちろん会社があるのだけど、元気があるのは午前中だけ。
お昼休みは省エネで強制消灯されることをいいことに、食事を済ませると自席でうとうと・・・っていうか、自分のいびきで目が覚めるほどの眠りに落ちてしまう。

時間にして20分ほどだが、午後を乗り切るためには必要な昼寝になっている。
しかし夕方になってくると昼寝の効果も消失し、体も脳も疲れて作業に集中することができない。
会社の周りをぐるっと散歩して気分転換を図るが、もう18:00の退勤が待ちどおしくて仕方がない。


会社からの帰り道ではもうぐったりなので、特急ではなく、時間はかかるけど座ることができる各駅停車にわざわざ乗って帰る。
自宅に帰るとやりたいことはあってもとりあえず休憩~居眠り。
深夜近くになってから目が覚め、やらねばならぬことを片付けて夜中の2時くらいに眠る。
この繰り返しだ。

土日は出かけるときは別だけど、朝起きてやらなきゃいけないことをやって昼食を食べる。
しばらくすると眠気が襲ってくるので、そのまま抗わなければ2、3時間昼寝する。
そうするともう18時前になり、それから活動してやはり就寝は2時くらいとなる。

「でも、やらなきゃいけないことは
なんだかんだ言ってやれてるじゃん?」って思われるかもしれないがそうではない。

何しろ一つ終われば、休憩を挟まないと次のことができないのだから。
30分から1時間ほどスマホをみたり、テレビをみたり、雑誌を読んだり・・・。

だから本当にやりたいことの10分の1もできていない。

まさに目が覚めると起きて、飯を食って、寝る。
まるで動物だね。
なんで人間に生まれてきたのか分からない・・・。
こんな自分が泣きたくなるほどに悔しく、毎日の自分が嫌になる。
残された時間は有限なのに。

妻はそんな僕を見ても何も言わない。
イライラすることもなく、洗濯も掃除も炊事も、全てが自分の仕事であるかのように黙々とやっている。
「申し訳ないなぁ」と思いながらも、ソファに座り続けることしかできない僕の心は虚ろだ。
いっそのこと「この怠け者めー」っって罵ってくれるほうが気が楽になるかもしれないが、そうなるときっと僕の居場所はなくなるだろうね。
多分、毎日健康ランドへ行くようになると思う。

僕が考える疲れの原因は、
○ 加齢
50歳近くもなれば、若い時のように体が動かなくなるのも当然だろう。
○ ホルモン療法、ランマーク
ランマークはともかく、ホルモンをコントロールするというのは心身共に不調が出やすい。

ケモのような激しい副作用はないけれど、地味にじわじわっと体にしみ込むような副作用は、ひょっとするとケモ以上かも知れない。

○ 腫瘍ちゃん
正常細胞を悪性化する・・・、逆に傷ついた細胞を正常化する・・・、こういうことに莫大なエネルギーが使われるので癌患者は
疲れやすいという説を聞いたことがある。

この3つが原因だろうと、自分の中では思っている。
が、人によっては、
○ どこまでも楽したい
○ だらだら過ごしたい
○ 面倒なことはいやだ
という人がいることも知っている。

僕はそんな人間ではない・・・って信じたいけど、術後薬物療法のECとパクリタキセルの時に、怠け者の薬まで体内に流し込まれてしまったのかもしれないな。
つまり、単に怠けているだけだと。。。
その証拠に、やむに已まれなかった事情はあったものの、昨年10月には徹夜も含めて140時間も残業したじゃん。
やればできるのにやらないのは即ち怠け者。。。と自分を責めたりする。

現代医学でも、病的疲労というのは目に見えず、軽重も分からず、原因さえもはっきり分からないだけに「怠け者」の烙印を押されやすい。
しかも疲労に聞く薬って・・・それこそ覚せい剤か、違法ではなくても昔流行った「リタリン」くらいしかないと聞くが、そんな依存性の高い薬なんて飲みたくない。
まさに魂と引き換えに生命力を得る悪魔の薬だ。
教授先生に相談したところで、専門外のことにはまるで興味がないから、「わしだって疲れとるよ」の一言で一蹴されちゃうのだろううね。

 

なんにせよ、こういう「怠け者病」ってのはだれからも理解されず、尊敬だってされない。