もともと僕はベジタリアンに興味があって、学生時代は一人暮らしであることをいいことに、一時期は肉を断った生活を送って体の変化を楽しんでいたこともあった。
しかしベジタリアンは肉を食べないという強力な意思と、家族の協力がなければ続かない。
学校を出てからは母親の作る料理に肉を抜いてくれとも言えず、いつしかベジタリアンの道からは遠のいていった。

病気になる前に、「粗食のすすめ」という本に出会った。
幕内秀夫先生のベストセラーで、
○ ご飯と季節の野菜が入った一汁一菜で日々の食事は十分であること
○ 精製(精白)されたものは微量栄養素が除外されてしまうこと
○ 風土はFOODで、日本人には日本人の献立があること
などを知って深く感銘を受け、幕内先生の講演まで聴きに行った。

 

先生の思想は、僕がこの病気になってからベジタリアン→マクロビオティックと実践していく上で大きな影響があった。
しかし、好きな食べ物を「これは食べちゃいけない・・・」なんて言われるとカチンと来る人がいる(少なくとも僕はそうだ)ようで、ネットで検索するとすぐに「粗食のすすめは悪書だ!」なんていうのもヒットする。
ぼくも1から10まで先生の思想に賛成するわけではないが、全否定しなくても「これはいい」と思ったところをとりいれてもいいんじゃないかと思う。

僕は食べ物で癌を治したり、再発を免れたり・・・というような効果には否定的である。
理由は簡単で、科学的なエビデンスがないからだ。
そんな僕が癌になって食事を見直したのは、
○ 癌以外の新たな病気(例えば糖尿病など)になりたくない
○ 医師が行う治療以外に、自分でも何かをやっているという精神的な支えが欲しかった
・・・という理由からだ。
そう、実質的な効果よりも精神的な支えが欲しかったのだ。

幕内先生の本を改めて読み返してみて、僕が取りいれたのは、
○ 精製されたもの
○ 肉食
○ 乳製品
を食べないということだった。(あと、お酒もきっぱりやめた。)
癌になったことでベジタリアンへの強力な意思と理由を手に入れた僕は、妻の協力を無理やり取り付けたのだ。

僕の再発がはっきりしたのは2017年1月17日で、手術から963日目のことだった。
高度なリンパ節転移があった僕は、再発自体は織込み済みだったのでショックは受けなかったけど、(もう一生治らないんだ)と寂しくはなった。
そんな寂しさの中の諦めの気持ちが、
(再発しちゃったし、もういいんじゃないか・・・)と、厳しくしていた食事制限を緩める口実になった。

こんなことを書こうと思ったのは、あるアメブロの記事を読んだからだ。
残念ながらお亡くなりになってしまったのだが、大腸がんになってしまった奥さまの日々の病状や、取り組んでおられた治療のことを旦那さまが書き綴っているブログがあった。
ある時、食事療法についてこんな記事を書いていた。

大腸がんの切除手術が終わり、抗がん剤が始まった奥さまから食事を見直したいという申し出があり、その修行僧並みの厳しい食事制限に驚いた旦那さま。
しかし、奥さまの固い意志もさることながら、妻の力になりたいと、オーガニック食品や平飼いの卵を手に入れ、1日2リットルの野菜ジュースを作った。
できるだけ美味しいものをと、良質な玄米や高額な食品を購入し、野菜ジュースだって作り置きではなく飲む直前に作ってあげた。
大根はホタテパウダーで農薬を洗い流すほどの徹底ぶりだった。
でも限界がきた。
野菜ジュースをを飲むことが相当苦痛になっていたのか、奥さまからは野菜ジュースを作ってほしい・・・と言い出すことは少なくなっていた。
それどころか露骨に嫌な顔をされて、旦那さまもカチンときた。
手のひらがボロボロになるほどのアカギレの中、地獄のような痛みを我慢してレモンを切っていたのだ。

作りたくない
飲みたくない
効果も分からない
誰も喜ばない

これをきっかけに野菜ジュースをやめ、食事も徐々に普通のものに戻していったところ、食いしん坊だった奥さまの笑顔が戻ってきた。
この笑顔があれば、もうどうなっても構わない。
奥さまはストレスから開放されたことで、逆に病気が良くなるんじゃないかと思うほど嬉しそうで、健康的だったという。
そして最後にこう結んでいた。
食事療法をやめたことでもしかすると彼女の命が短くなってしまったかもしれないが、後悔はしていない。
この時から彼女は最後の最後まで好きなものを食べていた。
妻も後悔していないじゃないかな・・・と。

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ちょっとね、ウルウルとしてしまった。

僕は病気になってから一度も焼肉屋さんには足を踏み入れていないし、食事制限が緩くなったとはいってもこれから先も行くことはないだろう。
でも苦痛を感じてはいないので、後悔はしていない。
僕の食事制限は多分に精神的支柱であって、苦痛を感じるものではなかった。

癌になっちゃった人は、一度くらいは自分の食事を見直すことがあるかもしれない。
僕のように食事制限が精神的支柱になるなら反対はしないけど、厳しい食事制限を自分に課すことに果たして意味があるのかをよく吟味してほしい。

ベジタリアン、マクロビオティック、ヴィーガン、1日1食など様々な食事療法があって、日本人は「苦しいこと=病気が治る」というDNAがあってがんばっちゃうんだけど、様々ながん闘病ブログで食事療法に取り組んできた人を見てきて、最後までやり遂げた人というのはあまり見たことがない。(自分も含めてだけどね。(笑))

命は長短でとらえるのではなく、例え短くてもどれだけ充実していたかでその価値感が決まる。
僕の持論だが、癌になったことで何かをあきらめるということはそんなに多くはないはず。
癌になる前とできるだけイコールの生活ができるように、是非とも踏ん張って欲しい。