僕が乳がんを宣告されたのは2014年5月7日だから、ちょうど3年と3ヶ月が経過したことになる。

みなさんは「余命1ヶ月の花嫁」というドキュメンタリー映像をご存知だろうか?
本や映画にもなったのでご覧になられた方も多いかもしれないが、2007年にTBS系列の報道番組で初めて放送され、高い反響を呼んだ。
今でもYou Tubeで映像を見ることができるが、僕は数年前、まだ癌が分かる前のことだが、深夜にたまたまつけたテレビで泣きながら見たことを今でも覚えている。
知らない方のためにさらっとあらすじを追うと。。。
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主人公は24歳の乳癌の女性で、取材時にはすでに肺と骨へ転移しており、さらに胸水も溜まって呼吸が苦しい状態にあった。
余命1ヶ月を宣告されていた彼女は一進一退の体調だったが、彼女の夢はウェディングドレスを着ること。
これを知った彼女の友人らが最後の願いを叶えようと、数週間以内に式を挙げさせてくれる式場を血眼になって探し、彼女が交際していた彼氏との模擬結婚式をセッティングする。

ウェディングドレスを来て写真を撮るだけと聞かされていた彼女に、結婚式はサプライズであった。
すでに車いすに鼻カニューレによる酸素吸入が手放せなくなっていたが、念願のウェディングドレスに袖を通し、式の間だけは鼻カニューレを外して車いすから下り、誰の助けも借りずに無事に式を終えた。
彼女の病気を知っている参列者の涙が・・・明らかに感動だけではない涙が、見る者を悲しみに誘う。

その後、病院に戻った彼女の体調は徐々に悪化の度合いを深め、式から一ヶ月後、ついに彼女は短い生涯を終えるのであった。
もちろん、これは実話である。


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この番組やその関係者を巡っては、ネット上にいろんな噂や批判めいた書き込みがあったことは知っているが、ここではそういったことには触れない。

テレビを見ていた当時の僕は、癌の宣告を受ける7年前のことだった。
すでに僕の左胸には小さな癌の種があったのかもしれない。
そんなこととは露ほども知らず、
「ああ、神様はなんて残酷なんだ。」
「まだ若いのにかわいそうに・・・。」
と、当時、独身で一人暮らしをしていた僕は思う存分泣いた。

後にこれが見事にブーメランになって自分に返ってきたが、まさか僕が彼女と同じ乳がんになるとは神様だってご存知じゃなかっただろう。

僕は徳光和夫や西田敏行もびっくりするほど涙もろい。
しかし、この病気になってからは癌患者を描いたドキュメンタリーには一切涙を流せなくなった。
癌患者を「かわいそうに・・・」と思って涙を流せたのは、きっと僕が癌じゃなかったからだろう。

「同情」という言葉を辞書で引くと、
「他人の気持、特に苦悩を、自分のことのように親身(しんみ)になって共に感じること。かわいそうに思うこと。あわれみ。おもいやり。」
とある。
あの時に流した僕の涙は、ひょっとしたら高いところから見ていた涙だったのかな。

実際に癌になってしまった今、テレビで見る癌患者の悩みや苦しみ、そして患者をとりまく環境やその家族の想いなどは、まさに今自分が体験し、またはこれから体験するようなことである。
なので「同情」という意味が辞書のとおりだとすると、同じ癌患者が同情なんてできるわけがなく、ましてや涙だって出てきやしない。

同じような言葉に「共感」という言葉がある。
辞書を引いてみると、
「他者と喜怒哀楽の感情を共有することを指す」
とあった。
今、僕が同じ癌患者を見るときは、この「共感」という言葉がしっくりとくるようだ。

昨今、芸能人が癌になったことを自ら公表し、その治療や闘病生活のことがワイドショーなどで大きく取り上げられている。
またその本人からもSNS等でこまめに情報が発信されることもある。
薬石効なくお亡くなりになった時には、残された家族や親交のあった芸能人のコメントも見る者の涙を誘う。
世間さまはその時ばかりは癌という病に興味を持つようで、僕のようなしがないブログにまでやってきてはアクセス数を伸ばしてくれる。
しかし報道がひと段落つけば、またさーっと波が引くように日常へと帰っていく。
僕に言わせればこういった報道はなんだか「同情」を押し売りしているような違和感があって、いつもそれを拭うことができない。

華やかな芸能人ばかりが癌患者じゃないのだ。
ブログをやっている人ばかりが癌患者ではないのだ。

まったく光の当たらないところで毎日病気と闘っている人がいる。
誰にも相談できず、経済的にも困窮し、シングルマザーで子供を抱え、
明日のことが分からないような癌患者は、決して遠い国のお話しではなく隣近所にあるお話しなのだ。

癌になり、そんな癌患者の気持ちを「共感」できるようになったからこそ過剰とも思われる芸能人の癌報道を冷ややかに見つめ、そして癌患者を見ても泣くことができない自分になったのかもしれない。

「余命1ヶ月の花嫁」をもう一度見ないでこの記事をアップするのは無責任だと思ったので、久しぶりにYou Tubeで見直してみた。

「ああ、確かこの場面で泣いちゃったなー。かわいそうだと思うけど、明日は我が身…」だと思うと、やっぱり泣けない。
チャペルでの模擬結婚式の場面で友人や親戚が泣いているが、明らかに結婚式で流す涙とは異質なものにうるっときた。
彼女は母親を早くに亡くしているのだが、式に参列する父親の顔がアップになって号泣しているシーンを見てついに僕の涙腺が崩壊した……再度号泣。

この映像だけは特別だったようだ。
生意気な記事を書いてしまってごめんなさい。