(「がんから始まる」・・・岸本葉子)
「がんになっても、それ以前と以後との自分を貫く、ぶれない確かな線がある。
それが、私を私たらしめる『生命線』なのだ、きっと。
再発したって、いい。
したくはないが、どうしようもない。
でも、私が私であるための、ひと筋の線は、守りたい。」

確か以前にこのブログで米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」を紹介したと思ったのだが、自分のブログながら該当の記事を発見することができなかった。

 

実はこの本を紹介した時、彼女の癌の民間・代替療法のところだけは興味深く読んだのだが、どうもその時は彼女の文体が喉に引かかった魚の小骨のようにスムーズに飲み込めず、その他の所は遅々として読み進められなかった。
それでも暇を見つけて小まめに本を開いている(電子書籍なのだが)うちに段々とスムーズに感情移入ができるようになり、いつの間にか霧がさーっと晴れたように読めるようになっていた。
こうなると俄然この本が面白い。

冒頭の言葉は、「打ちのめされるようなすごい本」の中で、米原万里さんが読んだ本として紹介されている。
この部分を読んだ米原万里さんは、「自分のことでは一滴も涙が出なかった私は声をあげて泣いた」と綴っている。

これまで僕は、癌になる前と後では物の見方や考え方が変わったと幾度となく書いてきたが、「ぶれない確かな線」を感じないと自分を見失ってしまう・・・という部分が印象に残ったので紹介させてもらった。

2016.4.6(水)
乳腺クリニックの診察日である・・・が、特筆すべきことはあまりない。
シリンジでポートをヘパリンロックしてもらい、ノルバデックスを90日間分頂いただけだ。
足の陥入爪がこれまでになくひどいことになっているが、足を見せても先生は「腫れてるねぇ」の一言だけ。
これについては「副作用が抜けるまで静観する」という方針になっているので僕に文句はない。

「次の検査は8月ごろかなぁ」・・・と先生はおっしゃっていた。
フォローの検査間隔は各先生によって考え方があるのだと思うが、僕の場合はどうやら半年に一回のようだ。
最近は、頻回に検査をして早期発見を頑張らなくてもいいや・・・という考えに支配されている。
確かに、セカオピの先生が言ってたように、「早く分かっていれば、対処できたのに・・・」ということもあるのだろうけど、なぜだかそこには激しく後悔をしないような気がする。

何か症状が現れてからの精査でもいいのではないだろうか。