体調に変わりはなく、1か月ぶりの診察日を迎えた。
気になるところをあげるとキリがないけど、左の上深頸リンパ節が痛んだので嫌な気がしていたが、2~3日で消失したので一応ここに記録しておく。

診察室の扉を開けると、教授先生の開口一番は「血圧は?」だった。
挨拶がないのは毎度のことだが、ご機嫌は悪くなかった。
今日の診察室には教授先生以外に、男性の若い先生と助手の女性看護師がいた。
前回新しく出してもらった薬が効いたのか、診察前に計った血圧は久しぶりに見る正常値。
自宅でも簡易血圧計があるのだが、計るたびに表示される170/90前後の数字を見るのが嫌になって、ここ数か月は計っていなかった。

CEAは、
(5月)8.7←今回
(4月)9.5
(3月)8.6
と、2ヶ月前の数値に戻っていた。
マーカーに一喜一憂してちゃだめだね。

 

一時はアポロチョコの先端のように尖がっていた前額部の腫瘍も、ホルモン療法が徐々に効いてきたのか、明らかに小さくなった。
これを相談した町の皮膚科の先生は、
「生検するまでもなく、これは形がいびつな粉瘤だよ」
と言っていたが、小さくなったところを見るとやっぱり皮下転移していたんだね。

次回の診察日は、教授先生がお休みとのことで6週目を提案されたけど、あいにくその日はタイのプーケットへ旅行の予定があった。
なので次は7週間後となり、お薬は50日分いただくことになった。

(7週間後かー)と、少し間が空くことを喜んだのもつかの間。
右鎖骨下に埋め込んだポートは1ヶ月単位でフラッシュが必要なので、やっぱり注射のためだけに病院に行かなくちゃいけない。。。面倒だな。

診察を終えて立ち上がろうとすると、妻が唐突に、
「血圧を抑えるための食事指導を受けたい」
と言い出した。
僕はそんなの全く必要ないと思っているのに、すぐに女性看護師が栄養管理室に連絡を入れたので、行かざるを得なくなってしまった。
時刻はすでに13:30を回っていて、採血がある時は朝食を取らない僕は空腹で機嫌が悪かった。

診察室を出るとすぐに、「なんでそういうことを事前に僕と相談しないの?」と、妻と言い争いになった。
得てしてこういう時には次々にケンカのタネが重なるもので、妻と久々に冷戦状態に突入し、今のところ和解する兆しがない。

仕方なく血液腫瘍内科と同じフロアにある栄養管理室へ行くと、まずアンケートを記入させられ、そのアンケートを補う形で若い女性の管理栄養士さんが面談をしてくれた。
さすがに管理栄養士さんの前では不機嫌な顔もできないので自分を押し殺して対応したが、うんざりすることに食事指導は全部で5回コース。
しっかりと次回の予約を入れられてしまったが、これもまた言い争いのタネになってしまった。

さてここ数日、教授先生のことでもやもやっとしている。
以前の記事(400 2017.12.1診察日「憤り」)に書いたとおり、教授先生の腕と知識は信じているけど、教授先生の患者に寄り添わないという治療方針と、時には患者を見下し、侮辱するかのような態度に、僕はもうすっかり心を閉ざしてしまっている。
教授先生の強烈な嫌みを恐れるあまり、毎月の診察では雑談はおろか、聞きたいことも、相談することもできない関係になってしまった。
初めて教授先生に出会った頃、看護師さんがやたらと教授先生の顔色を伺っていたことを不思議に思っていたが、今ではすっかり合点がいく。
今は病状が落ち着いていて相談することはあまりないのだが、このまま病状が進んだときのことを考えると不安ばかりが募る。
教授先生は、
「命を脅かさないものはガマンして」
と、患者のQOLには全く無関心だし、自分の専門外のことになると、
「町医者に見てもらえば?」
と、院内紹介すらしてくれない。
こんな冷たい先生のもとでは、「よし!共に頑張ろう」という気にはなかなかなれず、ひたすら(いい先生なのだから・・・)と自分に言いきかせてつきあってきた。
とはいっても、教授先生はこの血液腫瘍内科を牛耳っている大ボスで、主治医の変更はたやすくできるものではない。
そんなことをつらつら考えていると、「転院」の二文字が頭に浮かんでくる。
次に「紹介状」、その次に「また一から検査」という文字が浮かぶと、もうその次は溜息しか出なくなってしまうのだけどね。
最初は大先生に出会えて心底喜んだんだけど、なんでこうなってしまったのか。

こんなことでストレスを被りたくないなぁ・・・と考えながら空腹のお腹を抱え、一言も口をきかない妻と共に家路についた。