2015年1月1日の日記を読み返してみると、夕方にチーズ抜きのピザの出前をとっていて、「おいしくない」という感想が記してあった。

そして、1月8日にはアブラキサン6クール、ハーセプチン3クールの点滴を打っており、痺れと倦怠感などの副作用への不安を訴えていた。
その頃は、アブラキサン12クール(途中、副作用により9クールで断念)と1年間のハーセプチンという余りに遠いゴールに、見つめすぎると絶望してしまいそうになるので、毎回の点滴を粛々とこなすことだけを考えていた日々だった。

 

昨年の僕の3大ニュースの第1位は、やはり縦隔リンパ節への転移疑いが発覚し、ステージⅣに昇格したことであろう。
ステージⅣでも長く癌と共存し、QOLを維持されている方もたくさんいらっしゃることは存じているが、どうもステージⅣという言葉の響きが頭から離れない。
もう治るということはないという寂しさと、いつ発覚するか分からない転移確定の恐怖。
闘病ブログでたまに見る表現だが、まさに死刑宣告された囚人のような気持ちだ。
いつ実行されるか分からない死刑に毎日怯える日々・・・。

 

2015年12月6日で1年間のハーセプチンが終わり、術後補助療法としてはホルモン療法のみとなった。
癌細胞という種が体中に散らばっている状態の中で、なんとか芽を出させないようにするのが術後補助療法だと、セカオピの先生が言っていた。
抗がん剤では種自体を消すことはできない。
男性の僕にどこまでホルモン療法の効果があるのか分からないが、やらないよりマシだ・・・くらいの効果しかない、とも言っていた。

 

今までケモによってじっと身を潜めていた癌細胞が、今年からいよいよ活動を活発化させるのではないだろうか。
今年は大丈夫でも来年は?来年が大丈夫だとしたらその翌年?
そんなことを考えても考えなくても結果は変わらないのだが、僕はこういうことを忘れて生きていけない性格なのだから仕方がない。
今年はいったいどんな年になるのだろう。

 

この病気が分かってから健康のためにと、肉食、乳製品、アルコールを断ってきたが、末期なのだったら好きなものを好きなだけ食べようかと、半ば自棄にもなってくる。
 

第2位は、僕の部長昇進と転勤だろう。
癌患者になったにも関わらず(もっとも、末期であることは伏せてあるが)部長に昇進させてくれ、また更なる期待を込めて本社勤務を命じられた。
サラリーマンの世界では、部長と課長とでは同じ管理職であっても重みも責任も全く違う。
サラリーマンとして一部上場企業の部長職というのは望んでもなかなかなることができないポストとして、今回の昇進に僕は大変満足している。
正直、単身赴任というのは思いもよらなかったが、これをきっかけに術後フォローの病院を見直すことができ、乳腺の専門医に出会うことができた。

 

第3位は、今年も数多くの著名人が癌で命を落とされたことがとても印象に残っている。
みんな決まって激ヤセし、会見では絶対癌に負けないと強い決意を語っていたのも虚しく、壮絶な闘病生活の末に亡くなっていった。
「みんな癌で死んでいく‥…」
テレビで報道されるたびに僕はそうつぶやき、妻に叱られていた。

 

病気になってから数多くの闘病ブログと出会ったが、この一年だけでもお亡くなりになった方や更新が途絶えたブログを数多く目にしてきた。
この病気になるまで思いもしなかったが、改めて癌という病気がごく身近にあり、命に関わる病気だということを思い知らされた。
セカオピの先生は大胆にもこんなことを言っていた。
「癌という病気は脳卒中や心筋梗塞とは違い、死ぬ準備ができるという点ではそう悪い病気ではない」

と。
僕もそれには100%同意する。
日本人は死というものを忌み嫌うので、死の準備をするなどというとたちまち叱られてしまうが、死に恥を晒すよりはできる準備をしっかりとし、できるだけ迷惑をかけることがないように逝きたいものだ。

 

初代ブログは昨年の3月から始めたので、僕がブログを始めてからこれが初めてのお正月を迎えることになる。
 

年頭から暗い内容の記事で痛み入るが、今の僕の正直な気持ちを残しておきたい。