2017.4.8
ステージⅣを宣告されてから81日、頭皮への転移(疑い)が分かってから18日が経った。
これまでは不定期に「アブラキサン最終投与から○日目」というタイトルで体の状況を記録してきたが、これからはステージⅣを宣告された日を基準に、随時体の状況を記録していきたいと思う。

 

(頭髪)
ラストケモから2年が経過したが頭髪は戻ってこず、会社へ行くときは相変わらずヅラを着用しての生活である。
1日の大半を会社で過ごす=ヅラ着用時間が長い・・ので、会社に行かなくてもいい日=ヅラをかぶらなくてもいい日、がいつも待ち遠しい。
1週間ほど旅行に行くとなると何が楽しみかというと、1週間ヅラをかぶらなくてもいいというのが実は一番嬉しかったりする。
ヅラをかぶるというのはいつになっても慣れることはない。


(原因がケモではなくてホルモン療法にあるのかも?)と、ホルモン療法をTAMからLETに変更したことでわさわさと髪の毛が生えることを期待したが、今のところそんな兆しはない。
しかもホルモン療法が中止になれば再びケモ(多分タキサン系だろう)が始まり、また脱毛することになるのだから髪の毛のことはもうあきらめた。
あとは僕が覚悟を決めて、
「実はヅラかぶってましたー、テヘペロ」
と、同僚社員や顧客、下請会社さんにカミングアウトする勇気だけの問題だ。

しかし僕が女性だったらこの髪の毛の量ではヅラは脱げないので、まだ選択肢があるだけ僕のほうがマシなのかもしれない。

ちなみに髪の毛はいまだによく抜ける。
しかも抜けた髪の毛にはケモで脱毛した時のように毛球がついていないので、徹底的に前回のケモで毛根が破壊されてしまったのだろう。


(頭痛)
ひどい痛みではなく、またそんなに頻繁でもないのだが、時々頭がずっしりと重く感じたり頭痛がするようになった。
本格的に痛くなる前にと頓服でカロナールを飲んでいるが、今のところ薬がよく効いてくれている。
たまに一瞬だが床がトランポリンになったかのようにふわふわするような感覚や、全身の力が抜けたり、くらくらするようなことがあるが、癌となにか関係があるのかもしれない。

(頭皮の癌)
毎日のように触っているが、発見時と比べると小さなしこりは若干直径、高さともに大きくなったような気がする。
それに頭頂部のしこりが虫に刺されたような痛みと痒みがあり、ヅラをかぶっていると少し辛い。
ヅラをかぶっていない時は強めにさすってなんとか忍んでいるが、うっかり破ってしまわないか心配だ。
一番大きな左後頭部のコブ状のものは、もはや消失することなく常時固いままである。
ここだけは大きくはなっていないようだ。

(追記)
頭頂部のしこりはぽつっと先が尖がっていたのだが、上の文章を書いてから二日後、砂山がくずれたかのようにぺしゃっと頭皮の中で平たくなってしまった。
妻は「薬が効いたんじゃないの?」って言うが、そうじゃない。
癌細胞の塊が崩れ、さーっと頭皮内に散ってしまったのだろう。
これはいい兆候ではなく頭皮への転移や浸潤がより進むのではないかと思っている。
なぜそう言えるのかというと、初発の胸の癌がそうだったからだ。

 

このことは、「3 出会い・・・僕と乳がん」で・・・

この時、僕は不思議な体験をしている。
このしこりを自分なりに気にしていたのだが、こりこりと触っているとどう表現したらいいのか・・・しこりが散った?分裂した?ような手触りになったことがあった。一つの大きな山(しこり)だったのが、触っているうちに「にょろっ」と2~3の小さな山に分裂したようなことがあって、「あれあれ」と思っていると、1~2日後にはまた集まって元の大きな山となったのだ。
しかも心なしか前のものより硬くなったような気がした。


と書いている。
これと似たような感覚だった。

 

(手足のしびれ)
アブラキサン由来の副作用だが完全には消失していない。
多分、もうこれ以上改善することはないだろう。

(足の陥入爪)
これもアブラキサン由来の副作用だが、皮膚科医に右足親指にガーゼを挟んでもらったおかげで膿出や出血、痛みについては許容できる
範囲まで改善した。
しかし爪の根元からおかしくなってしまったようで、爪が歪んで生えてくるのは変わらないからあくまで対症療法であり、完全に治った訳ではない。
単身赴任先のクリニックで爪の根元まで切ってもらったところはその後も良好なので、なんで皮膚科医は切ってくれないのだろうといまだに疑問に思う。
外科医は切るのが商売だから簡単に切ってくれたのかもしれないけど。

(倦怠感)
他人に説明するのは難しく、またなかなか理解してもらえないのが倦怠感だ。
もはや何が原因なのか分からない。
ケモの副作用?放射線の影響?ホルモン療法?体に巣食う癌?或いは全部が相互作用しているのかもしれない。

倦怠感、疲れやすい=怠け者・・・と見られるのが嫌で、他人には「しんどい」なんて口に出して言わないが、朝は比較的ましだが会社を出るころにはぐったりしている。
ひどい時には駅から自宅までのわずかな距離をよろよろと歩き、エレベーターの中ではもたれかかり、人目をはばかりながら壁によりかかってなんとか自宅にたどり着くというようなさまである。
当然自宅に帰ればもう何もすることができず、こんな怠惰な自分が嫌でたまらなくなる。

(LETの副作用)
飲み始めの時は関節痛のような症状が強く出て、(飲み続けられるかなぁ)と心配したが、最近はましになった。
それでも朝起きた時はすぐに起き上がれず、油の切れたブリキのロボットのようにぎこちなくなっている。

 

(心の状態)
心療内科で抗うつ剤と抗不安薬を処方してもらっていたが、
「もう大丈夫です」
と薬の処方を断ったその日のお昼に頭皮への転移が分かった。
僕は一気にずーんと落ち込むタイプではなく、じわじわと泥沼へ沈んでいくような落ち方をするようで、最近は乙女のように人目を忍んではほろほろと涙をこぼしている。
(これって鬱?)と思ったけど、食欲はあるし、睡眠もよくとれている。
何より鬱なら自分のことを鬱って言わないので、鬱的な状態なのだろう。

 

何よりも生きる気力というか、目標がなくなってしまった。
教授先生は何百人という患者を診てきているから、多分僕の状態を見ると、(ああ、こいつはもう助からないな。よくもって○年かな)って、口には出さないけど思っているに違いない。
僕自身あと3年から5年かな・・・なんて根拠なく思っているけど、割と僕のこういう第六感は当たるのだ。

病気になるずっと前から僕の死期は50歳くらいだと予測していたが、今年で僕は45歳。
なんとなく当たる気配がしてきた。
こうなってくると、例えば会社で僕の仕事に関連する「イベント業務管理者」の資格を取りたいなって思ってよく見てみると、「3年ごとに更新のための試験や受講が必要」とあったりすると、(取ったところで期限がくれば消失してしまう資格だったらもういらないや)なんて思ってしまう。
字が汚いのでペン習字を独習なり通信講座なりで勉強しようかと思ってみても、(もういまさら字がうまくなったって)・・・て思ってしまう。
万事がこの調子なので、結局は思い出作りと僕が生きた記録を残すことくらしか生きがいを見出すことができずにいる。
仮に奇跡が起きて90歳まで生きることができれば、毎日こんな気持ちで生きてきた自分を後悔することになるだろうから、なんとか気持ちを持ち上げなくてはいけない・・・、とは思いつつも何もできずにいる自分が情けない。

 

(その他)
全般的に体調はよくない。
吐き気がする時もあるし、何よりも夕方からの強い倦怠感には悩まされている。
病気する前はYシャツのアイロン掛けとお風呂掃除は僕の仕事だったのに、今は自分の身の回りのことだけでも精いっぱいで妻に甘えっぱなしだ。

妻は僕の家のこと、独り暮らしのお父さんのこと、仕事のこと、そして僕の病気のことと、一時も落ち着いて休むことができずにいる。
彼女の落ち着かない性格もあるのかもしれないが、介護やら闘病なんていうのは年単位の長いスパンで考えないとがんばり過ぎると後が続かなくなる。
遊びのお金を多少削ってでも、ダスキンのような家事代行サービスや食事の宅配サービス、クリーニングはクリーニング屋を使うなどお金
で解決できるなら少しでも彼女自身のための時間を作ってほしいと願っている。
介護や僕の世話するために自身の人生を犠牲にする必要はない。

 

もし僕が早死にすることが確実になったら離婚してもいいよ・・・とまで言ったことがある。
僕がいないのに僕の両親の介護までさせるわけにはいかないという気持ちからだった。
これまでにもそんなことを何度か話し合ってきたが、ようやく家事代行サービスをお願いする気になったようで、今度本格的にお話をお伺いすることになっている。
そしてその次は彼女に人間ドックを受けてもらわなきゃ。
彼女の家系こそがん家系(母親(故人)が乳がん)なのに、僕を反面教師にして定期的に検査を受けてもらわないと僕が癌になった意味が薄れてしまう。
結婚以来やかましく言ってきたのに8年くらい健康診断を受けていない。
病気(特に癌)をなめてもらっちゃ困る。