みなさま、明けましておめでとうございます。
このブログで年頭所感を書くのは今回で3回目になる。
今年も昨年同様、とある神社から初詣のセキュリティのお仕事を頂いていて、今日、1月1日は朝から晩まで神社の中の控室で過ごすことになっており、この記事の最終校正も今まさに神社の中で行っている(仕事しろよって感じですね)。
明日、1月2日は母親を連れて日帰りの東京詣でをして、1月3日は丸1日休めるけど、1月4日には早くも初出勤を迎える。
さて、昨年を振り返ると「転移の確定と再発治療の始まり」の一言に尽きよう。
過去に書いた年頭所感のサブタイトルを見ると、
(昨年)再発疑惑の中で
(2年前)末期で迎えたお正月
と、確定もしていなかったのに悲観的なタイトルをつけるところは全く僕らしいが、昨年は生検の結果、名実ともにステージⅣが確定した年であった。
今年の経過と治療を振り返ってみよう。
2017/1/17(CEA25.4)
CEAの上昇に伴い大学病院へ転院し、縦隔リンパ節生検の結果、遠隔転移が確定した。
これまでのホルモン療法であったタモキシフェンを中止し、男に効果があるのか分からないが…という但し書き付きで、フェマーラに変更になった。
3/21
頭部造影MRIにより、左後頭部、左前額部、左前頭部、左側頭部の4か所に皮下転移の疑い、頭頂部に骨転移の疑い。
4/25(CEA24.9)
造影CTにより、右腋窩リンパ節腫大、腰椎3カ所に骨転移の疑い。
5/23(CEA18.2)
ランマークを開始する。
5/30
術後3年目を迎える。
9/21(CEA9.0)
ケモの副作用である陥入爪を根治すべく、「両母趾陥入爪根治術(フェノール法)」の手術を受ける。
と、こんな感じだった。
こうして改めて書きだしてみると転移の凄まじさに自分でも恐ろしくなってくる。
他人がこれを見れば「こいつはもうダメだな」って思うかもしれない。
癌の再発は2〜3年目に多いという統計があるが、僕もこれに漏れることなくついに再発が確定してしまった。
教授先生から転移の確定を告げられた時に、
「残念ながら完治はしません。これからは年単位で弱っていくし、月単位で急変することがある」
と言われた。
初発時に腋窩リンパ節への転移が多かった僕は、再発を前提にふんだんに覚悟をしていたので改めてショックを受けることはなかったけどね。
でもこれを両親に報告した時の動揺ぶりを見るとやっぱり辛かったな。
幸いなことに今のホルモン療法であるフェマーラがよく効き、CEAはぐんと下がったし、1年経った今でも体の不調はあまり感じない。
しかしいつまでもこの状態が続くとは思っちゃいない。
現に前回の検査ではCEAがわずかに上昇傾向を示したし、そうなると次の薬を使うことになるのだろう。
もっとも次の薬が効くかどうかは使ってみないと分からないけどね。
教授先生からは、
「男性乳がんは闘う武器が少ないのだから、弾丸(タマ)は大切に使っていこう」
と言う方針を示された。
もちろんこれに反対する理由はない。
術後4年目を迎える今年、ようやくありのままの事実を淡々と受け入れられるような境地に達したような気がする。
それは心が強くなった…と言うよりも、悪いことを考えることに疲れたと言ったほうが正解かもしれない。
でもこれは、ヤケクソでもなく、諦め…とも違う。
言葉のとおり、病状のことでは一喜一憂せず、良いことも悪いこともそのまま素直に受け入れられるようになったということである。
ヘタレのたいちもブログでお知り合いになった先輩方に見守られ、時にはお叱りを受けながら4年目にしてようやく大人になりつつある。
今後とも変わらぬお付きあいをお願いして、今年の年頭所感としたい。
【参考記事】
38 (2016年)年頭所感 〜末期で迎えたお正月〜
249 (2017年)年頭所感 ~再発疑惑の中で~