少し前まで僕は本社の所属だったのだが、会社の主流ではない業務をしていたので、普段は別のところで勤務していた。
とはいっても本社所属には変わりないので、報告やら会議やらでしょっちゅう出入りはしていた。
本社の中で僕とは違うセクションに、年齢は僕と同じくらいの総合職の女性係長がいた。
顔を合わせれば会釈する程度で親しく喋ったりしたことはなかったのだが、色白で控えめであり、清楚な雰囲気を漂わせた彼女のことは気になる存在ではあった。
まだ独身だった彼女は会社の長老連中から、
「あんな気立てのいい娘が独身とはもったいない。だれかいい人はおらんのか」
と、暇さえあれば茶飲み話のネタにされていた。
実は僕が独身だったころ、お節介な長老連中の一人からその女性係長を真剣に紹介されそうになったことがあった。
その頃はもう今の妻と交際を始めていたので丁重にお断りしたのだが、当の女性係長はそんなことがあったなんて全く知らなかっただろう。
ただ僕自身はそういう経緯があったことで、彼女の姿を見ると微妙に意識するようになっていた。
ある日のこと、本社に立ち寄った際に長老連中と雑談していたところ、その女性係長がもう数ヶ月も出勤していないことを知った。
しかし理由までは知らないらしい。
長老…とは言っても会社に影響力がある立場の人物なのだが、その長老が彼女に何があったのかを掴んでいないということは、よほど厳重な箝口令がしかれていたのだろう。
しかしその時僕は、(何か大きな病気でもしたのかなあ)という程度にしか思わなかった。
我が社には半年に1回発行される社内誌がある。
先日配られた社内誌をなにげなく見ていると、最後のページで僕は凍りついてしまった。
ページの中ほどに小さな字で、「ご冥福をお祈りします…◯◯◯子」と、彼女の名前が一人だけさらりと書いてあったのだ。
何度も名前を見返したが間違いない、あの女性係長だ。
日付は・・・あの長老連中と話したときから数ヶ月後には亡くなっていたことになる。
僕は大きなショックを受け、その日は会社を出るまで仕事が手につかず、放心状態になってしまった。
その同じ日に、偶然別の用事で長老の一人から僕に電話があったので、社内誌で女性係長の名前を見たことを話すと彼は声を潜め、
「あれ、知らなかった?彼女の机の上にしばらく花が飾ってあったんだよ。いや、ほんとかわいそうに…あっという間だったよ。」
僕は半ば強い確信を持って聞いてみた。
「何で亡くなったの?」
「・・・癌だったんだよ。」
と、予想していた言葉が返ってきたが、僕は内心の動揺を隠してどこの癌だったのかを聞くと、長老は口ごもってしまった。
その長老は僕が乳がんだということを知っている。
そうか、机の上に花が飾ってあったのか…、全然気が付かなかった。
僕は死に対する恐怖はある程度克服したつもりで、いつでもその覚悟はあるつもりだ。
しかし、いつか僕の会社のデスクの上に白い花が飾ってある光景をリアルに思い浮かべてしまうと、寂しくてたまらない気持ちになってしまった。
久々に悲しみの奈落の底に突き落とされ、今もって這い上がることができないでいる。
治療が順調に進み副作用も徐々に抜け始めてつい忘れがちになるが、癌は実に無慈悲で残酷な病だ。
残された家族の悲哀、そして人生を半ばで諦めざるを得なかった彼女の悔しさを考えるとたまらない気持ちになる。
前にセカオピを受けた先生はこう言っていた。
「三大疾病のうち、死ぬ準備ができるのは癌だけだよ。」と。
彼女が自分の病気を知ってから亡くなるまでの間、もちろん十分な時間ではなかったと思うがせめてその数ヵ月の間だけでも、彼女の人生の中でもっとも有意義に輝いていた時間であったことを祈るばかりである。
彼女のご冥福を心からお祈りする。
合掌
とはいっても本社所属には変わりないので、報告やら会議やらでしょっちゅう出入りはしていた。
本社の中で僕とは違うセクションに、年齢は僕と同じくらいの総合職の女性係長がいた。
顔を合わせれば会釈する程度で親しく喋ったりしたことはなかったのだが、色白で控えめであり、清楚な雰囲気を漂わせた彼女のことは気になる存在ではあった。
まだ独身だった彼女は会社の長老連中から、
「あんな気立てのいい娘が独身とはもったいない。だれかいい人はおらんのか」
と、暇さえあれば茶飲み話のネタにされていた。
実は僕が独身だったころ、お節介な長老連中の一人からその女性係長を真剣に紹介されそうになったことがあった。
その頃はもう今の妻と交際を始めていたので丁重にお断りしたのだが、当の女性係長はそんなことがあったなんて全く知らなかっただろう。
ただ僕自身はそういう経緯があったことで、彼女の姿を見ると微妙に意識するようになっていた。
ある日のこと、本社に立ち寄った際に長老連中と雑談していたところ、その女性係長がもう数ヶ月も出勤していないことを知った。
しかし理由までは知らないらしい。
長老…とは言っても会社に影響力がある立場の人物なのだが、その長老が彼女に何があったのかを掴んでいないということは、よほど厳重な箝口令がしかれていたのだろう。
しかしその時僕は、(何か大きな病気でもしたのかなあ)という程度にしか思わなかった。
我が社には半年に1回発行される社内誌がある。
先日配られた社内誌をなにげなく見ていると、最後のページで僕は凍りついてしまった。
ページの中ほどに小さな字で、「ご冥福をお祈りします…◯◯◯子」と、彼女の名前が一人だけさらりと書いてあったのだ。
何度も名前を見返したが間違いない、あの女性係長だ。
日付は・・・あの長老連中と話したときから数ヶ月後には亡くなっていたことになる。
僕は大きなショックを受け、その日は会社を出るまで仕事が手につかず、放心状態になってしまった。
その同じ日に、偶然別の用事で長老の一人から僕に電話があったので、社内誌で女性係長の名前を見たことを話すと彼は声を潜め、
「あれ、知らなかった?彼女の机の上にしばらく花が飾ってあったんだよ。いや、ほんとかわいそうに…あっという間だったよ。」
僕は半ば強い確信を持って聞いてみた。
「何で亡くなったの?」
「・・・癌だったんだよ。」
と、予想していた言葉が返ってきたが、僕は内心の動揺を隠してどこの癌だったのかを聞くと、長老は口ごもってしまった。
その長老は僕が乳がんだということを知っている。
そうか、机の上に花が飾ってあったのか…、全然気が付かなかった。
僕は死に対する恐怖はある程度克服したつもりで、いつでもその覚悟はあるつもりだ。
しかし、いつか僕の会社のデスクの上に白い花が飾ってある光景をリアルに思い浮かべてしまうと、寂しくてたまらない気持ちになってしまった。
久々に悲しみの奈落の底に突き落とされ、今もって這い上がることができないでいる。
治療が順調に進み副作用も徐々に抜け始めてつい忘れがちになるが、癌は実に無慈悲で残酷な病だ。
残された家族の悲哀、そして人生を半ばで諦めざるを得なかった彼女の悔しさを考えるとたまらない気持ちになる。
前にセカオピを受けた先生はこう言っていた。
「三大疾病のうち、死ぬ準備ができるのは癌だけだよ。」と。
彼女が自分の病気を知ってから亡くなるまでの間、もちろん十分な時間ではなかったと思うがせめてその数ヵ月の間だけでも、彼女の人生の中でもっとも有意義に輝いていた時間であったことを祈るばかりである。
彼女のご冥福を心からお祈りする。
合掌