転勤は、僕が部長に任命された2015年の7月ごろに担当役員から話しがあった。
僕を指名してというわけではなく、「誰かを行かせなさい」ということだったのだが、今の我が部署のメンツを考えると・・・・。
係長は最近子供ができたばかりだし、主任は母親の介護があるし、あとは能力的な問題で一人では行かせられない者ばかりだし…とグズグズと選び損ねていたのだが、担当役員が僕の顔を見る度に、
「人選はできたか?」
とニコニコしながら聞いてくるのでついその圧力に負け、
「僕が行きます」
と返事をしてしまった。
なので、今回の異動は「癌になったから・・・」というような左遷的な異動ではなく、我が部署の発展を期待されてのことである。
若い頃は出張と聞くとまるで遠足にでも出かけるように喜々としていたし、転勤を命じられても未知らぬ土地で生活するというワクワク感のほうが大きかった。
しかし歳をとってくると自宅で過ごすことがどれだけ幸せかということに目覚め、もう出張やら転勤なんて煩わしくって憂鬱以外なにものでもない。
ましてや今回は大病を患った後である。
仕事はもちろん大切だが命に関わる病気をした以上、これからは自分の時間をなによりも大切にしたいと願っていたのだが、物事というのはなかなか望むとおりには進まない。
僕がこの会社に入社した時は「全国転勤可能」という条件で入社しているが、病気になったことを正直に話せば、転勤を避けることはできたと思う。
しかし僕は、「癌患者」という一度貼ってしまったレッテルを何とかして剥がそうとして、この一年間努力してきたのだ。
病気を理由に転勤を拒否すれば、たちまちその努力が水の泡になってしまう。
さて、「僕が行きます」と返事をして以来、転勤の手続きは着々と進んでいった。
部長である僕は幹部の転勤という扱いになるので執行役員、担当役員、専務との面談があり、それぞれの立場で僕の意思を確認される。
僕の意志は転勤を断然拒否しているのだが、悲しきサラリーマンの性で、上司からびしっと気合いを入れられると、
「骨を埋める覚悟で現地に赴き、粉骨砕身して必ずや会社に貢献してみせます!」
と、泣く泣く大嘘をついてしまった。
もう専務の面談となるとほとんど形式的なもので、30秒程度の立ち話で終わったのだが、これで空欄だった人事書類の印鑑欄は、見事にお偉方の決済印で埋まってしまった。
後は人事部に書類がまわり、引っ越しやら手当のことなど具体的な手続きに入ることになる。
転勤には家族ごと引っ越すものと、単身赴任と2つの選択肢がある。
僕には子供がいないので妻と二人暮らしなのだが、彼女は英語教室のホームティーチャーをやっていてたくさんの生徒を抱えている。
それに一人暮らしの義父(彼女の実父)の面倒を見なければならないこともあって、妻と一緒に赴任するというわけにはいかない。
だから必然的に単身赴任ということになるのだが、僕はまあ、本音を言えば再びの独身生活も悪くないかなと思っていたのだが妻は違った。
まず転勤という事実からして受け入れられず相当駄々をこねられたが、本格的な喧嘩に発展する前になんとかサラリーマンの宿命を理解してくれた。
多少世間知らずで天然なところがある妻は、最近では観光の雑誌を買い込むなど新しい生活が始まることを楽しんでいるようにも見える。
しかし、僕の母はすさまじく怒った。
妻からの電話で僕の転勤のことを知った母は、僕に直接怒るのではなく妻に怒りのハケ口を求めたようだ。
激しい母の怒りに触れ、これまでいい関係を築こうと努力してきた妻は完全に凹んでしまった。
翌日僕が母に電話してなだめ、ようやく怒りを鎮めてくれたが、
「お父さんもお前に会いたがっているよ」
なんて言っていたのが心に残った。
こんなことを言うような父親ではなかったのだが歳をとったせいか、母親ともども僕のことが心配でたまらないのだろう。
年老いた両親に親孝行するどころか大病を患ったうえに遠方へ転勤することになり、二人の気持ちをかき乱してしまったことを考えると申し訳なくて涙がこぼれそうになる。
転勤は2015年10月1日付の予定だったが、転勤の話があった後に9月25日まで放射線治療を施行することになったので、これは正直に会社に事情を話し、10月16日付の異動にしてもらった。
放射線治療が終わってからは怒涛のような引っ越し準備を始めることになるのだが、これはまた次回の記事に書くことにする。
僕を指名してというわけではなく、「誰かを行かせなさい」ということだったのだが、今の我が部署のメンツを考えると・・・・。
係長は最近子供ができたばかりだし、主任は母親の介護があるし、あとは能力的な問題で一人では行かせられない者ばかりだし…とグズグズと選び損ねていたのだが、担当役員が僕の顔を見る度に、
「人選はできたか?」
とニコニコしながら聞いてくるのでついその圧力に負け、
「僕が行きます」
と返事をしてしまった。
なので、今回の異動は「癌になったから・・・」というような左遷的な異動ではなく、我が部署の発展を期待されてのことである。
若い頃は出張と聞くとまるで遠足にでも出かけるように喜々としていたし、転勤を命じられても未知らぬ土地で生活するというワクワク感のほうが大きかった。
しかし歳をとってくると自宅で過ごすことがどれだけ幸せかということに目覚め、もう出張やら転勤なんて煩わしくって憂鬱以外なにものでもない。
ましてや今回は大病を患った後である。
仕事はもちろん大切だが命に関わる病気をした以上、これからは自分の時間をなによりも大切にしたいと願っていたのだが、物事というのはなかなか望むとおりには進まない。
僕がこの会社に入社した時は「全国転勤可能」という条件で入社しているが、病気になったことを正直に話せば、転勤を避けることはできたと思う。
しかし僕は、「癌患者」という一度貼ってしまったレッテルを何とかして剥がそうとして、この一年間努力してきたのだ。
病気を理由に転勤を拒否すれば、たちまちその努力が水の泡になってしまう。
さて、「僕が行きます」と返事をして以来、転勤の手続きは着々と進んでいった。
部長である僕は幹部の転勤という扱いになるので執行役員、担当役員、専務との面談があり、それぞれの立場で僕の意思を確認される。
僕の意志は転勤を断然拒否しているのだが、悲しきサラリーマンの性で、上司からびしっと気合いを入れられると、
「骨を埋める覚悟で現地に赴き、粉骨砕身して必ずや会社に貢献してみせます!」
と、泣く泣く大嘘をついてしまった。
もう専務の面談となるとほとんど形式的なもので、30秒程度の立ち話で終わったのだが、これで空欄だった人事書類の印鑑欄は、見事にお偉方の決済印で埋まってしまった。
後は人事部に書類がまわり、引っ越しやら手当のことなど具体的な手続きに入ることになる。
転勤には家族ごと引っ越すものと、単身赴任と2つの選択肢がある。
僕には子供がいないので妻と二人暮らしなのだが、彼女は英語教室のホームティーチャーをやっていてたくさんの生徒を抱えている。
それに一人暮らしの義父(彼女の実父)の面倒を見なければならないこともあって、妻と一緒に赴任するというわけにはいかない。
だから必然的に単身赴任ということになるのだが、僕はまあ、本音を言えば再びの独身生活も悪くないかなと思っていたのだが妻は違った。
まず転勤という事実からして受け入れられず相当駄々をこねられたが、本格的な喧嘩に発展する前になんとかサラリーマンの宿命を理解してくれた。
多少世間知らずで天然なところがある妻は、最近では観光の雑誌を買い込むなど新しい生活が始まることを楽しんでいるようにも見える。
しかし、僕の母はすさまじく怒った。
妻からの電話で僕の転勤のことを知った母は、僕に直接怒るのではなく妻に怒りのハケ口を求めたようだ。
激しい母の怒りに触れ、これまでいい関係を築こうと努力してきた妻は完全に凹んでしまった。
翌日僕が母に電話してなだめ、ようやく怒りを鎮めてくれたが、
「お父さんもお前に会いたがっているよ」
なんて言っていたのが心に残った。
こんなことを言うような父親ではなかったのだが歳をとったせいか、母親ともども僕のことが心配でたまらないのだろう。
年老いた両親に親孝行するどころか大病を患ったうえに遠方へ転勤することになり、二人の気持ちをかき乱してしまったことを考えると申し訳なくて涙がこぼれそうになる。
転勤は2015年10月1日付の予定だったが、転勤の話があった後に9月25日まで放射線治療を施行することになったので、これは正直に会社に事情を話し、10月16日付の異動にしてもらった。
放射線治療が終わってからは怒涛のような引っ越し準備を始めることになるのだが、これはまた次回の記事に書くことにする。