40歳の半ばを過ぎた男が、叱られたり悔し泣きをするようなことってなかなかないのではないだろうか。
しかしそれをアッサリと覆すのが病院というところだ。
ここでは白衣を着ているものが住んでいるあっち側と、そうではないものが住むこっち側とに分かれている。
こっち側に住む者は高額な医療費を払ってあっち側を支えているはずなのに、偉そうに振る舞うあっち側の住人に対して(何かおかしい)といつも疑念と不満を抱いている。
そして耐えられなくなると、(何かおかしい)とクビをかしげながらも、敵のあっち側に頭を下げて紹介状を書いてもらって転院する。
今度の病院ではあっち側とうまくやっていけるだろうか、という不安を抱きつつ・・・。
病院には年齢や地位といったものは存在しない。
あるのは等しく、病気であるかそうでないかの違いだけなのだ。
この年齢になってお尻を真剣に叩かれないと本気になれないというのも困ったものだが、会社では偉そうな振る舞いをしている僕が、これまで病院で3回ほど真剣にお尻を叩かれたことがある。
1度目は町医者の内科医で、高血圧の治療でうまく食事をコントロールすることができなかった時のことだ。
叱られて「なにくそ!」と本気で食事コントロールに取り組んだ矢先に癌が見つかったので、結果を出す前にその病院には通わなくなってしまったんだけどね。
2度目は禁煙外来で、なかなかスパッと止めることができない僕に「ちょこちょこ吸ってないでばしっと止めなさいよ」と叱られ、「なにくそ!」とがんばった結果、禁煙することができた。
3度目は前回の記事のとおりである。
しかし今回ばかりは「なにくそ!」とはならなかった。
出てきたのは「なにくそ!」という奮起ではなく、声にならない屈辱だった。
それからというもの、まともにご飯を食べていない。
スープ、野菜、果物、鶏肉、おでん・・・などローカロリーのものを1日1〜2食だけで、1日1,000キロカロリーも摂取していない。
「教授先生を見返してやるんだ」とか「自分自身の体の為に・・・」と言うような高尚なところから出たものではない。
あるのは「食べるな」と言われたから「食べない」といった意地だけだ。
そんな妻は「まるで子供のようだ・・・」というが、意地のために死んでいった日本人が100年前にはたくさんいたのだ。
結果的に禁煙ができたように、叱られたおかげで食事のコントロールができ、教授先生が満足する結果になったとすれば医師としては名医なのだろう。
いや、そうでなくたって教授先生は自他ともに認める名医だ。
しかしこの教授先生のもとで看取られたくないと思った瞬間から僕は、食事コントロールの結果がどうであろうと転院することを決意した。
それを踏みとどまらせてくれたのは、同じ教授先生のもとで僕よりはるかに長く治療を続けている方からのメールだった。
「もう少し辛抱しなさい。この教授先生は患者に寄り添うことのできない人だから、先生が持っている知識や経験、技術など利用するだけ利用しなさい。」
と。
この方がメールをくれなければ本当に転院していたかもしれない。
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左手のばね指がひどくなってきた。
フェマーラを飲み始めてから関節痛のあとに現れた副作用だと思うのだが、教授先生に尋ねても、
「フェマーラの副作用にばね指が現れるなんて聞いたことがない」
とけんもほろろだった。
ネットで検索すると先輩方のブログにそれに言及した記事が何個かヒットするので、全く関係のないこともなかろう・・・と思うのだが、それ以上言わせない雰囲気が教授先生にはある。
「気になるのなら整形外科にいってみれば?」
と、腫瘍内科医にしては優しくないことを言う。
院内紹介状でも書いてくれれば診てもらおうとも思うけど、わざわざ自分から予約してまで診てもらおうとは思わない。
フェマーラの副作用なら飲まなくなるまでマシになるわけがないと思うし、ばね指は腱鞘炎と同じ治療になる。
すなわちステロイド入りのキシロカインを打つか、それでだめなら手術だ。
それは腱鞘炎を発した時に経験済だ。
(参照記事:「175 次なる闘いは・・。(その1)「腱鞘内注射」」)
ひどいのが左手(患側)の親指で、痛むので左手だけではスマホも携帯(ガラケー)もいじれなくなったし、ミカンを剥くのだって一苦労している。
左手の親指が曲がらないというのは結構大変なことだ。
陥入爪のあとはばね指か・・・。
「悪魔との契約」を思い出す。