2014年5月30日(金)
9:00に病棟で点滴を開始し、その5分後、僕は左胸を全摘するために、看護師とともに歩いて手術室へ向かったのだ。
あの日から1年。
目をつぶると病棟の風景が鮮やかに蘇る。
この季節の爽やかな空気と病棟の窓から差し込む明るい陽射し。
少し肌寒く感じるけど快適な気温。
遠くで響くナースコールの音と看護師さんが廊下をパタパタと歩く音・・・・。
手術が終わったこの日を境にして、僕は一気に癌患者となった。
それまでは体内にがん細胞を養ってはいたものの、体も見た目も健康な方と同じように元気だったのだ。
左胸には確かにしこりが触れたし、医者からは癌だという診断を受けたが、それでも僕はいまだに信じられない。
本当に僕は癌になったのか。
術前検査ではリンパ節への転移も画像では確認されなかった。
本当は癌ではなかったのに手術をし、それを主治医が隠そうとしてわざとらしく癌の治療を進めているだけではないのか。
今の体のあらゆる不調は癌によってもたらされたものではなく、全て治療の副作用の結果なのだ。
損害賠償など求めないから、「病理検査の誤りでした」と、今から正直に言っても遅くはないぜ・・・・と、今でもそんな妄想をしてみることがある。
術後すぐの外来で主治医に聞いたことがあるが、早い人なら半年で再発する人がいるらしい。
僕はまだ大丈夫なようだが、先日の腫瘍マーカーの検査では1CTPが高値だった。
時折体のどこかしらが痛むことがあり、そのたびに再発したのでは?と怯えてみるが、先日の人間ドックの結果、大きな異常は見つからなかったのでまだ猶予は与えられているようだ。
癌を告知されて泣き、術後の病理検査の結果を見てさらに泣き、毎日毎日泣いて暮らしてきたが、手術から一カ月も過ぎると涙が枯れたのか覚悟ができたのかもう泣かなくなった。
再発するのでは・・・と考えると毎日が恐怖だが、再発は必至なんだと思うと覚悟もできた。
僕の癌にはそう思ってもいいだけの理由がある。
腋窩リンパ節に高度の転移があるということは、癌の顔つきに関係なく他の臓器に遠隔転移している可能性が十分にあるということだ。
人は必ず死ぬ・・・それが普通の人よりも少し早いだけだ。
いくら頑張っても自分の思い通りにいかず、毎日がイライラするくそみたいな人生など何にも未練はない。
ケモ中はそんなことを真剣に考えていたが、徐々に抗がん剤の副作用が抜け、体調が回復傾向になると、「まだ死にたくないよなあ」なんてつぶやいている。
でも、死について考えるということは、自分の人生に真正面から向き合うことだ。
僕ががんになった意味は、自堕落な生活にピリオドを打ち、これからの人生を一瞬たりとも無駄にできないということを気づかせてくれたことにあるのかも知れない。
たとえ健康な人より寿命が短くても、悔いのない人生を送ることができればそれは幸せではないだろうか。
そしてそれを決めるのは他人ではなく、他ならぬ自分自身なのだ。
「病気になることが不幸ではない。病気に負けることが不幸なのだ。」
9:00に病棟で点滴を開始し、その5分後、僕は左胸を全摘するために、看護師とともに歩いて手術室へ向かったのだ。
あの日から1年。
目をつぶると病棟の風景が鮮やかに蘇る。
この季節の爽やかな空気と病棟の窓から差し込む明るい陽射し。
少し肌寒く感じるけど快適な気温。
遠くで響くナースコールの音と看護師さんが廊下をパタパタと歩く音・・・・。
手術が終わったこの日を境にして、僕は一気に癌患者となった。
それまでは体内にがん細胞を養ってはいたものの、体も見た目も健康な方と同じように元気だったのだ。
左胸には確かにしこりが触れたし、医者からは癌だという診断を受けたが、それでも僕はいまだに信じられない。
本当に僕は癌になったのか。
術前検査ではリンパ節への転移も画像では確認されなかった。
本当は癌ではなかったのに手術をし、それを主治医が隠そうとしてわざとらしく癌の治療を進めているだけではないのか。
今の体のあらゆる不調は癌によってもたらされたものではなく、全て治療の副作用の結果なのだ。
損害賠償など求めないから、「病理検査の誤りでした」と、今から正直に言っても遅くはないぜ・・・・と、今でもそんな妄想をしてみることがある。
術後すぐの外来で主治医に聞いたことがあるが、早い人なら半年で再発する人がいるらしい。
僕はまだ大丈夫なようだが、先日の腫瘍マーカーの検査では1CTPが高値だった。
時折体のどこかしらが痛むことがあり、そのたびに再発したのでは?と怯えてみるが、先日の人間ドックの結果、大きな異常は見つからなかったのでまだ猶予は与えられているようだ。
癌を告知されて泣き、術後の病理検査の結果を見てさらに泣き、毎日毎日泣いて暮らしてきたが、手術から一カ月も過ぎると涙が枯れたのか覚悟ができたのかもう泣かなくなった。
再発するのでは・・・と考えると毎日が恐怖だが、再発は必至なんだと思うと覚悟もできた。
僕の癌にはそう思ってもいいだけの理由がある。
腋窩リンパ節に高度の転移があるということは、癌の顔つきに関係なく他の臓器に遠隔転移している可能性が十分にあるということだ。
人は必ず死ぬ・・・それが普通の人よりも少し早いだけだ。
いくら頑張っても自分の思い通りにいかず、毎日がイライラするくそみたいな人生など何にも未練はない。
ケモ中はそんなことを真剣に考えていたが、徐々に抗がん剤の副作用が抜け、体調が回復傾向になると、「まだ死にたくないよなあ」なんてつぶやいている。
でも、死について考えるということは、自分の人生に真正面から向き合うことだ。
僕ががんになった意味は、自堕落な生活にピリオドを打ち、これからの人生を一瞬たりとも無駄にできないということを気づかせてくれたことにあるのかも知れない。
たとえ健康な人より寿命が短くても、悔いのない人生を送ることができればそれは幸せではないだろうか。
そしてそれを決めるのは他人ではなく、他ならぬ自分自身なのだ。
「病気になることが不幸ではない。病気に負けることが不幸なのだ。」