種を蒔こう、この足元に -2ページ目

種を蒔こう、この足元に

自分は何も出来なくても、誰かの手を借りてあげることならできる。誰かに必要なものを手渡すことができる。日々の暮らしの中で、ささやかな種蒔きを続けよう、この足元から。いつかいのちが繋がり、芽吹くことを祈って。

ありがたい、は有り難いこと。


若いうちは、何か特別なことが有り難いことで

ごく普通の平凡な日々は当たり前

未来永劫続く退屈なものだと思っていました。


それが、なんて有り難いことだったのか。。。と

最近、つくづく思います。


ごく普通の暮らしが退屈なほどに続く日々は、

自分だけでなく、御縁のある方皆さんが

心身ともに健やかであることを

無意識のうちに前提としています。

それがなんて有り難いことなのか、

未熟な私は、なかなか気づくことができませんでした。


当たり前なんてことは、無い。

わたしが生を受けたことも

あなたと出逢ったことも

互いに涙することも

元気に笑いあえることも

みんな得難い、有り難いこと。

普通でいられることが不思議なくらい。


気づかせてくれて、ありがとう。

みんないてくれて、ありがとう。

皆さん、良いお年を。

しばらく前から、こころに浮かんで消えない言葉がありました。

「求めよ、さらば与えられん」

気になりながら、何が気になるのか、何をするのかが見い出せずに、

3月近くも筆が進まないまま季節が巡って。。。


つい先日のこと。

深夜、思いがけず出逢った方に言葉をいただいたのです。


「扉は開かれていますよ」

えっ、私が抱いていた言葉!!

何が、どうなのかはわからないけれど、

きっと、求める方向に進んでいける。

からだの芯がしゃきっとした気がしました。

そして、「出逢ったことは必然」だと。

真夜中だというのに、温かな光が満ちてくるようなとき・・・


改めて調べてみると、

その言葉は新約聖書「マタイ伝」7章7節
時代を超えた世界一のベストセラーである聖書には、

真実を表すことばがきらめいています。


Ask, and it shall be given you

求めよ、さらば与えられん
seek, and ye shall find

尋ねよ、さらば見出さん
knock, and it shall be opened unto you

門をたたけ、さらば開かれん


今の私に必要なことばが示されているような気がします。

クリスマスに、神の聖なる賜物を受け取ることができるように。

2ヶ月以上もご無沙汰しているうちに、

短い秋が過ぎ、季節は冬。

仙台でも光のページェントが始まりました。


LEDライトに彩られた夜空を見上げると、

定禅寺通のけやきの木がこんなにも枝を張って

長い間私たちを見守っていてくれたことに気づきました。


人間の目には、視野に入る全てのものが映っています。

でも、全てを「見て」いるわけではありません。

興味のあるものや必要なものにフォーカスして、

興味のないもの、見慣れたものは見過ごすことができるのです。


輝くけやきの枝張りに改めて気づいたり、

桜の季節に、あれ?こんなところにも桜が。。と驚いたり、

身近に妊娠した方がいると、こんなにも妊娠した方が多いんだ!と思うほど目につく。。。


意識すると、今まで見えなかったものが見えてきます。

これまでよりも深く、広く…そんな経験はありませんか?

今夜は、十五夜だというのに、

さっきまで雷鳴が響き、ざんざん降りの雨・・・

夜空を見上げることもできませんでした。


明日の満月には、まんまるお月様にお逢いしたいもの…

と思っていたら、

電車の駅で、小さな、素敵なポスターに心惹かれました。



いにしえからの招待状 「しおがまさま 神々の月灯り」

~竹ろうそくが灯す光の参道と日本古来の楽器が奏でる幽玄の世界~


奥州一宮鹽竈神社・志波彦神社境内で、

ほのかな月明かりの下

202段の階段の両側にゆらめくろうそくの灯り

琴、古代笛、琵琶、笙、雅楽が奏でられる中で巫女が舞う


平成22年は10月24日、25日の夜に催されますが、

残念ながら毎年雨に縁があるようです。


鹽竈神社は強い浄化力のあるパワースポット。

表坂(表参道)の202段から入るのがポイントだそうですが、

かなり急な階段で、いつもどきどきしながら上っています。

雨がやんだら、久しぶりにお参りに行こうかな。

子どもの頃、食べ物の好き嫌いが激しくて食が細く、

両親が心配してあちこちの病院に連れて行ったそうです。

そんな私の命をつないだのは「うどん」と「りんご」だったとか。

冬になると、盛岡のばーちゃんが木箱入りのりんごを送ってくれて、

もみがらに包まれたりんごを皮ごと食べていたっけ。

蜜入りのりんごはとっても美味しかったなあ。


そろそろりんごの季節到来!

うれしいなあ。

りんごは、ある種私のソウルフードなのかしらん?


ソウルフードは、もともとアメリカ南部の奴隷制の中で

日常的に食されてきた食べ物を指していますが、

最近は、子どもの頃から慣れ親しんだ料理を

指して言うことが多いようですね。


たとえば、ときどきふいに食べたくなったり、

外食が続いた後に、自然とつくっちゃう。。という料理。


私が今思いつくのは。。。

春には「新わかめと蕗とじゃこの炒め煮」

…蕗が出てくるとつい作りたくなります。

 冷えてても美味しくて、春の訪れを感じます。

夏には「レバーのケチャップ煮」

…朝ご飯の常備菜。簡単で栄養たっぷり。

 好き嫌いの多い子でもレバーが食べられます。

秋には「なんちゃって炊き込みごはん」

…京風でなく、炒めた具を炊き込むこってり系。

 炊き込みごはんは、なぜかご馳走の感じがしました。

冬には「鱈きくと豆腐と葱のお吸い物」

…「鱈きく」は、鱈の白子で、甘くて美味しいオトナの味。

でしょうか。


料理として美味しいだけでなく、

その食卓の風景や思い出が味付けしている料理。

思いを食べる料理、安心できる料理がソウルフードなのかもしれません。


こどもたちのソウルフードは何でしょう。

おとなになったら聞いてみたいな、食卓の思い出の一端を。