「やりたくないことはやらないこと。
それがあなたが幸せになるための一番の方法です。」

「嫌いなことははっきりと嫌いといいましょう。
嫌われても自分の意見を大切に生きてください。」

「あなたの人生はたった一度しかない。
誰のためでもなく、あなたが幸せになるために考えていきましょう。」



最近、そんな本ばっかり読んでる。


そんなふうに生きたい。

背中を押される気もする。

辞めちゃおうかな。



だけど、なんとなく、しっくりこない。






嫌われたくない

迷惑かけたくない

バカにされたくない






やっぱりそういう自分もいる。

きっと、僕のような人が、この世の中にたくさんいるだろう。


どこかの成功者が、
「好きなように生きると人生面白いくらい変わるよ!君もやりたいことやりなよ!」
なんて言われても、僕はきっと出来ないだろう。


でも、本物の霊能者や占い師、未来から来た僕が目の前にいて、「明日、君は必ず金持ちになって人生が変わるよ。」
なんてズバリ言われたら信じてしまう気もする。


要は、見えない未来に不安や迷いがあるんだよ。

先が分かっているなら、対策だって立てられるかもしれないし。


でも、結局はいつも何かしら理由をつけて、逃げてしまいたい自分がいる。



みんな、立派だな。
自分以外の人たちが、みんな、とてつもなく自立して偉く見えるよ。


助けてほしい。

助けてほしい。

助けてほしいよ。ほとけさま。

五歳の女の子が両親から虐待を受け亡くなった。

 

そんなニュースを見た。

 

この世の中は良くも悪くも、信じられないようなことが、現実に起こっている。

 

ニュースを最後まで見れなくて、内容もわからないけど、亡くなった女の子は覚えたひらがなで両親にメッセージを書いていたという。

 

五歳というから、年中さんだろうか。

 

小学校に入る前の幼い子供が、必死に命乞いをするような両親へのメッセージだった。

 

この幼い女の子の、覚えたばかりであろう、ひらがなのメッセージを見た。

 

僕のお寺ではほとんどないが、二十歳未満の子供の死は、病気か急な事故死。

幸いなことに、僕はそんな若い人の葬儀に携わったかとがない。

 

僕の師僧である父親は、二回ほどあったというが、情けないことに、親の気を察すると胸が苦しくてその葬儀で法話、説法は出来なかったという。

僕もまた子供がいる親として、父親同様、僧侶としてその場にいたら何も言えないだろうし、何も聞こえないだろうと思う。

 

こんな場でも、きちんと説法する立派な住職さんもたくさんいるだろう。

 

でも、僕がこの子の親ならば、法話など耳に入らないだろう。

 

 

 

 

 

僕たちの宗派の教えでは、引導作法をして死者を浄土へ導き、もう生まれ変わらぬよう、また苦しまぬように、戒名を授け、成仏(六道輪廻から脱却し仏さまとなる)させるように供養をする。

それが葬儀の目的。

一方で、お釈迦様は、「人間として生まれてくることは難しい」とも言ったそう。

 

 

 

だからなんだ。

 

 

 

僕はこの女の子には、成仏ではなく、仏の世界に行くではなく、また人の子として生まれてきてほしいと思う。

仏教の教えから外れ、これを見ている坊さんが批判しても、僕は本当にそう思う。

また人間に生まれたら、今度は親でも他人でも人の愛情を一身に受けて、死ぬほど幸せになってほしい。

 

 

もしも、仏様や神様がいるのなら、なんでこの女の子は死ななきゃいけなかったのだろう。

 

 

 

ここは、とある県の、ちいさな町の、ちいさな密教系寺院。

 

僕は、そんな田舎の、ちいさなお寺に、たまたま生まれた。

 

 

 

夏は「ミンミン、ジジジ・・・」とセミが鳴き、

 

冬は誰もいないんじゃないかってくらいに静まり返り、とても寂しげなお寺。

 

 

 

そんなお寺で、僕は、なんとなく育ち、大人になりきれない、『おとな』になっていた。

 

ここであえて仏教っぽく言うならば、仏さまとのご縁があって、ここに生まれた。と言うのかもしれない。

 

 

『僕はニセモノのお坊さん』

 

そういうブログタイトルで記したけれども、一応、総本山で修行をして、僧侶としての資格もある。

 

だけど、お坊さんの輪の中にいると、

「自分だけ浮いている」 「息苦しい」 「無理して笑ってる」 「楽しくない」 「自分はただ法衣を着ているだけの偽者」

そんな気持ちでいっぱいなる。

 

 

苦しかった。

 

ずっと悩んでいた。

 

今まで、誰にも言えなかった。

 

ブログにすることも、怖かった。

 

 

だけど、ここに、今「僕がお坊さん」であること。

 

もしかしたら、いつの日か振り返り、「僕がお坊さんだった」こと。

 

それを記していこうと思った。

 

 

 

こんなものを見て、ホンモノのお坊さんが怒るかもしれない・・・

 

檀信徒の方、信心深い方が嫌な気持ちなるかもしれない・・・

 

自分自身、これを消してしまうかもしれない・・・

 

でも、他の職種でも共感してくれる人がいるかもしれない。

 

こんな奴がいることも知ってほしい。

 

誰かに笑ってほしい。

 

お坊さんらしいことは何も言えないし、誰かを救える能力もない。

 

お坊さんらしい難しい話や、かっこいいことなんて到底言えない。

 

出来たら、小さい子供とかに聞いてほしい。

 

 

ただ自分の気持ちを、偽りなく本心で綴ろうと思った、はじめの一歩。