昔から自分の勘には自信があった。


選んだ道を進んでいる自分がちゃんと輝くように努力をするということは確かに大切だと思うけど、なんだかそれだけでは片付かない勘や運はあると思っている。


その点に関して僕には昔から結構な自信があるのだ。


それこそ『女の勘』なんかよりもずっと。


ただ、2024年2月の僕はそうでは無かったと思う。


まるで誰かに考え方や判断基準を無理矢理に矯正されたかのように、自分の直感を捻じ曲げては正当化の繰り返し。


あの人が言っていたから間違いない。


実際失敗してる人がいるからこうではない。


このやり方で成功している人がいるからこうしよう。


挙句の果てには突然目の前に現れた凄そうな人の意見を信じ込み、謎に自信を持ち、あてにして、自分の考えを持つことすら忘れていた。


「この人が言うんだからこのやり方で大丈夫。」


僕にとって2024年2月はそういう月だった。


その考えが一変したのは3月の初めの頃だった。


短編映画『あの日、君だけを考えた』の撮影を終えた後のこと。


一向に伸びない再生回数と減り続けるフォロワーは毎日毎秒僕の耳元で警告音を鳴らしていた。


何かを変えなくてはいけなくて、ちょっとやそっとの変化じゃ何も変わらないことはわかっていて、「このままじゃ終わる」という勘だけは何故か働いた。


この時はちょうど活動の拠点をInstagramやTikTokからYouTubeに移し始めた時期だったが、もっと大きな変化が必要だと思った。


当時周りからかけられた声や頂いたアドバイスはまさに現代流。


1分尺の縦型ショートドラマ。


流行りの手法で大きな再生数を叩き出すということだった。


1ヶ月だ。


僕は1ヶ月もの間、その手法で間違いないと信じて疑わなかった。


これで再生数も取れるしドラマの仕事も来るはずだと他人の考えを自分の中で正当化し、妙な自信を持っては仲間を引き連れ巻き込んだ。


1ヶ月だ。


人間はこの期間でどれだけ変われるだろうか。


全くの別人になることだって可能な程の期間だ。


僕はこの貴重な時間を盛大に失ったのだ。


自分の直感で生きていたらどうだっただろうか。


自分の会社のことをなぜ他人の考えのもと動かしていたのだろうか。


仲間たちはどう思ったのだろうか。


彼らは果たして僕ではない他人の意見に何かを期待するのだろうか。


それとも、他人の意見より僕の直感に全betしてくれるのだろうか。


少なくとも僕は、彼らは彼らの人生ごと僕に全betしてくれていると思っている。(思い込んでいる)


尚更、後悔しか残らなかった。


2024年3月の初め。


僕は例えどんな人からの声を前にしても最後は自分の直感を信じることに決めた。


それが成功した偉人であってもそうだ。


その人が成功したからといって、同じ条件を持たない僕が彼らと同じように成功できる確証なんてどこにもない。


それが博識な先輩方であってもそうだ。


沢山のアドバイスをくれたからといって、たかが僕にくれるアドバイスに命を懸ける程の責任を持ってくれる人なんてそうそういない。


その人がどんなに「自信を持っている意見だから」と言っても、「外れたら腹切ってやる」なんてことは言わないだろう。


でもこっちは会社を持って、仲間たちの人生を背負って、腹切る覚悟で経営してるんだ。


こんなにも覚悟が違うのに、そもそもそれに見合う程の責任を持ったアドバイスなんて簡単にできるものじゃない。


僕は、再び自分の直感を信じることができた。


これからエンタメの最先端を走るのなら、それが可能な男なら、そんな男の考えることや直感にはそれ相応の価値や信憑性がある。


よって、僕の直感には莫大な価値と恐ろしいまでの信憑性があるはずだ。


こうして僕は、今までInstagramとTikTokに投稿していたすべての動画を削除し、起死回生の一手を打った。



代表 奥田


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