秋色…



  天気予報も見ない日は…


夜、気温が気になった。今夜はなんだか毛布は暑いかもと思ったせいだ。

いつもなら日中一度は確かめるはずの、天気予報を見ていない。

ああ、天気予報を見ていない。

とるはずの、昼寝もしていない。

休日の普段のパターンならしていたことが、きょうはすべてイレギュラーだった。


何が起こったかの内容なんてさておく。

ただ、まさかと思うことが起きたとき、世の中の人々はどう対処してどんな気持ちなのだろう。


人って悲しい。

直感でしかないけれど、そう思った。

人って悲しい。


そして、わたしにとって、いちばん起きてほしくないことを想像もした。いちばん起きてほしくないことが起こるとき。

わたしはどうなってしまうのだろう。


けれども案外と、わたしはそれはそれで無事なのかもしれない。

案外と、飄々としているのかもしれない。


たとえば、男と女が夫婦としてあるいはパートナーとしてどれだけ長い時間をともにかけがえのない存在としてゆるぎなく在ったとしても


相互理解が、はたして出来ているものなのか。


そんな疑問が湧く。

ときには有り難く、ときには鬱陶しい。

ときにはかけがえなく、ときには絶望する。

支え合い、感謝をする。

嫌味を言い、ときにののしる。

それでも共にいる。


ふたりでひとつであり、そしてひとりひとりが存在する。


思いもよらぬことが起きたとき、かたほうは早く片付けて忘れたいと思う。

かたほうはそれの意味を知り、忘れずに明日へ生かしたいと思う。


思いもよらぬことが起きたのに、かたほうは知人との約束のために明日でかけようとする。

その切り替えの速さに圧倒されるかたほう。


まるででこぼこだ。あくまで合致はしないが、組み合わせることは可能のようだ。

そしていつの間にか相手に合わせる対策を身に着けてきたのだ。

その、すき間すき間に悲しみが詰まっている。

人って、悲しい。


人って、悲しい。

そしてかたほうは、そのような情緒的なものもかたほうが受け付けないことを知っている。

知っているということが、愛だ。

そうに違いない。


相互理解は難しいが、相互理解の難しさをわかったうえでともに生きているその前提を、ふたり以外の者から理解をうる事こそがいちばん困難なのかもしれない。


思いもよらぬことが起きたとき、もしふたりが悲しい言葉をぶつけ合うことが起きてしまったら…

それがいちばんかなしい。

そう思う。

わたしたちはきょう、そうではなかった。

わたしは感謝したい。


天気予報も見ず、昼寝もしなかったけれど。