2006年1月でした。
あたしが富士丸に出会ったのは。
ひとめ惚れでした。
クールな青い目 引き締まったボディ。
富士丸の飼い主「とうちゃん」の文章もよかった。
富士丸の魅力を、けなしながら、引きだすという手法。
「馬鹿丸」とか「ダメ丸」とか、よく書いてたね。
富士丸をけなせばけなすほど、とうちゃんがどれだけ富士丸を愛しているか
大切にしているかが、伝わってくるんです
富士丸な日々の人気が高まり、その年の4月25日に本が出版されました。
その本になんと、あたしのコメントも載せて頂いたのです。
本にあたしの文章が載ったことなんて、あとにも先にも一度だけ
もう、生涯ないでしょう。
当時、人気絶頂だったヨン様がファンを「家族」と呼んでました。
とうちゃんは、それに乗っかって、ブログにコメントを入れるみんなを
「家族」と呼ぶようになりました。
最近では、すっかり使わなくなってましたが。
もちろん、おちゃらけではあったものの、あたしたちファンも一体感を感じたものでした。
そのコメント欄の中から、自然と仲間ができ、別の場所で話をするようになって
メッセンジャーしてみんなで盛り上がったこともありました。
去年3月に次女の試合で東京へ行く機会ができた時
ホテルを取った横浜に、家族が11人も集まってくれたのです。
もちろん今でも、仲良くしてもらってます。
幸せなことだと思ってます
逢ったことはないものの、富士丸な日々がきっかけで長く付き合ってるのが、 まろちゃぶかーさん、エモちゃん
べにちゃん、うらりさーさん、きゅーちゃん、びすちゃん、まーちゃん
こんなにもたくさんの幸せな出会いをくれた富士丸が、10月1日に虹の橋へ行ってしまったのです。
コンスタントに更新をしていたとうちゃんのブログが止まった時
考えてはイケナイって思いながら、悪いことをずっと考えてました。
たぶん、家族みんな同じだったでしょう。
悪い予感・・・当たらなくてよかったのに。
富士丸には、とうとう一度も逢えなかったけど
あたしの中ではとても大きい存在でした。特別なわんこでした。
あんなにイケメンで、いい子は、なかなか居ません。
熟女キラーでもありました。(笑)
うん、泣いてばっかりだと、富士丸も浮かばれないから。
笑わなきゃ!
とうちゃんは、今自分を責めてるかもしれない。
なんで?どうして?って今辛いでしょう。
とうちゃんの疵が癒える日はまだまだ先でしょう
でも、富士丸が心配するから、立ち直ってね!
富士丸っち、長い間、ありがとう。癒してくれてありがとう。
自分のブログを見るよりも、まっ先に見に行ってたんだよー富士丸っち。
ミルキーあーぼも、いつかは、ソッチへ行くからさ
猫にもわんこにも優しい富士丸っちだからさ
遊んでやってね。
富士丸っち、大好きだよ~~お疲れ様。
安らかに眠ってね。合掌。