それはある日曜日のこと。

喜びいさんで購入したd●sneymobileが使用1ケ月目にして早々に起動不能に陥ったため、修理依頼をしに某携帯ショップへと足を運びました。

入り口で受付番号を受け取って順番待ちする間に、隣に腰掛けた小学1年生とおぼしき男の子が店のマガジンラックから取り出して、「これ。読んで。」と一冊の絵本を私に向かって差し出したのです。


おまえうまそうだな 作・絵 宮西達也 ポプラ社



お話のあらすじを話しましょう。


どういうわけか、(おそらく両親とはぐれた卵だった)ひろいところでひとりぼっちで生まれたアンキロサウルス(草食獣)の赤ちゃんが、ひょんなことからティラノサウルスと親子のような日々をすごすことになります。

それは、赤ちゃんを食べようとしたティラノサウルスが「ひひひ・・・おまえうまそうだな。」とよだれをたらしてつぶやいたのを、「ウマソウ」というのが自分の名前で、名前を読んでるこの恐竜は自分のおとうさんなのだ、とアンキロサウルスが勘違いしてしまったからでした。


えさとして食べるはずのアンキロサウルスに「おとうさん」と懐かれ、挙句「おとうさんみたいになりたい」とまで言われたティラノサウルスは、いつしかアンキロサウルスの憧れにふさわしい自分になろうと思い始め、父親らしく敵との戦い方や身の守り方などを教え、アンキロサウルスのあかちゃんを食べようとしたほかの肉食獣と死闘を繰り広げて、あかちゃんを守ろうとします。


そうして何日も何日もが過ぎて、教えることが何もなくなったとき、ティラノサウルスは種族の違う二人に別れの時期が来たことを悟るのです・・・。



無条件で愛してくれる者に出会ったとき、それに答えることによって、人は愛し方を覚えます。

ティラノサウルスはアンキロサウルスに恐竜界での生き方を教えたけれど、本当はそれより前にアンキロサウルスから愛し方を教わっていたのです。

家族とは血脈だけではなく、愛し愛された記憶の積み重ねによって築かれる信頼関係を指す呼称なのです。

二人の間には分かちがたい信頼関係が生まれ、さらに時間を重ねていくだろうと思われた矢先に、ティラノサウルスは究極の愛し方ー自分の幸せよりも相手の幸せを優先させることーを実行するのです。


・・・softb●nkのソファに腰掛けて、たったひとりの男の子のために朗読した私は、ティラノサウルスとアンキロサウルスの別れの場面を、うまく伝えることができたか心配になりました。

二人の別れの辛さだけが伝わってしまって、その先にある大きなものを伝えることができたか、心配だったのです。


でもね、小学生の彼は私にこう言いましたよ。


「アンキロサウルスはね、子供のころはティラノサウルスのことを覚えているけど、大人になったらぜったい忘れちゃうんだ。でもね、いいんだ、今だけでも、二人は仲良くできたんだから。」



 水文字をなぞる指先淡くして君の名前を幾たびも書く