リアルタイムは南米アルゼンチン・ブエノスアイレスのはず・・・♡
ごめんなさい予約投稿です!
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前回のブログで、死海について書きましたが、
イスラエルで死海に行くのであれば、
是非オススメの場所がもう一つあります!
マサダ国立公園。
紀元70年、ローマ軍はエルサレムに攻撃をはじめました。
そして約4ヶ月後エルサレムはローマ軍の手のものに・・・
追い詰められたユダヤ人はここ、マサダまで逃げてきて、
実にここで約2年間籠城しました。
マサダはこんな丘の上にあります。
ロープーウェイで私たちは登りましたが、上ると1時間半~2時間くらいかかるそう。
マサダにはユダヤ人が生活したあとがくっきりと残されています。
実にここに900人くらいが暮らしていたそう。
↑奥に見えるのが死海。
マサダからみるとちょっと遠いですね。
見てのとおり、マサダという土地、
作物も育たない土地、
水だって手に入りづらい土地、
こんなカンカン照りなこの干上がった土地で、
よくユダヤ人は2年間も生活できたものだなぁと感心してしまいます。
でもそこにはユダヤ人の知恵があって、
少しの雨水をも無駄にしない水路だったり、
作物を保存しておく倉だったり、
あるものを大切に大切にしながら、2年間生活していたそうです。
結局2年間の籠城ののち、
ユダヤ人は最後まで戦い続けました。
ローマ軍1万人対ユダヤ人900人。
その差は圧倒なのに、それでもローマ軍を2年以上も手こずらせたユダヤ人。
本当に尊敬します。
しかしながら、最後の結末は、
女子供7人を除く、967人のユダヤ人は集団自決という形で、
その尊い命を落とすこととなってしまうのですが、
ローマ軍に責められるのであれば、自決。
その民族の尊い誇り、信念にただただ圧倒されますね。
その誇り高き信念が今日のイスラエルという国を建国したのだと思います。
このユダヤ戦争後、2000年近く迫害の歴史をたどってきたユダヤ人。
マサダで自決したユダヤ人の祖先は
今のイスラエルをどう見ているのかな・・・なんて、
少し感慨深い気持ちになりました。