たった今、
「真由美、ママが死んだら、どうする?」
「ママが死んだら、このうち出て、お姉ちゃんの所、行く?」

って、訊かれた!

私たちは、この家を建ててから、病気やケガばかり。
特に私は、ずーーーーーーーーーっと咳が止まらない。
何度も病院へ行って、咳止めを 貰っても風邪薬を飲んでも、いっこうに治らない。

先日、先生に「あなたの咳はどうやら風邪じゃないから、一介の内科医には、治せません。」と言われた。
詳しく訊くと「アレルギーじゃないか」とのこと。
でも、私は花粉症でネコアレルギーなので、もう抗アレルギー剤は飲んでいる。
「それが効かないくらい、デカいアレルギー物質があるんじゃないか⁉」とも言われた。

それで、耳鼻科で、違う薬を処方して貰った。でも、完全には治っていない。
相変わらず鼻水ダラダラ!咳もゲホゲホです!
で、つい最近、同じ症状が母にも出ている。
ずーーーーーーーーーっと風邪だと思っていて、風邪薬を不本意ながらも、飲ませていた。何故って、体力が落ちるのが怖かったから…

母は先週、癌の再発を宣告されていた。
6年前、父が前立腺がんで亡くなった。
それから、約半年で、今度は母に大腸がんが見つかった。

年が明けて、手術を受けた。
軽い簡単な手術だと聞かされていた。
2時間くらいで終わりますよと。
でも、控え室で、持参した本を読み終えても、母は出て来ない。
看護婦さんがバタバタしはじめる。
姉と私は祈るしかなかった。

結局、6時間半かかって、母は出て来た。
ずっと昔の盲腸の手術痕が癒着していることに気がつかなかった。それで逆側からも切除せざるを得なくなった!とも。

大腸を半分くらい失った母は、それからずっと、止瀉薬を手放せなくなった。
お腹が緩い。
それだけでツライはずだ。

でも、母は退院して、わりと直ぐ、タラオの所に出掛けていった。
癌の事は内緒だった。

そんな母がある日突然、近くにマンションを探したい!と言い出した。
タラオが「ひとりで死にたくない」と言い出したためだ。
スマホで探すと、家から2分くらいの所にⅠLDKの中古が売りに出ていた。
2980万円。
あんまり綺麗じゃないけれど、今の住まいよりは格段の違いだ。

すると今度は、この家を建て替えて、一緒に住まないか?と言ってきた。
さすがに躊躇した。
でも、母が「このままじゃ、〇ちゃんが2年で死んじゃう」と言う!
妹も姉も、反対した。
でも、結局2年と言う言葉に押し切られた。

母はさっそく住林にアプローチ…
だが結局高嶺の花だ。家だけで5600万円は出せるわけがない!

いろいろなHMにアプローチして、結局すみふのキャンペーンを利用した。

家を建てるのって、結構体力を消耗する。
母は術後で、ムリはさせられない。
私も体力には自信がない方だ。

急いで、急いで、家が建つまでに1年かかった。
その間、タラオがしたことは、契約書にサインしただけ。それも東京から離れた春日部の超ドハズレの駅から20分以上歩く家まで、営業さんにご足労いただいて…

タラオは車を持っていない。
何でそんな所に家を買ったのか⁉
天下のすみふにまで、売却不可能!と言われた物件だ。
でも持っていても不用心だし、税金も掛かる。
結局、お隣さんにただで、貰っていただくしか出来なかった。
すみふさん曰く、徒歩20分以上と言うことで、駐車場のスペースが必要不可欠。でも建ぺい率、容積率の問題でそれは難しい。結局古家を壊し、更地にして売るしかないが、その料金の方が、土地の値段よりも勝ってしまうとのこと。
「安物買いの銭失い」とはこの事である。

タラオは、私たちより2カ月遅れて、引っ越して来た。要するに全て片付いた所に入りたい!と言うことなんだろう。

まぁ、あと2年の命だからね!イヤ、1年か?

6月の中旬頃、タラオはアー〇引っ越しセンターのラクラクお任せパックで、荷物を送りつけてきた。お任せだったのに、受け手の私たちは、結構手伝わされました。オマケに(というか、これが本題)タラオの荷物は全てと言っていいほど、カビだらけだった。箪笥と本棚の裏にはみっしりとカビが息づいていました。
強烈なカビ臭に、私たちはおののくばかり。その他、コートや革ジャン、靴、ほとんどがカビていました。
タラオからは電話で、「荷物、カビが生えてるんだけど、なんか引っ越し屋さんが特許のカビ封じ込めるシールを貼ってくれるから大丈夫!って言ってたから」とのこと。
えー(゚Д゚)今の家って、24時間換気システムで、家中の空気が循環するんだよね。

もちろん私は大反対しました。
でも、なんだかんだ言っても、施主。
母はタラオに何も言いませんでした。

タラオは、荷物だけ送りつけて来て、全部片付いた頃に、身ひとつで、来ました。

まぁ、病気なんだし、仕方ないよね~。

その日から、暴君タラオが誕生したのです。
まぁ、恐ろしい!
何にもやりません。
うちの母はタラオの姉ですよ。
5つ上です。

パンなんか食いたくないよ。
母さんは姉さんに何にも教えなかったのか?
ウチの母はおっとりとした…どちらかと言うとお嬢様です。戦前の学籍簿にも「士分」と言うハンコが押されていたそうです。長女だったので、大事に育てられました。

私のストレスは貯まる一方。
いくら施主と言っても、土地はウチの物。
土地代の方が高い!
母にいくら言っても、「〇ちゃんは身体が弱いから」で、終わってしまいます。

母も相当なストレスだったと思います。
私がタラオの荷物の下に敷かれたシートに滑って壁に頭頂部を強打してむち打ちになり、入院した時、神経性胃炎で入院した時、ひとりでタラオの相手をしていたんですから。

ちょうど、私たちが引っ越した頃に、術後3年の検査があって、何でもなかったんです。

でも、今年、5年の検査で、引っ掛かってしまいました。

私たちだけの頃、買い物は、直ぐそこのセブンでOKでした。
でも、タラオが来て、そのサイクルは一変します。
毎日毎日、雨が降ろうが雪が降ろうが、駅ビルまで行って、買い物です。
私たちは大家族ではないので、何か作るとそれを毎日毎日食べなければなりません。
それをヨシとしなかった母は、どんなに暑くても寒くても、身体がキツくても、出掛けて行きました。
もちろん、私も行きました。

私たちが雪の降る寒い中、咳き込みながら家に帰ってくると、タラオはぬくぬくテレビを観ています。
「毎日出掛けろ!なんて、ひと言も俺は言ってないぜ」

こんな人がおじだなんて。
母が居なければ、私はとっくに殺人犯になっています。

こんなタラオでも、たまーに散歩に行きます。
「散歩に行くなら、買い物して来てよ」と言うと、「買い物なんて、女子供がやることだ!男の俺が出来るか!!」

そのわりに、やたらとクサイヘアトニックとか買ってくるよね。

まさか、こんな人だとは思ってもみなかった。

そして、私が2度目の風邪をひき、ずーーーーーっと咳き込んでおりました。こりゃタマラン!!ってところで、病院に行きました。3度目の病院で、これはアレルギーだから、いくら来ても内科じゃ治らない!と言われるのと前後して、母にも残酷な検査結果が待っていました。

母は結果が出る日、なかなか帰ってきませんでした。
いつもは2時頃帰ってくる母。6時をすぎても帰ってきません。
いい加減に病院に電話をしようと思っていた所に、泣きそうな顔の母が帰って来ました。
私も癌患者でした。その顔で、全てがわかります。
「ママ、もうダメかもしれない」

その夜から、母はすっかりしぼんでしまいました。あんなに健脚だった母が、階段の上り下りにも苦労するようになりました。

タラオにも、一応今の状況を説明しました。
でも、あの人の態度が変わることはありませんでした。
あんなに毎日元気にお買い物に行っていた母が、寝ている時以外ほぼ、リビングのソファに座っているのに、ひと言も「大丈夫か?」の言葉もありません。

私は早い段階で、タラオの本性に気がついていました。
母に言うと、「〇ちゃんは身体が弱いから。」と言って、決して同調はしてくれませんでした。

その母がぼんやり言ったんです。
「ママが死んだら、お姉ちゃんの所に行く?」って…

私たちは、ここ数日、食べ物が喉を通らなくなりました。
殆ど、飲んでいます。
ジュースやスープです。
ひとり、大きい口を開けて、食べ物を待っているヤローが居るんで、仕方なく、今日もご飯を作りました。
でも、タラオの為じゃありません。
母にひとくちでも食べて貰おう!の一心です。
スッゴく長くなりました。
母のこと、誰か不特定多数の人にわかって貰いたかったんです。
「主観」と言われれば、そうかもしれない。
でも、私は弱い物イジメが大嫌いです。
私は生まれつき未熟児で、へその緒から入った毒で、敗血症になりました。そのせいで、ちょっと普通じゃないんです。
子供の頃は、結構辛辣にいじめられました。
だから、タラオとの同居を断らなかった。スッゴく後悔しています。
母が主張した…確かにその通りです。
でも、断っていれば、母とあの古い家で、今でも楽しくやっていたはず。
人をキライになりたくない!
偽善かもしれないけれど、そう思っていました。
今は、タラオがとにかく憎いです。

そして、私は、今回の投稿をもって、一旦筆を折ります。
そんなに書いてこなかったけど(笑)
母との時間を大切にしたいと思います。
来月petCTの検査があります。
その時に、笑っていられるように、母のケアに全力投球します。

コメントくれてもお返事出来ません。
ごめんなさいm(_ _)m