映画でひといき~時々、本、音楽とTVでもひといき~ -2ページ目

カレンダーガールズ

(以前のブログで、05年2月26日に記入したものです)

タイトル: カレンダー・ガールズ 特別版

2003年・イギリス
監督:ナイジェル・コール
出演:ヘレン・ミレン、ジュリー・ウォルターズ、ペネロープ・ウィルストン、シアラン・ハインズ

鑑賞形態:TSUTAYAでレンタル
○あらすじ○
 イギリス北部、ヨークシャーの小さな町。
 夫の営む花屋を手伝う主婦のクリスは、田舎町に退屈をしている元気な主婦。親友のアニーと共に地元の婦人会へ通っているが、招かれるゲストの話といったら、ブロッコリーの作り方だのといった、興味の持てないものばかり。
 そんな中、アニーの夫、国立公園の管理をしていた夫のジョンが白血病で亡くなってしまった。ジョンを偲ぶために、亡くなった病院へソファを寄贈することにしたが資金が足らない。
そこでクリスが思い付いたのは、婦人会が毎年作る、資金集めのための退屈なカレンダーの内容を、自分たちのヌード写真にする、というアイディアだった。
 紆余曲折の末、カレンダーは完成。大評判を呼ぶのだが、さらにまた、問題が。
 実話の映画化。

○感想○
 完全に実話ではないものの、普通のオバサンがヌードカレンダーを発売、という話のほぼ大筋が実話だということに、イギリスという国自体への興味が新たに湧き起こる作品。


 DVDには実際の婦人会の人たちのインタビューも収められています。彼女たちの大らかさというか、器の大きそうな人柄もまた、ステキです。
 何よりも驚いたのは、映画の中だけではなく、現実の彼女たちの夫も、彼女たちの行動に理解を示していることです。

 ちょっと困ったぞ、という描写はありますが、その後は淡々としたものです。
 映画には一人、まったく無理解の夫が出てくるので、現実のほうにもいたのかもしれませんが。


 映画では外部にカメラマンを頼んでいるのですが、現実では、ヌードになった主婦のうちの一人の旦那様。

 逆にイヤじゃないのか、他の主婦?


 さて、映画の中の主婦クリスには、思春期の息子がいます。
 ヌードカレンダーといっても、アートを目指したヌード、日常生活のひとコマを裸で撮る、というものなので、際どいわけではないのですが、息子にしてみれば母親が裸を晒すなどということは言語道断なわけで、落ち込んだ日々を過ごすことに。親友とのやりとりが、なんだか青春です。クリスの旦那さんの、起きたことを受け止める能力には惚れます。


 婦人会でピアノを弾く主婦が昔はバンドをやっていたり、一番におばあちゃんらしき人が元教師、教え子も出てきたり、主婦たちの会話の端々にもユーモアーが漂い、笑わせてくれます。撮影の日の様子も、普通っぽい異次元とでもいう具合で笑えます。
 脱ぐことを拒否し続けていた主婦が脱ぐことを決めたエピソードも面白かったです。


 目の前に現れた巨大な「やるべきこと」のために、家庭も顧みずに走り回るクリスと、カレンダーを出したことで家族を亡くした沢山の人から手紙を貰い、それへ返事を書く日々を送るアニーは、少しずつ、身に起きたことへの受け止め方がずれて行き、仲違いしてしまいます。仲直りも、変にペタリとしないやり方で見せてくれて良かったです。


 ジョンのためのメモリアルベンチを買うため、という企画だったのにもかかわらず、思わぬ勢いで売れに売れたカレンダー。

 彼女たちは白血病を研究する団体へお金を寄付しています。
 もちろん現実にも、彼女たちは寄付を続けています。ということは、まさか毎年、ヌードをとり続けているのか、ということはよく分からんままでしたが、毎年発売しているようです。


 ハリウッドへ招かれたシーンに、なぜかアンスラックス(米のメタルバンド)が出てきたので軽く驚きましたが、あれは何故だったんでしょう。単にアンスラックスが婦人会にシンパシーを感じていて出たのでしょうか??


 男性女性問わず、元気の出る映画だと思います。


 まさに裸一貫からはじめる人生(笑)。

 なかなか彼女たちのように、本当に裸になったことで成功することはないでしょうけれど、最悪なことが人生に起こっても、本当のどんづまりなんてないんだよ、という気分になれます。

列車に乗った男

(以前のブログで、05年2月7日に記入したものです)

タイトル: 列車に乗った男

フランス・2002年
監督:パトリス・ルコント
出演:ジャン・ロシュフォール、ジョニー・アリディ

鑑賞形態:TSUTAYAでレンタル
<あらすじ>
 ミランは列車に乗って、片田舎の町へやってきた。酷い頭痛がしていたので薬局へ寄ったのだが、発泡剤の薬を買ってしまったことにあとから気がつく。同じ時に薬局へ狭心症の薬を買いに来ていた老人、元フランス語教師のマネスキエが男に声を掛けて、ミランは老人の家で水を使わせて貰うことにした。引きとめられるがホテルに泊まると、挨拶だけしてそっけなくでて行くミラン。しかしシーズンオフで、ホテルは休業していた。
 仕方なくミランは、老人の屋敷へと逆戻りする。
 二人にはそれぞれ三日後の土曜日に、大きな予定が入っていたが、その大きな予定までのあいだに、全く正反対の生活を送ってきた二人が、お互いの生活に憧れを強めて行く。

<感想>
 これまた当たりのフランス映画。


 ちなみに老人役のジャン・ロシュフォールは、テリー・ギリアムの「ロスト・イン・ラ・マンチャ」でドン・キホーテ役をやっていたかた。このおじいさんの顔、実は結構、好きだったりします。品のいい暮らしをしてきたしかし胸には熱いものを秘めた老人の役が、とってもぴったり。


 おしゃべりで寂しい老人へ、なかなか歩み寄らないミラン役の役者さんも、ギターのブルースの流れる画面にとても似合っています。このまま接点なんか出来ていくのだろうかというほど、ミランは無口なのですが、徐々に心を開いて行く様子が、とても自然。
 どちらの側に立っても、ああ、分かるなぁと思わせてくれるし、非常に美しい映画です。


 たった三日間の一緒に過ごした時間なのに、二人の心に大きなものを残すのです。三日後、土曜日に控えた大きな予定は、どちらの男にとっても、パスできないもので、そこから決してハッピーとはいえないラストになるのですけれども、それなのになぜか、嫌な気持ちは残らずに見られます。


 不思議と心地良い映画なのです。


 さて、これ、近所のツタヤが閉店する最後の日に借りてきたのですが、そういう日にこんなにステキな映画に出あえてよかったなぁと思っています。


 大きなことが起こるのは、ほぼラストだけなのにもかかわらず、どうなっていくのだろうという興味を持続させていけますし、なにげないような出来事が、妙に心に染み入ります。
 老人とミランがそれぞれに相手に願い出た素朴な叶えたかったことや、それぞれが思い立って叶えてみたこと、どのエピソードもなにか、人間の心の美しい部分、無邪気な部分を綺麗に見せて貰ったような具合です。


最初、確かにミランは列車に乗って来たけれども、なぜこんなタイトルなのだろうと思っていましたが、最初とラストの両方があって、コレなのだなぁと納得。

 

華氏911

(以前のブログで、05年2月6日に記入したものです)

タイトル: 華氏 911 コレクターズ・エディション

2004年・アメリカ
監督:マイケル・ムーア
脚本:マイケル・ムーア

鑑賞形態:TSUTAYAでレンタル
<あらすじ>
 9・11が起こるまでは支持率も最悪、休暇取りまくりだったブッシュ大統領。
 9・11の朝、小学校でヤギさんの本を子供たちへ読んで入る時に、大統領の元へテロの一報が入った。それでもその場で瞳を泳がせているばかりのブッシュだったが、テロへの報復をなぜかイラクへの報復へ変え、戦争を始めて支持率が上がって行く。
 

<感想>
 どうも賛否両論あるようですけれども、非常に興味深い映画でした。


 楽しめる映画にするという監督のこだわりが、しかしこの映画の場合はウラ目に出ているのではないかとは思いました。ギャグの部分が浮いてしまうというのでしょうか。


 息子を亡くした人、死んでなお、火に焼かれ叩かれるアメリカ兵の死体、自分の子供は派兵しない上院議員ばかりの政府、ブッシュとビン・ラディン一族の黒いつながりの疑惑、もう、これだけでもいっぱいいっぱいなのだから、アポ無しはそのままでも良いと思うけれども、編集にもう少し、ドキュメンタリー色を強く押し出せれば良かったのではないかと思います。


 とはいえ、これが事実だとしたら、衝撃の一本。スタンディングオベーションが二十分続いたというのも納得の、驚愕の一本といえるでしょう。


 どこまでが真実かは分からないものの、確かに、銀のさじを咥えて生まれて来る幸運な人間はこの世に存在するようです。
 これを見る少し前に、筑紫哲也と爆笑問題が司会をするブッシュの番組を見たのですが、その中に出てきたブッシュを教えたことのある日本人教師が、ブッシュは素晴らしい出自を鼻にかけていて、貧乏人など知ったことではない、というような態度だったと語っていましたが、映画の中にもそれが窺えるようなエピソードがあって、やはりブッシュはキリスト教に目覚めようとなんだろうと、そういう人間なのかも知れない、と。


 まあ、いざ戦争となった時には、アルカイダという組織に対して戦争を仕掛けるのは、イラクという国へ仕掛けるよりも難しいところもあったのかも知れませんが、なぜ、巡り巡ればアメリカの金もふんだんに使われたはずのテロ組織の武器だというのに、いきなりイラクの武器を探す戦争をはじめたのでしょうか?


 アメリカ国民の大半が納得をして彼が再選したのか、はたまた映画の冒頭にあった、選挙に絡む不気味な憶測のようなことが起こったのか、どちらにしてもアメリカでこんなにも不透明なことが起こるぐらいだから、首相を選ぶ権利を国民が持たない日本では、余計に、国民は政治のかやの外だろうなと思いました。

パリのレストラン

(以前のブログでは、05年1月25日に記入したものです)

タイトル: パリのレストラン

1995年・フランス
監督:ローラン・ペネギ
出演:ステファーヌ・オードラン、ジャック・ガンブラン、ミッシェル・オーモン
○あらすじ○
 パリのレストラン「プチ・マルグリィ」は、その夜、三十年の歴史に幕を下ろそうとしていた。
 レストランを愛する人々や、シェフとウエイトレスを勤める妻の一人息子が最後を惜しむ会を催す。みんなは店の前のベンチに長年暮らすホームレスも招きいれて、パーティを楽しむ。馴染みの客、通りがかりに寄った客なども断らずに入れて、最後の夜が過ぎていく。
 最後を惜しむ回に集まった人々の少し入り組んだ部分もある人間関係、回想の中、なぜシェフは情熱を傾ける仕事をやめることにしたのか、という理由も次第に明らかにされていく。

○感想○
 またまた当りのフランス映画。


 シェフは朴訥なオヤジで、しかし皆に愛されていることが良く分かる。

 悪戯ボウズだった時代から修行した、情熱のこもった仕事をやめなければならなかった悔しさや虚しさよりも、シェフの真っ直ぐな人柄が描かれている。


 ふいに大昔の浮気を奥さんに告白する場面、ずっと使っている他国からの出稼ぎ者や、若い手伝いのシェフとの、一歩引いたようでいながら愛情はある関係、レストランを継いでくれずに作家になってしまった息子との関りあいや、全てをよく承知している妻との関係など、どれも暖かさのあるエピソードだ。


 集まった人々のあいだには隠されたトラブル、客の中に不倫をしているものがいて、しかも女性は妊娠してしまった、なんてものもあるのだけれども、そちらも含めて嫌な感じのしない映画。

 なぜ、息子の友人の連れて来た新妻は、雰囲気を壊してしまいそうなほど不機嫌なのか、一体、シェフは、店を継いでくれなかった息子とはいえ、息子がボールペンで清書して父に捧げた処女作の存在を、本当にシカトしてしまっているのか、といったことも、最後に明かされる。


 良くある話、なのかもしれぬ、しかし日常生活の中では少々突飛なこと、というような、回想や人間関係の積み重ねと同時にパーティも進んで行く話なのだけれども、そこがとてもいいのは、きっと話の捌きかたがうまいのでしょう。


 シェフの上っ張りに寄せ書きを書く場面、店のことをずっと見てきたホームレスのパーティへの参加と、彼が昔に見たエピソード、店に一番最初にやってきた、その後、ものもよく食べられなくなるほどよぼよぼになっても常連だったお客様のエピソード、最後の夜だというのに難癖をつける客が現れる――というように書くと、エピソードの羅列のような映画に見えるかもしれないけれども、決してそんなことはない。


 最後なのに難癖をつける客の話は、始まったところでは蛇足のような気がしたのだが、シェフがすかっとする方法で客をやりこめる。それがまた、最後に繋がってくるのだ。


 出稼ぎ外国人の、長年勤めていたのにお別れはあっさりしているという嘆きも、別にシェフが冷たいわけではなく、不器用な人なのだと良く分かる。

 ちなみにこの出稼ぎ外国人、きちんとフランス語は話せるし、すでにフランスに馴染んでいるのだけれど、なぜか「フォルティ・タワーズ」のマニュエルを思いだすキャラで、悲しい一面も持ち合わせているのに、どこかユーモラス。


 全体的にベタベタしたところのない、まさに小粋なパリ、という映画なのだけれども、「お」フランス、という鼻に付く風味ではなく、シェフの運命に人生の不平等さ(イヤ、逆に運命は公平だということなのか?)にも少し思いを馳せながら、でも暖かな気持ちのままエンドを迎えられる素敵な映画。
 

女はみんな生きている

(以前のブログで、05年1月16日に記入したものです)

タイトル: 女はみんな生きている

2001年・フランス
監督・脚本:コリーヌ・セロー
出演:カトリーヌ・フロ、ヴァンサン・ランドン

鑑賞形態:TSUTAYAでレンタル
○あらすじ○
 エレーヌの夫ポールは、実母がパリまで会いに来てもいない振りをしたり、一ヶ月から一ヵ月半のホテルでの滞在中も、やっと三十分を面倒くさそうにカフェで過ごすだけという男。
 ある夜、夫婦で夫の付き合いのディナーへ行くために、夫の運転する車で出かけたのだが、その車の前に助けを求める若い娘が現れた。しかし夫は、面倒なことは全て避けたい男。目の前で殴られている娘を尻目に、車に付いた血痕を気にする始末。エレーヌが救急車を呼ぼうとすることにも反対する。
 一方、一人息子も夫と同じような性格で、母が来ても居留守を使うような男に育ってしまっていた。
 エレーヌは目の前で血塗れになって倒れた女性のことが気になって仕方がなく、運ばれた病院を調べて駆けつける。そこで女性は植物状態になっており、エレーヌの訪ねた日には危篤状態に陥った。どうにも放ってはおけず病院へ泊まり、すぐさま仕事の休暇をとってつきっきりの看病を始めた。女性は身元の確かでない娼婦だと分かった。イスラム系の人種で、名前はノエミという。
 夫も息子も、都合のいいかたちでしかエレーヌを必要としない家を出て、献身的な介護を続けるうちに女性は快方へ向かう。
 しかし何者かが、女性のことをつけ狙っていた。

○感想○
 大当り! フランス映画は当る時には大きく当る。


 原題は「CHAOS」というもので、確かに混沌とした大混乱が起こるのだけれども、借りる当初はどんなものだろうと思った邦題、「女はみんな生きている」というのが、ピタリとくる映画。


 自分も仕事を持ってはいるものの、家事をするための道具のように扱われるエレーヌ、息子を大切に育て上げた挙句冷たくあしらわれるポールの母、実の父に結納金のために外国の年寄と結婚させられそうになり、逃げた先では親切面をした男に騙されてヤク中の娼婦にされてしまった、実は非常に頭の良いノエミ、成績優秀でありながらノエミと同じ運命を背負わされそうになっている妹のゾラ、みんなみんな、一つの確固とした人格を有しているのに、踏みにじられている。

 しかも、娼婦として捉われていた場所から逃げ出して人権擁護団体へ駆け込んだノエミは、人権派なのであろうオッサンに、神の名を穢した女は出て行けと、人とも思えぬ言葉で追い出されるのだ。


 ノエミがつけ狙われている相手の正体が分からず、サスペンス的なノリも楽しめるし、エレーヌの自立、ノエミを痛めつけた男たちのひとりを路地裏で材木で殴り倒してしまう大胆さも楽しめるし、エレーヌに出ていかれたせいで生活がめちゃくちゃになっていく、それでもまだエレーヌを道具として必要としているようなポールや、二股をかけたせいでいい気になっていたはずがヘコまされていく息子の様子はコメディのようだ。

 それでいてノエミの置かれた過酷な運命にはシリアスなものがある。なるほど、確かに「CHAOS」というタイトルも、ピタリときているのだろう。


 エレーヌの不在にもたいして懲りない、ポールと息子に目に物を見せてやるノエミにもスッキリ。
 最終シーン、これはシリアスでハードな面も持つ御伽噺なのかもしれないけれども、晴れ晴れと嬉しい気持ちになれることだろう。

カイロ紫のバラ

(以前のブログで、05年1月7日に記入したものです)

タイトル: カイロの紫のバラ

1985年・アメリカ
監督:ウディ・アレン
出演:ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルズ、ダニー・アイエロ、エド・ハーマン、ダイアン・ウィースト

鑑賞形態:以前に鑑賞後、TSUTAYAででレンタル
○あらすじ○
30年代の戦中で不況時のアメリカ、ニュージャージー州でのお話。
酒飲みで賭け好き、浮気症の上に無職の夫を持つシシリアは、小さな食堂でウエイトレスをして家計を支えている。厳しい現実の中でも何処か夢見がちで、仕事でも失敗続きの彼女の娯楽は映画を見ること。
馴染みの映画館では「カイロの紫のバラ」という、上流階級と冒険家の話をやっていて、シシリアは夢中になる。
ある日、ウエイトレスをクビになって落ち込んだシシリアが、映画を見続けていると、スクリーンの中の冒険家のトムが、「この映画が好きかい?」と話しかけ、スクリーンから飛び出して来てしまった。

○感想○
 1985年、カンヌ映画祭国際批評家連盟賞受賞作品。


 とても好きな作品に対して、自分の住む世界とはまた別の世界にあり、中の人物たちもまた、俳優さんたちとは別に、その世界で実際に生きている人間、と感じたことはないだろうか?


 映画に限らず、書物、テレビ、漫画、創作物の諸々に対して、誰もが一度は抱く夢物語を映画化した作品だと思う。非常に好きだから、ここではないどこかには実際に存在する世界、という空想が、現実のものとなってしまう。
 シシリアの生きる現実は厳しく、だからといって堂々と浮気をして金をせびる夫の元を去る勇気はない。元々が夢の中に漂っていたいタイプの女性だというのに、あまりにも辛い生活をどうにかやっていくことだけが彼女の現実なのだ。


 そこへ、世の中の誰よりも何よりもシシリアを愛していると、理想の容姿と性格を持った男が告げるのだ。リアルな存在ではない彼は、現実世界の愛の告白など比べ物にならぬほどの純粋さを持って、シシリアを愛する。


 しかしもちろん、スクリーンから架空の存在が飛び出すのだから、大騒動が持ち上がる。演じた俳優も、抜け出した分身が悪さでもしたらキャリアに傷がつくと、大慌て。トムを演じたギルとも、シシリアは鉢合わせをしてしまうが、彼の映画をほとんど見ていたシシリアは意気投合する。


 現実の生活にも光が差したかのように見えるものの、現実は厳しい、という形で映画はラストを迎える。


「誰にも愛されたことのないわたしが、今は二人の同じ人に愛されている」と、トムとギルの告白のあいだで戸惑ったシシリアの感情が悲しい。結局、彼女は本当に、夢を見るばかりの女だったのかもしれない。とはいえ言いかたを変えれば、現実の本当の厳しさを肌で知っているはずなのに、それでもまだ、夢を見ることの出来る女性ともいえる。
 寂しさと虚しさの中で、「カイロの紫のバラ」のあとに上映された「ジンジャーとフレッド」を見ながら、次第に明るい表情を取り戻す彼女は、きっと端から見ればかなり不幸な女性だけれども、心の中に不思議な強さがあるのだろうと思う。


 私自身もあまり現実的な考えを持てないが、彼女ほどの厳しさの中に身を置いたこともないから、彼女ほどの強さは持っていない。

 現実的な人から見れば、彼女の強さは途方もなく弱い現実逃避かもしれないが、心を守るものを持つ彼女はきっと、ひどい夫の元へ帰っても、どうにか生きて行かれるだろう。そこが救いだし、下手にハッピーエンドでなくても構わない、という気分にさせる。


 それにしても、もうフィルムからは二度と抜け出せなくされてしまったであろうトムに、まだ何かを言ったり考える権利があったとしたら、自分を演じたギルの、非常に現実的で合理的な冷たい仕打ちを、どんな風に攻めるだろうか。


 けれども、空想の世界の理想は、現実の中では無力なのだ。それでいてなお、シシリアのような女性にとってはある主の力となる。


 ファンタジックな部分だけではなく、色々と考えさせられる映画だった。

ポーリーヌ

(以前のブログで、04年12月31日に記入しました)

タイトル: ポーリーヌ

2001年・ベルギー
監督:リーフェン・デブローワー
出演:ドラ・フェン・デル・フルーン、アン・ベーテルソン

鑑賞形態:TSUTAYAで鑑賞
☆2001年度カンヌ映画祭キリスト教会賞受賞作品。
○感想○
 ポーリヌは、靴紐も自分では結べず、パンにバターを塗ることすら一人では出来ぬ障害を抱えて生きている。
 切り抜き帳に大好きな花の写真を貼ることと、葉何水をやることが大好きな老女。すぐ下の妹はオペレッタの女王を三十年間も勤め、素敵な洋服を、素敵な包装紙で包むお店を経営しており、ポーリーヌはお店も、妹のポレットも、大好き。
 ずっとなにくれとなく面倒を見てくれていたお姉さんのマルタがある日突然に亡くなってしまった。遺言は、ポレットか、若い頃に田舎町を捨てて出ていった末妹のセシールのどちらかが、ポーリーヌの面倒をみることで遺産を譲るという条件を出していた。
 ポーリーヌは遺産を放棄してもいいからポーリーヌはひき取らないで施設へ入れると主張するが、結局、施設は一杯で、少しの間というつもりで、ポーリーヌを引き取ることにした。

○感想○
 なぜ75分という短さにまとめてしまったのだろうと思えますが、一方、夢物語的な雰囲気を残すためには、この長さまで切る必要があったのかもしれないと思わせます。


 ポリーヌの出来ないことは沢山あります。

 映画には出てこなかったものの、お風呂、トイレ、歯磨きといったことも出来るわけのない彼女の全てを見せなかったからこその、重苦しさを感じさせない映画なのだろうと思います。


 ずっと、全ての面倒を見ていた姉の死にも、「マルタは車に乗って行っちゃったの」としか言えないポーリンの世界は、とても狭いです。

 しかし母親の死を理解出来ていないと妹たちに言われると、「お母さんはベッドで死んだの」と、死を理解しているかのようなことを言い、非常に長い時間をかけて理解を深めているのかも知れないと窺わせます。


 姉がいなくなったことを、起こってしまったどうにも出来ないものとでもいうように受け入るポーリーヌは、すぐ下の妹、憧れの存在でもあるポレットの美しい家で満足して暮らします。

 ポレットはポーリーンに、自分でパンにバターとジャムを塗ることを覚えさせます。どうもマルタは、ポーリーンにメモを持たせての買いものはさせていたものの、ほとんど全てのことをやって上げていたらしいことが、この生活から窺えます。


 しかしポーリーヌにしても、全ての面倒を見てもらいたいわけではなく、自分でできることを見つければ、喜んで出来るのです。


 ポーリーンにとっては、美しいものに囲まれた、素晴らしい衣装を着て歌を歌うポレットとの生活は、楽しくて仕方がありません。
 しかしポレットにしてみれば、負担は大きいばかり。優しく面倒を見てはいましたが、結局、都会でフランス人男性と同棲しているセシールに預けることにしてしまいます。


 セシールも、非常に心をくだいてポーリーヌの世話をしますが、フランス人男性とポーリーヌの中は芳しくなく、セシールのくれたオルゴールに精神の安らぎを求めていたポーリーヌはある朝、セシールの財布からお金を抜いてタクシーに乗り、ポレットの家へと帰ってしまいます。

 

 再び、ポレットとの暮らしをポーリーンは始めますが、ポレットはもう、オペレッタの女王を引退して店もたたみ、海沿いで有裕司的に生活すると言う人生設計が出来ており、結局、ポーリーヌは施設へ預けられてしまいます。
 ポレットが店を売ってしまうという話に戸惑いや怒りを見せたポーリーヌでしたが、施設では鳥を好きな青年と仲良くなって、それなりに楽しく暮らします。


 しかし全てを置いてのびのびとした暮らしを手にしたハズのポレットが、今度は寂しくてたまらなくなるのです。


 ポーリーンは、邪気のない無垢な存在として描かれていますが、ポーリーンの世話をしなければならぬポレットやセシールの抱える苦悩は非常に理解出来るところがあり、さらに、フランス人男性に遠慮をしていたはずのセシールが、ポーリーヌ中心で生活してしまうことも、ポレットの寂しさも、同時に理解出来てしまう映画です。


 この映画を見ても尚、自分の家族にポーリーヌのような存在がいたとしたら、と考えた時の重さは拭える物ではないのですが、人間が人間として存在をすることの尊さを、知ることが出来る映画だと思います。

解禁!ジョージ・ブッシュ伝 噂の真相

(以前のブログで、04年12月21日に記入したものです)

タイトル: 解禁 ! ジョージ・ブッシュ伝 噂の真相

2002年・アメリカ
監督:スキ・ホーリー、マイケル・ガリンスキ
出演:J.H.ハットフィールド、サンダー・ヒックス

鑑賞形態:TSUTAYAでレンタル
○あらすじ○
 1999年、米大統領候補だったジョージ・W・ブッシュの暴露本的内容を持つ伝記を、J.H.ハットフィールドというジャーナリストが出版した。
 70年代、ブッシュ二世は麻薬で逮捕された経歴があるとすっぱ抜いた「幸福な息子」はセンセーショナルだったが、やがて他のジャーナリストによって、ハットフィールドの過去、殺人未遂の共謀者で刑務所に入っていた過去が暴露され、本は回収され絶版にされてしまう。
 しかし出版界のパンクと呼ばれる若き出版社社長サンダー・ヒックスが、再版のために手を尽くすことを決めた。

○感想○
 私は不勉強でこの本の存在を知らなかったものの、まず結果を先に書くと、ハットフィールドは様々なプレッシャーに負け、自殺してしまいます。


 ブッシュを巡る、麻薬使用疑惑だけではなく海外派兵拒否疑惑などの真相は、分からないままではあるのですが、がむしゃらにつき進むヒックスと、人生に疲れはじめているハットフィールドの交流は、悲しい結末に辿り着いてしまうと分かっていても、見る価値はあると思いました。


 なにが真実で、なにが策略なのか。答えはありません。

 なにしろ彼ら二人に反発する側もそれなりに公平に取り上げられていますが、中心にいるのは彼らであり、見ているこちらにとっての真実は、彼らの真実とイコールに限りなく近い所で結ばれてしまうはずだからです。少なくともブッシュ支持者が見るのではない限り。


 大きな金の動くところでは、全てがあやふやになってしまうのかもしれませんが、少なくとも自分の中では、真相を推測する一つの手段にはなりうるものではあります。


 最初は一山当てるために、しかし最後のほうではもはや、金にならぬままで本を売らねばならぬ二人の様子、まだまだ人生これからの若者と、大きな挫折を味わった上にプレッシャーまでかかった中年の様子は非常に興味深いです。


 幼い娘を残して死を選ぶ男の終わりに向かって行く人生と、出版に失敗しても挫折しても前進して行く力のある若者の人生の交錯は、ブッシュにまつわる疑惑と同じくらい、興味を持って見られると思いました。


 タイトルは奇を衒った感じだし、それでいて中身は地味な映画ですが、「これがアメリカなのだ」とも思わせる、なかなかいい一作でした。

殺人ゲームへの招待~Clue~

(以前のブログで、04年12月13日に記入したものです)


1985年・アメリカ
監督:ジョナサン・リン
出演:アイリーン・ブレナン、ティム・カリー、マデリーン・カーン

鑑賞形態:TSUTAYAでレンタル
○あらすじ○
 とある大邸宅に招かれた6人の男女たち。そこには執事とメイド、料理女がいたが、招待した人間は不明のまま、会合は続く。集まった全員、本名ではなく色にちなんだ偽名を使うことを要求される、風変わりな晩餐会だった。招待客の最後の一人、ミスター・ボディ不在のままでディナーは進んでいくが、客たちは招いたのはボディなのだと思い込んでいる。
 実は呼ばれた全員には、本人たちには察することの出来ないつながりがあった。ボディからそれぞれの理由で、強請りを受けていたのだ。ボディがやってきて、みんなの恐喝されているネタが明らかになっていくのだが、さらに、以前にボディに仕えていた執事こそが招待主だったのだと判明する。ボディへの恨みを晴らすべく、被害者たちみんなでボディを告発しようと思っていたのだ。そのために警官も呼んでいる、45分後にはやってくるのだという。
 しかしボディはみんなに、強請りのネタを警官に知られないために執事を殺そうと持ちかける。ボディは様々な凶器を屋敷に持ち込んでおり、招待客たちに配り始めた。ところが不意に停電が起こり、ボディが殺される。
 誰がボディを殺したのかが分からぬまま、さらに人が殺されていく。45分後には警察が来るが、犯人が誰とも分からぬまま、屋敷から外へ出る手段もなく、招待客たちは謎解きをはじめた。

○感想○
 イギリス生まれの推理を競い合うためのボードゲームを映画化にしたものなのだそうです。

  興味を持って調べてみたのでしたが、どうも完全に同じものは日本では発売されていないようです。
  

 さて、見はじめてすぐに思ったのが、「名探偵登場」(コロンボで有名なピーター・フォーク、小説家のトルーマン・カポーティなどが出ている、ミステリー風味のコメディ映画)を思い出したのでしたが、非常にコミカルに展開して行きます。

 

 見ながら推理、というほどには親切展開ではないものの、三種類あるラストは、どのラストだったとしても「なるほど」と思えるようなもので、しかもそこでもまた、ユーモアがきいています。 

 ラストの三種類は、それぞれを分けてみることも出来るし、つなげてみることも出来ます。私は時間の関係でつなげて見ましたが、その繋がり方もまた(多分、ここは順番が入れ替わったりしないと思うのですが)、ユーモアのあるものでした。


 ハラハラしながら笑いもあります、という具合で、これから感動しようなんて時には不向きですが、多少、頭を働かせながら、さり気なく洒落た知的雰囲気を味わうには、とても手ごろな映画です。

 大作ではないけれども、見ておいて損はしないだろう、というのでしょうか。


 なんとなく時間の空いた時なんかに見るのにうってつけだと思いました。
 それにしてもこのゲーム、もしも実際に持ったところで、もはや一緒にボードゲームを何人もで集まって楽しむことはしないから、楽しめないのではあるのですけれども、一度はやってみたい気がしています。


(05年5月17日:その後、『チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル』でこのゲームをプレイしているのを見たのですが、やっぱり面白そう)

グッバイ!レーニン

(以前のブログで、04年12月13日に記入していたものです)
タイトル: グッバイ、レーニン!
監督:ヴォルフガング・ベッカー
出演:ダニエル・ブリュール、カトリーン・サーズ、チュルパン・ハマートヴァ、マリア・シモン
鑑賞形態:TSUTAYAからレンタル
○あらすじ○
 1978年。アレックスの家族は、父親、母親、姉との四人で、幸せに暮らしていた。東ドイツ国民として。同じ頃、東ドイツから宇宙飛行士がはじめて選出されて宇宙へ飛び立った。彼は東ドイツの英雄だった。
 しかしほどなく、父が西側へ亡命してしまった。ショック状態になった母親は入院してしまい、子供たちとすら話をしない状態が続いた。父親は商用で行った西に、女を作って行ってしまったのだと、アレックスたちは聞かされた。数ヶ月して回復をした母は、社会主義にどんどんとのめりこんで行き、教師として精力的に活動をし、近所の人のために政府宛ての陳情書を考えてやったり、国に表彰されるほどの社会主義者になっていった。
 時は流れ、シングルマザーになった姉は大学に通っている。アレックスはテレビ修理工として働いていた。母はやはり、精力的な活動をしていた。しかしアレックスは、社会主義に嫌気が差している。ベルリンの壁崩壊を目前にした国内に起こるデモに、参加をする。
 デモの混乱の中、警官に押さえつけられている場面を、たまたまこっかに招待された式典へ向かう途中の母に、目撃をされてしまった。母はその場に倒れてしまう。介抱に向かおうとしたアレックスだが、そのまま逮捕されてしまった。処置が遅れたせいで、心臓発作で倒れた母親は、意識不明の重症に陥っていた。
 母が昏睡しているあいだに、ベルリンの壁が崩壊する。姉は大学を辞めて、バーガーキングでバイトをはじめ、職を失ったアレックスは、しかし国策の職業対策によって、衛生アンテナを取り付ける仕事を得た。
 姉はバイト先で西ドイツ出身の恋人を作り、アレックスは、仕事先では西出身の映画監督志望の青年と友達になり、病院で、実はデモの夜にも出会っていた、母の看護をする看護師と再会し、恋に落ちていた。
8ヵ月後。母が目を覚ました。
 再度のショックは母には命取りだと聞いたアレックスは、涙ぐましいまでの努力で、家に連れ帰った母親にドイツ統一を悟られぬように気を使う。

○感想○
 ベルリン映画祭・最優秀ヨーロッパ賞受賞作。


 ものすごく期待して見た映画でしたが、期待以上に良かったです。


 母親に東ドイツが存在することを信じ込ませるために続けられる努力は、言ってみれば、社会主義国家が国民を騙すやりかたに似たものではあるのでしょうけれども、生涯を社会主義に捧げた母親のことを思いやる息子の様子には、素直に心が温かくなります。

 まあ、最初の発作は息子の行動が原因なわけですが(とはいえ最後の方で、息子のせいだけではないのだろうな、と思わせる回想が、母親から語られます)、周りを説得したり、あるいは協力的な友人を得たということ以上だとさえ思える努力を、アレックスはします。そのうちにアレックスにとって、母に見せている嘘の国が理想にさえなっていきます。


 周辺に暮らす、統一を手放しに喜んでいるわけではない老いた人々も、非常にいい味を出していて、そんな中、たくましく資本主義にのっとった人助けをはじめる子供が出てきたり、ほんの十数年前のドイツで、こんな混乱があったのだな、ということ、混乱とまではいかなくても、戸惑いを隠せずにいる人々も存在したのであろうと考えさせられる事実、興味深いです。


 更なる発作を母が起こした時に主人公のとった2つの行動、父親を探すこと、統一ドイツのことを、母の気にいる形で見せて上げつつも教えること、というのも、気持ちが暖かくなります。


 ヒーローだった宇宙飛行士のその後の人生には驚かされます。


 パッケージに、笑えて泣ける、というように書いてありますが、笑いは随所に盛り込まれています。私は泣きはしなかったものの、だからこそ後味も良くて、ものすごく気に入りました。