※この記事は前回の記事の続きです。

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11歳の女児に起きた2度目の悲劇 

 

現在2025年。

今から39年前、

11歳だった私の身に降りかかった第2の災難について記します。

 

 

1986年━

季節は夏頃だったと記憶します。

 

当時の私は小学5年生として

「新宿小学校」に通学していました。

※「しんしゅく」と読みます

 

その事件は休日に友達と一緒に

遊びに行く途中で起こりました。

 

 

自宅から最寄り駅へ向かう道で不審者に遭遇 

▲改めて当時住んで居た地域をGoogleマップさんで確認してみました。

赤い線が歩私が友達と歩いていた歩道で❌印が事件現場です。

※画像自体は2022年9月に撮影されたものです

 

 

↓JR蒲田駅の外観🔍

▲蒲田駅(東口)

 

 

当時の私は、数人の友達と一緒に、

駅ビル内にある「サンリオショップ」に

お買い物に行こうとしていました。

ちなみに私が好きだったキャラはハンギョドン。

当時1番の推しキャラでした^^

(「推し」という表現はまだまだ無かった時代)

 

お買い物を楽しみにしながら、

うきうきと目的地である蒲田駅に歩いている時でした。

▲現場の様子。白線で囲ってある付近で事件が起きました。

ピンクの人型が私。赤が不審者です。

 

 

自宅から約300メートルほどの距離の地点で、

前方から歩いてくる人波の中から、

何か「異様な恐ろしさ」を放つ人物と目が合い、

瞬時に恐怖を感じました。

 

犯人は灰色の作業衣のようなつなぎを

着ていたように記憶します。

 

6歳の頃に遭遇した不審者と目が合った時と

同じ種類の恐怖でした。

 

「怖い人」からなるべく離れたかったので、

私は狭い歩道のなるべく内側を歩きながら、

友達の後ろをついて歩いて行きました。

 

本当は今すぐ走り出して、

その場から逃げ出したいくらい怖かったのですが、

急に逃げると逆に目立って追いかけられるのじゃないかと思い、

平静を装おって歩き続けました。

 

それでもその人物は、スススッと斜めに移動してきて、

私の近くに寄ってきました。

そして、すれ違う瞬間に、

私の右胸をバーン!と叩いてきました。

 

 

一瞬の出来事でした。

 

 

振り返ると、何事も無かったように

逃げるでもなく歩き去ってゆく犯人の後ろ姿が見えました。

 

またも私は本能的に危険を察知しながらも、

被害に遭うことを避けることができませんでした。

 

 

大変なショックでした。

全身から血の気が引き、

地面がぐらぐらと揺れるような感覚になり、

私はその場から動けなくなっていましました。

 

 

私の様子がおかしいことに気づいた友達が

「どうしたの?』と声をかけてくれましたが、

 

私は「具合が悪くなったから家に帰る」と

返事するのが精一杯でした。

 

一刻も早く、その場か逃げ出して家に帰りたい気持ちになっていたのを記憶しています。

 

そこからどうやって家に戻ったかは、

記憶に残っていません。

 

男子のフリをしていても無駄だった 

 

 

6歳の頃の性被害にあってから数年間の記憶を失い、

気づいた時には男装をして自己防衛をしていた私ですが、

この時も同じく、男の子の格好をしていました。

 

格好だけではなく、

自分のことは「ぼく」と呼び、

「なるべく男の子らしく」見えるよう、

常にガニ股で歩くように意識していました。

 

当時の私は、身の安全のために、

本当に「男の子に生まれ変わりたかった」のです。

 

 

子供なりにできうる限りの

自己防衛策を講じていたにも関わらず、

2度目の性被害に遭遇してしまったことが、

とてもとてもショックでした。

 

一緒に居た友達たちは、

普通に女の子の格好をしていたのに、

なぜ、「男の子であるはずの私」が狙われてしまうのか…?

 

6歳の頃の恐怖もよみがえり、

私は非常に混乱していましたし、

傷ついてしまいました。

 

 

今度も何も対処しなかった両親 

 

 

当時鍵っ子になったばかりの私は、

帰宅して直ぐに母のパート先(メガネドラック)に電話をして、

状況を説明しました。

 

すると母親はすぐに帰宅してくれました。

私の状況説明を聞いたにも関わらず、

警察に通報することもありませんでした。

 

母に説明をしながら改めて気付いたのですが、

その不審者は、毎日のように蒲田駅東口構内で、

「酔っ払いいながら独唱会」をしている人物だったのです。

 

友達たちも目撃してしなかったし、

周囲の通行人も誰も助けてはくれなかった。

(他人のことなど見ていられる町ではないので当然)

 

 

あるのは11歳の子供である私自身の証言だけで、

証拠があるわけではありませんでした。

 

 

だけど、母親として、保護者として、

大人として…

何かもう少しできる事があったのではないか?

…と、

大人になった今、振り返ると思います。

 

 

 

11歳の性被害後から発症した「皮膚むしり症」 

 

 

2度目の性被害に遭ったあと、

私はいつの間にか「皮膚むしり症」になっていました。

※詳しい事が紹介されているサイト様をリンクしてあります↑

 

心的ストレスが原因とされる精神疾患の1つだそうです。

当時はなぜ、自分がそのような状況に陥ってしまったのか、

皆目見当もつきませんでした。

 

 

私の場合の症状の出かたですが、

両手の親指から薬指まで、

皮をめくってははぎ、

歯で噛みちぎってしまいます。

 

血が出るまで止めることができず、

いつもバンドエイドをしているか、

指先が真っ赤な状態でした。

 

 

39年経ても治癒しなかった症状 

 

 

そして発症から39年経過しても、

この「皮膚むしり症」の症状は時々発症し続けていました。

 

数年間、症状が治まっていた時期もありました。

その期間は、自分が好む分野の勉強を必死でしていた頃でした。

 

両手を使って「好きな事をする」事が、

私にとっての1番の治療方法だと感じています。

 

好きな事に集中していれば、

指を噛む隙を与えないので、

結果、傷が治癒してゆく時間が与えられるからです。

 

この「皮膚むしり症」の根本原因が、

幼少期の性被害による心的外傷が

引き起こしていると判明したのは、

 

2021年46歳の頃からようやく自分の為に通い始めた

メンタルクリニックの治療過程でのことでした。

 

※追記📝

2026年2月上旬ーようやく症状が完全に無くなりました。

ブログを通して文章化し、

外界へ手放すことができた事が、

治癒への大きなきっかけだと思っています。

 

 

世界に絶望した後に迎えた「初潮」にまた絶望 

 

 

「6歳の頃、性被害に遭った瞬間から、

女の子としての自分の意識は、

一度死んでしまっていたように感じる」と、

前回の記事に書きました。

 

それでも生きてゆくために、

強くあらねばという防衛本能で作り出した

別人格「男の子の自分」を形成していたのではないかと、

今現在では診断されていますが…

 

 

「男の子になっても無駄だった」

「世界は狂気と危険に満ちている」

…という絶望感を感じていた最中…

 

11歳の冬、

私に初潮が訪れました。

 

呑気に赤飯を炊いて祝福してくれた母でしたが、

私にとっては何がおめでたいのか理解不能。

祝福の理由の説明も一切無し。

 

 

「大人の女性の仲間入りね」の笑顔に、

 

「それのなにがうれしいの?」という思いを抱きつつ、

愛想笑いを返すしか無かったのを記憶しています。

 

 

自分が女性であるいうことから逃れられない運命を悟り、

そこに希望を見出すことができなかった私は、

更に深く絶望して行きました。

 

生理が来るようになっても、

私の「男装」は変わらず続いていましたし、

「皮膚むしり症」も続いていました。

 

そんな「娘」の状態を一番そばで見ていた母は、

何を思っていたのか、

精神的ケアを試みようとはしていませんでした。

 

男の子用の衣類は自由に買い与えてくれていましたが、

精神的な部分へのケアは何もしてくれませんでした。

 

 

1986年ーメンタルクリニックは無かった? 

 

 

この記事を書いていて気になったので、

「1986年 メンタルクリニック」で検索してみました🔍

 

※以下青文字はAI解答です↓

【1986年当時の日本の精神医療は、人権問題が顕在化した「宇都宮病院事件」をきっかけに、入院中心の体制から地域ケアへの移行が模索され始めた過渡期にありました。また、現在の「メンタルクリニック」に相当する小規模な診療所は、まだ精神科病院に比べて数が少なかったと考えられます。 】

 

 

当時、私の両親は

男装を好むようになった娘の状態、

「皮膚むしり症」で傷だらけの私の両手を見ていたはずです。

 

現代のように、子供向けのメンタルクリニック等は

存在していなかった時代ではありますが…

せめてかかりつけの小児科医に

何か相談したりしようと思わなかったのか?

…と、

やはり憤りを通り越して呆れるしかないです。

 

 

性犯罪者の人々に知ってほしい罪の重さ

 

性犯罪者と予備軍の人々に知って欲しい「罪の重さ」 

 

 

約40年も治癒しない障害を負ってしまった身としては、

世の中の性犯罪者の人たちに、

 

「自分の行いが人間の脳の正常な機能を破壊し、

人の一生にも及ぶ心を殺してしまっているのだ」

…ということを知ってほしいです。

 

 

少し話は逸れましたが、

以上が11歳の頃の私の身に起きた性被害事件でした。

 

その後、

「歪んでしまった性への価値観」のもとで、

中学高校と成長してゆく私は、

「乱れた性の世界」に陥り、

17歳〜21歳まで翻弄されてしまいます。

 

成長の過程で、

心と身体の両方に、傷に傷を重ねた私は、

 

いつしか「母親の欲望を代行する操り人形」として、

完成してゆくのでした…。

 

 

 

「母が結婚したかった相手と娘(私)を結婚させる計画」

が、私自身の知らないところで着々と進行して行きます。

 

 

時系列が綺麗に書けませんが、

記憶をたどりながら、綴っていこうと思います。

〜つづき〜

「暗黒の中高校生時代」

はまた別の記事に記録予定です📝