美味しい物は私の癒し(*˙˘˙*) -4ページ目

美味しい物は私の癒し(*˙˘˙*)

高校生と中学生の
2児の母ちゃんです。

毎日色々ありますが

私の癒しは食べる事
( ‘༥’ )ŧ‹”ŧ‹”
綺麗な景色を見る事
空を見上げる事です。
ʷʷ((´艸`*))

皆様
よろしくお願い致します。

こんにちは(*´ `*)ノ

今日は、東日本大震災から10年ですね

震災で大切な方々を亡くされた皆様。
お悔やみ申し上げます。


あの日皆様はどのようにお過ごしでしたでしょうか。


母は当時、静岡県に住んでいて、引越しの準備をしていました。
下の子を幼稚園バスに迎えに行ったり、バタバタと過ごしていましたが、午後3時に地震が来て、急いでテレビをつけて確認したのを覚えています。
そして、あの津波の映像に絶句をしましたΣ( ̄□ ̄; )


母の実母は、宮城県女川町の島の人間です。母も、宮城県石巻市で産まれました。
親戚も、知り合いもほとんどが女川や石巻、矢本に住んでいたので気が気じゃありません。


当時、関東に住んでいた実母と伯父は。皆がどこに避難したのか?どうやったら安否確認ができる?と電話でやり取りをしていたそうです。


母はと言うと、早く安心させてあげたいと言う気持ちがあって、実母には内緒で1人でネットで探しまくり。引っ越しの準備もしなければいけなかったのですが、そっちのけで毎日毎日探しました。


そして、何気にGoogleを開いた時、避難場所の写真をあげていると情報があったので、そのページへ飛んだら、避難している方々の、名前や場所が沢山。
そこから色々な情報を得ながら、ほとんどの親戚が助かったと言うことがわかり実母にここに避難しているよ!と教えた記憶があります。

その後わかったことは、第二波に飲み込まれて亡くなった親戚のお子さんが1人と、親が心配で、車で子どもを保育園に迎えに行って、その足で実家に向かう途中に波に飲み込まれて未だに行方不明という事。


もしかしたら、この10年の間に変化があったかもしれませんが、その連絡は母の元にはとどいていません。


母は数年前に、宮城へ旅行しました。
変わり果てた街の様子、それでも人々は変わることなく、笑顔を絶やさず、
前を向いていました。

10年はあっという間。そんな気がします
節目の年かもしれません。

今は、中々行くことも出来ませんが
きっとまた、生まれ育った街へ行ける日が来ると願っています。



この新聞は、震災の次の日からの
静岡新聞の朝刊と夕刊です。

10年経ってしまったので色あせていますが、震災の記憶を忘れないように、これからもしまっておこうと思います。


長い文面を読んでいただきまして
ありがとうございました。