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マメシバのグダグダな日々

うつ病治療中の元職業プログラマーの雑記ブログです。

両親は私が中学3年生の時に離婚しています。

子供の私達はみんな母と暮らすことを選択しましたが、私はショックで友達に離婚したという事実を言えず隠したまま卒業しました。
高校では事実を打ち明けることが出来ました。気持ちを整理するのに少し時間が必要だったのだと思います。

高校卒業後は東京の専門学校に通いたかったので父と母とも相談し、父と一緒に暮らすことにしました。
就職したあとも父と暮らし続けましたが関係は良好とは言えず些細なことで喧嘩をしたりしていました。
顔を見るのが嫌になって仕事から帰ると自分の部屋で食事を取り、顔を合わせることなく一日が終わることが多くなりました。
父との暮らしに限界を感じていた私は一人暮らしをしようと思いお金を貯めました。
しかし「抑うつ状態」になって働けなくなった私は居場所がなくなりました。
母との関係は良好だったので母に相談して母の元に帰ることに決めました。
初めまして。

何から書き始めればいいいのか悩んだのですが、まずはうつ病に至った経緯を書きたいと思います。


採用された会社で最初に任されたのはゲーム開発用のツール制作でした。
いくつか作成したツールは問題なく動作し、ゲーム開発が進むに連れて要求される機能の拡張もうまくこなすことが出来ました。

開発が終盤に差し掛かり人手が足りないということでゲーム開発に参加することになりました。
ゲーム本体の開発は当時の私には少し難しく、度々上司の助言を得ながら開発を進めていきました。
バグはデバッグ時に全て自分で見つけ出し潰していったのでテストプレイ時に問題が起きることはありませんでした。

そして能力に問題はないということで正社員として採用されることになりました。


当時を振り返って考えてみると、すべてが上手く行き過ぎていたと感じます。


制作したゲームが発売されてからすぐに上司からWindowsのパッケージソフト制作の仕事があるから任せると言われ、私も快諾しました。

制作の序盤は問題なかったのですが、中盤に差し掛かるとクライアントからの仕様変更の要求が始まり終盤になっても変更が続きました。
仕様変更の都度プログラムの書き換えを行い対応していったのですが、求められる能力は私の限界を超えておりバグだらけになっていきました。

この頃から体調がおかしくなり始めました。
夜なかなか寝付けず目覚めても疲れが取れなくなりました。
仕事上でもコーディングが遅くなり「焦り」が出てきました。上司からも叱責されるようになり、焦れば焦るほど仕事が遅くなるという悪循環に陥りました。

最終的には納期を遅らせましたが無事発売することが出来ました。

このあと少し休暇をもらったのですが、「自分は無能だ、会社に迷惑をかけてしまう」と思うようになりました。
休暇が明けて次の仕事の話が来た時に、仕事を最後までやりきる自身がなくなり話を断り自主退職しました。

少し休めばまた自信を取り戻すだろうと考えていましたが、悲観的な思考は変わリませんでした。
これはおかしいと思い、近くの心療内科を訪ねてみました。
しばらく通院して「抑うつ状態」と診断されました。

それからアルバイトを転々としながら生活していました。
しかし、それが良くなかったのでしょう。症状がだんだん酷くなりアルバイトも辞めざるを得ない状態になりました。


こうして自立した生活ができない状態になり親元に戻ることになりました。


こんな感じです。いくつか病院を転院していますが現在も通院治療中です。