☆私はなぜこんなに目立つのが怖かったのか?
私はなぜこんなに目立つのが怖かったのか?ずっと、不思議でなりませんでした。ブログで文章を書くことはできるのにインスタやフェイスブックで自分の写真や動画を出すとなるとどうしても身体がすくんでしまう「発信したい」という気持ちはある。「前に出たい」という欲求も心の奥底には確かにある。それなのに、いざとなると強烈なブレーキがかかるのです。ずっと、私は「発信が苦手な性格なんだ」と思い込んでいました。でも、本当の理由はもっと別のところにありました「目立つ=攻撃される」という学習記憶を辿っていくとたどり着いたのは小学校2年、3年、4年生の頃の私でした。当時の私は、走れば誰よりも速く運動が得意な子供でした。運動ができる、走るのが速いことで自分では意識していなくても自然と周囲の視線を集める場所にいたのだと思います。そんな私に、男子たちは言いました。「いいカッコすんなよ!」「いい気になるなよ!」「目立つなよ!」今振り返ればそれは子供ゆえの照れ隠しや幼い嫉妬単なる冷やかしだったのかもしれません。けれど、当時の小さな私にとって、それは「世界のルール」として深く刻まれてしまったのです「目立つと叩かれる」「前に出ると攻撃される」その恐怖が、私の心の奥底で「生き残るための教訓」になってしまいました。顔を出すのは、あの教室の真ん中に立つことだから今でも、文章だけなら出せるのです。文字という膜が一枚あることで少し距離が保てるから。でも、写真や動画となると話は別です。自分の顔を出し、姿を出すこと。それは私にとってあの頃の教室の真ん中に一人で立たされる感覚そのものでした。私が発信に躊躇していたのは怠けでも、自信のなさでもありませんでした。ただ、私の細胞が覚えていた「神経の記憶」が必死に私を守ろうとしていただけだったのです。「目立つ=危険だぞ。やめておけ」と。守ってくれていた自分への感謝。このことに気づいたとき私は心の底からホッとしました。「どうして私はみんなみたいに前に出られないんだろう」と自分を責めてきたけれど私は弱かったわけでもダメだったわけでもありませんでした。ただ、小さな頃の私が、傷つかないようにずっと私を守り続けてくれていただけ。その「健気な防衛本能」に気づけたとき自分を許せるような気がしました。今の私はもうあの頃の教室にはいません。できることを隠さなくていい。自分を小さく見せて縮こまらなくていい。のびのびと自分を表現してももう誰にも攻撃されない場所にいます。だって私にはその力があるのだから。もしあなたも何かを表現したいのにどうしてもブレーキがかかるならそれはあなたの性格のせいではないかもしれません。かつてのあなたがあなたを守るために作ってくれた「優しいブレーキ」がまだ残っているだけ。そして今はもうそのブレーキを少しずつ緩めても大丈夫な自由な空の下にいるはずです本日もお読みいただいてありがとうございます♡