各方面から絶賛公開中のミッドナイトスワン
私も初日の舞台挨拶の日を含めて3回観た。

3回見てわかったこと。
凪沙は長い時間辛く苦しい思いをしてきたけど、一果と出会ったことで幸せを知った。
一果と一緒にいた時間は短いだろうが幸せだったに違いない。守るべきものができると人は強くなる。本来の力以上に頑張れる。それはきっととても幸せなことだとおもうから。
そして凪沙は絶望の淵から一果の訪問で最後の気力が湧いた。あの状態で海までなんて気力以外の何者でもない。凪沙は安らかに幸せを胸に最期を迎えたんだ。


監督さんはハッピーエンドじゃないと言う、
ハッピーエンドで終わらせちゃいけない、現実は、、って言う。
演じた本人は温かい気持ちになったと言う。
トランスジェンダーの辛さを知った上で
ひとりの凪沙として生きた剛の中に生まれたのは優しい気持ちだった。踊る一果をみて
柔らかい表情でキレイと言い続ける凪沙は
監督の想像していた凪沙だっただろうか?
監督さんのすごいところは
自分の思い描いた主人公凪沙と全く違った凪沙を剛が演じたことに口を挟まなかったことだ。5年もあたためてきた自分の描きたかった大事な凪沙をひっくり返されたようなものだろうのに剛の好きなように演じさせてくれた。普通ならそうじゃ無い!凪沙はこーゆ~人だから!って言いたくなるものなのに。
だから剛は自分は間違ってない、合ってる、良かった(笑)って誤解して(笑)剛の中に降りてきた凪沙がスクリーンの中で生きた。そして私達はその凪沙を見て入り込み凪沙に心を奪われてしまった。もしも、監督さんが剛にたくさん注文して剛の中の凪沙を消していたら違った映画になっていたんじゃないかとさえ思ってしまう。

剛は役と同化する。(という言い方が正しいのかわからないけど。)
役の人そのものになってしまうから台本に書いてなくても涙が出てしまうし台本に泣くと書かれていても泣けないことかある。役の人の心情を、見ているこちらに伝える事が上手いので私なんかはすぐに感情移入してしまう。ソコに生きてる人という目で見ることができるのは剛の、表現力なのだと思う。

任侠ヘルパーのとき、監督さんは、
ホントはコメディタッチだったが剛の芝居を見て方向転換したと言っていた。それは監督さんの柔軟性が剛に降りてきた彦一を存在させてくれたんだと思う。彦一も絶品だった。彦一は彦一にしか見えなくて、普段の剛とのギャップにオロオロして、どちらがほんとなのかわけがわからなくなった(笑)

嘘の戦争もすごかった
中学生円山も大好きだ
あげたらきりが無い
遡れば、いいひと。の時からずっと
剛の芝居に圧倒されてきた
私が落ちたのはおいしい関係の一馬くんだったわけだが(笑)脇でも目が離せなかった。

つまり
私はやはり剛の芝居が好きなんだ
役の人そのものにしか見えなくなる剛の芝居が私をその世界に連れ込む
そういう今までの集大成が凪沙だとしたら
この先、剛はどこまで進化し続けるのだろう
どうかこの先も
剛の持つ役者としての才能を生かしてくれる柔軟で視野の広い監督さんと巡り会えますように。

それにしても
私に文才が無いことが悲しい
あまりに陳腐なブログだとつくづく思う(泣)
伝えたいことが言葉にならない(笑)