現実はいくつもある想像の
ひとつの結果みたいなもので
今目にしている現実が
想像したものと違っていたとしても
わたしが想像した別の現実が間違いだった、
というわけではないのではないかしら
だって
想像できたということは
必ずそこにある何かを観測していたわけで
たしかにそこに「あった」ものなのだから。
愛のカタチもきっと
ひとつではなくて
決断したそのカタチの愛も
そうしなかったカタチの愛も
間違いも正解もなくて
それの大きさも尊さも
そこに「ある」のだから
カタチはどっちでもよいのかもしれない
そしてまた
違う次元には
わたしが今目にしているものとは別の
結果があるのだろう
だからどちらにしても
どちらの想像と創造にも
ありがとう
そしてそんなふうに考えても
やっぱり寂しさもわたしのなかに
はっきりと「ある」けど
それでも
心を込めて
おめでとう
きっと彼も
笑顔でそう言っているハズ。
