白鵬関の優勝インタビューの発言から、大久保利通が気になって追いかけ続けた今週。
とうとうすっきりする解答を見つけました。
「大久保利通」「大相撲」「明治帝」にこだわるから答えが見えなかったんです。キーワードから「大久保」「明治帝」を外し、ただ「明治」の「大相撲」だけで検索すればよかったんです。
ヒットしたのは国立国会図書館のサイトでした。→こちら
結論からいえば、大久保や伊藤ら政治家が復権のために働いたかもしれません。でもそれは些末なことでしかないでしょう。それよりも逆境にまけずに継続して踏ん張った力士、親方、行司ら関係者、それを支えたタニマチの応援こそが相撲を復権させた第一の要因だったと思います。
それにしても江戸時代、あれだけスターとして庶民から喝采された力士は、断髪令と裸体禁止令のおかげで時代遅れな犯罪者へ突き落とされることになりました。もしかすると”江戸期に庶民のヒーローだったお相撲さん”の立場は、”軍国主義で国民の英雄だった兵隊さん”と同じなのかもしれません。こないだまで庶民の憧れだったのに、時代が変われば「もうイラネー」。
「相撲不要論を黙らせるために消防別士組を組織して庶民の役に立ってもらおう」という新聞投書。もう”強い””逞しい”はいらないという時代に”強い””頼りがい”を看板にする団体をどう認めさせるか、どうしたら世論の逆風をひっくり返して相撲に市民権を持たせられるか。これは憲法9条後の自衛隊問題に似てるんでしょうね。作戦としては災害ボランティアに役立てて市民に認めてもらおう、みたいな。
この火事場の力仕事に力士を使うことを目的とした「消防別士組」が明治9年に組織されると、次第に働きが認められ、明治11年「角觝並行司取締規則及興行場所取締規則」を警視庁が発布。この規則さえ守れば相撲していいよという警視庁のお墨付きを得て、「相撲不要論」は下火になったそうです。
あとは興行として成り立つ程度にお客さんに来てもらうだけ!
こっから先はプロレスの力道山や、プロ野球の長嶋茂雄みたいなもんですよ。万民に「すげー!」と言わせる圧倒的なスターが出ればいいんです。それで人が集まり金が集まる。そこへ有名人や権力者が「ファンです」と言うだけでブランド力があがる。
この時期の大相撲にとって、スターは梅ヶ谷藤太郎であり、ブランド力をあげた有名人は明治帝だったということだったみたい。
この時の天覧相撲が記録に残る明治17年芝離宮延遼館における天覧相撲のことらしい。きっと後楽園における村山実vs長嶋茂雄の天覧試合のように語り継がれるような晴れやかな印象を庶民に与えたんでしょうね。
そんな風景を思い浮かべたとき、裏で陛下が「相撲見たいから企画しといて」と伊藤に頼んでいようが、陛下の意を受けて伊藤が張り切って段取りしようが、帝を担ぎ出すまで場をあっためて盛り上げた現場の力士と裏方と、谷町をはじめとする贔屓のみんなの頑張りの方が印象に残る気がします。キラキラしてたと思います。いや、天覧相撲のその日、陛下も伊藤もきっとキラキラしてたんでしょうけどね。
とうとうすっきりする解答を見つけました。
「大久保利通」「大相撲」「明治帝」にこだわるから答えが見えなかったんです。キーワードから「大久保」「明治帝」を外し、ただ「明治」の「大相撲」だけで検索すればよかったんです。
ヒットしたのは国立国会図書館のサイトでした。→こちら
結論からいえば、大久保や伊藤ら政治家が復権のために働いたかもしれません。でもそれは些末なことでしかないでしょう。それよりも逆境にまけずに継続して踏ん張った力士、親方、行司ら関係者、それを支えたタニマチの応援こそが相撲を復権させた第一の要因だったと思います。
それにしても江戸時代、あれだけスターとして庶民から喝采された力士は、断髪令と裸体禁止令のおかげで時代遅れな犯罪者へ突き落とされることになりました。もしかすると”江戸期に庶民のヒーローだったお相撲さん”の立場は、”軍国主義で国民の英雄だった兵隊さん”と同じなのかもしれません。こないだまで庶民の憧れだったのに、時代が変われば「もうイラネー」。
「相撲不要論を黙らせるために消防別士組を組織して庶民の役に立ってもらおう」という新聞投書。もう”強い””逞しい”はいらないという時代に”強い””頼りがい”を看板にする団体をどう認めさせるか、どうしたら世論の逆風をひっくり返して相撲に市民権を持たせられるか。これは憲法9条後の自衛隊問題に似てるんでしょうね。作戦としては災害ボランティアに役立てて市民に認めてもらおう、みたいな。
この火事場の力仕事に力士を使うことを目的とした「消防別士組」が明治9年に組織されると、次第に働きが認められ、明治11年「角觝並行司取締規則及興行場所取締規則」を警視庁が発布。この規則さえ守れば相撲していいよという警視庁のお墨付きを得て、「相撲不要論」は下火になったそうです。
あとは興行として成り立つ程度にお客さんに来てもらうだけ!
こっから先はプロレスの力道山や、プロ野球の長嶋茂雄みたいなもんですよ。万民に「すげー!」と言わせる圧倒的なスターが出ればいいんです。それで人が集まり金が集まる。そこへ有名人や権力者が「ファンです」と言うだけでブランド力があがる。
この時期の大相撲にとって、スターは梅ヶ谷藤太郎であり、ブランド力をあげた有名人は明治帝だったということだったみたい。
この時の天覧相撲が記録に残る明治17年芝離宮延遼館における天覧相撲のことらしい。きっと後楽園における村山実vs長嶋茂雄の天覧試合のように語り継がれるような晴れやかな印象を庶民に与えたんでしょうね。
そんな風景を思い浮かべたとき、裏で陛下が「相撲見たいから企画しといて」と伊藤に頼んでいようが、陛下の意を受けて伊藤が張り切って段取りしようが、帝を担ぎ出すまで場をあっためて盛り上げた現場の力士と裏方と、谷町をはじめとする贔屓のみんなの頑張りの方が印象に残る気がします。キラキラしてたと思います。いや、天覧相撲のその日、陛下も伊藤もきっとキラキラしてたんでしょうけどね。







