2日目はいよいよ今回の旅行の目的でもある東日本大震災の被災地を訪ねます。
気になるお天気は・・・
午前中は雲が多いながらも一日良いお天気に恵まれました。
蔵王温泉を出て3時間半、12時に宮城県の南三陸町に到着しました。
ここから震災を体験されたボランティアガイドさんが乗車されて当時の様子を
聞きながら被災地を訪ねました。
ボランティアの方
南三陸町の海岸沿いを40分ほどかけて回ります。
海岸沿いを通るとずいぶん片付けられてはいるもののまだ生生しく残っているのもありました。
津波で壊れた水門と堤防
車窓から見た風景
途中、高台にある中学校まで来ました。ここで当時の様子を聞きました。
南三陸町立戸倉中学校
当時、津波に襲われるまでグランドに避難していたため先生・生徒たちが
津波にのまれました。グランドは校舎より一段低いのです。
でも学校自体は高台にあるので地域の避難場所にもなっていたんだそうです。
学校は高台にあったため津波は両側から挟むように写真の校舎の一階の
窓の辺りまで押し寄せてきたそうです。
グランドにいた人達はまさかここまで上がって来るとは・・・
みんなで山の方に逃げたそうですが先生と生徒さん2人が流されてしまいました。
今年4月 生徒が今以上増えないとして他の中学校に併合されました。
津波が襲った2時49分で時計は止まっています。
高台にある中学校から見える海
向うに壊れた建物も見える
グランドから下を見ると嵩上げの工事をしています。
嵩上げ?
高台の中学校が津波に呑まれたのにその下にある所に何mかの嵩上げって
意味があるのか? なんてこと考えてしまいました。
こういう光景をあちこちで見ました。
嵩上げをしているんです。復興が着々と??進んでいます。
そして・・・・・
防災対策庁舎
屋上の床上約2mの高さまで津波が押し寄せ骨組だけが残っています。
まだ撤去されていませんでした。
震災当時、防災無線で避難を呼びかけ続けて津波に流された遠藤未希さんの事
屋上のアンテナや階段にしがみついて11人の方が助かったという事
おじいちゃんと孫、津波が来ると分っておじいちゃんは家の2階、孫は家に戻れなくて
近くの電柱によじ登って助かり
目の前でおじいちゃんがいる家が流された・・・
話す方も聞く方も涙・涙・・・
当時、テレビで見たあの映像が蘇ってきました。忘れられない光景です。
2015年3月までは解体されないそうです。
今、海はこんなに穏やかなのに・・・・・
人の命をたくさん呑みこんだなんて信じられないです。
次は仮設の「さんさん商店街」へ行きます。
津波で店舗を失った32店舗の店主さん達が開いている商店街です。
先日、天皇皇后両陛下が訪問されましたね。
商店街の入り口の横にモアイ像
うしろに見えるのは仮設住宅です。
何故この地にモアイ像なのか・・・・
拡大して読んで下さい。
昼食はここで頂きました。
海鮮丼です。 真ん中の丸いやつ何だと思いますか?
タコの口ばし??のような気がした 食べにくい。。。残しました。
旅行会社が用意した食事でしたがちょっとねぇ~・・・でした
1500円~2000円くらい出せばこのような豪華な海鮮丼が食べられたんです。
せめてタコの口ばし?が左の写真のような玉子だったら良かったのに・・
仮設のガソリンスタンド
復興に50年かかると言われてました。
日本は地震国。いつどこで地震が発生するか分りません。
対岸の火事ではなく、いつわが身になるか他人事ではありませんね。
被災された方々が一日も早く普通の生活に戻られることを願わずにはいられません。
私達の力は微力ですが観光や買い物をすることで少しでも経済的支援ができればと
思いました。
次も被災地を訪ねます。