祖父が亡くなった、という報せがきた。
起き抜けにいじろうとしたスマートフォンには母から二時間前に送られたLINEメッセージの通知が表示されていた。
強く目が覚める、という感覚はなかった。ただ、ああ、そうか、とだけ思った。
体を悪くした祖父は入院生活と手術を繰り返していた。
電話をかけても祖母が対応してくれるばかりで、祖父本人の声を聞いたのはずいぶん前になる。
このご時世に老人しかいない場所へ行くことも躊躇われてここ一年半くらい帰省もしていない。
連絡をくれた母へ電話をかけてみた。数コールで出てくれた。
「じいちゃん亡くなったんだね」
「そうよ。でも絶対帰って来なすな。▲▲(姉)にも●●(弟)にも帰って来んよう言っとるけん。おばあちゃんも取り乱すから(多分COVID-19の感染について、というニュアンスだったんだと思う)。落ち着いた頃に電話してあげて」
「わかった」
「はい。それじゃね」
実家の母たちはこれから祖父母宅に手伝いに行くのだという。
親族の死という出来事に対して心が大きく揺れなかった自分がいる。
親族の死の報せがLINEでのメッセージという手軽なものだったからだろうか。違うと思う。
祖父への思いみたいなものがすぐに自分の中に見つけられなかったからだと思う。
普段自分が他人のことを考えていない、そう思わされる。
祖父には可愛がられていたと思う。
記憶が遡れるくらいの頃から年に数日だけ会う関係だった。
私が産まれた時はたいそう可愛がってもらったという話は聞いたことがある。
海が近い町に暮らす祖父母宅に夏冬に数日ずつ行くのは小さい頃の恒例行事だった。
家やお店で一緒に食事して喋ったり、海に連れて行ってもらって泳いだり、釣りを一緒にしたり、おもちゃや本を買ってもらったりした。
そして時間がきたら別れる。
恒例だから泣いたりはせず、また来るからと別れる。
父の自動車の窓から顔を出して手を振る私と姉弟に、祖父母と叔父も笑顔で手を振り返してくれた。
自分が中学生、高校生、大学生、社会人になっていくと少しずつ訪問日数も減って、大学で県外に出ると祖父母宅を訪問してお土産を渡して一緒に食事をして近況を話してその日のうちに帰るという、タスクをこなすような付き合いしかしなくなっていた。
自分にもしたいことがあって、それが祖父とのコミュニケーションじゃなかったというだけの話だ。
社会人になるとそれに加えて、変わり映えのない自分の生活が人に話したくなるほどの何かに満ちたものと感じられず引け目があった。だから自分の近況ですら深いところまで話す気にならなかった。
結婚しないのかということを祖父はあまり言ってこなかったと思う。
祖母が結婚の話をする印象が強いせいで相対的に祖父が言わなかったという風に事実をゆがめて記憶しているかもしれないけれども。
年をとった祖父はよく泣くようになった。
私が何かをしてあげるだけで嬉しくて泣いてしまうので、祖母や母は呆れて笑っていた。
私も泣くほどのことはしていないと少し引きつつ、それでも少し嬉しかったように感じていた。
生きていて誰かに強く想われるということがない人生だと思う時がある。
それでもこうやって思い返してみると、私が忘れているだけで、祖父の愛情があったことは事実だった。
祖父に怒られた記憶はほとんどない。あった気もするがよく覚えていない。
そういう記憶もいつか思い出せたら良いなと思う。
読み返すことがあれば今日の気持ちを思い出す助けになればよいなと、未来の自分に対してこの日記を書きます。
