ママのもうひとふんばり ~余命2ヶ月末期乳ガンの記録 by娘~

ママのもうひとふんばり ~余命2ヶ月末期乳ガンの記録 by娘~

2009年 4月 乳ガン発覚
既に卵巣 腹壁 骨に転移のステージ4

2011年肝転移
2012年肺転移

2013年 3月 余命2ヶ月と宣告される
4月 享年53才にて永眠

Amebaでブログを始めよう!

朝6時過ぎ 目が覚める。

あーしまった 昨日も娘を寝かしつけながら私も寝落ちしちゃったよ

昨夜は私の喪服の確認(嫁入り道具として用意してもらってたはずだから)と、
遠くない将来、ママが旅立ち病院から自宅へ帰る日に着せる洋服 を用意しようと思っていたのに。

そんなことを思いながら布団でぼーっとしてた。

6時13分?パパからメール

スニーカーを持ってきてほしい こと(泊り込みようにジャージは用意してあったけど靴を忘れていたみたい)

そして

顎でする呼吸が始まった こと が書かれていた



たくさんのブログを読み知識があった私はすぐにピンときた
それが下顎呼吸であること。
旅立ちへの最後のサインであること。


でも勘違い?した
下顎呼吸がはじまってからお別れはだいたい2~3日後だという記憶があったし、
一応スマホで検索し、確認したなにかにもそう書いてあった
(一般的には2~3時間後なのかな?)


パパに
それって下顎呼吸じゃない?
下顎呼吸がはじまるとあと2~3日だと思う

とメール。

看護師もそういってた
なんとかかんとか、、  

というような返信。




6時半前 出勤不可にするのを忘れ休日出勤になってしまった弟が起きてきた
弟に下顎呼吸のことを伝えるか迷った

伝えたところで仕事休めるわけじゃないし、、

結局、動揺させて通勤中や仕事中に事故にでもあったら大変だと思って言わなかった


弟に行ってらっしゃいをして、私は急いで病院に向かう準備。
今日から旦那さんが実家にきてくれることになっていたから、娘は夜は旦那さんに預け、私は病院に泊りこむ予定だった

部屋着やスリッパ、洗面用具、毛布などだしたかな

納戸の着物ダンスも確認
喪服は見当たらず

ママの洋服を用意
私の心には決めていた服があった
もう何年も着たところは見ていなかったし、ママがそれを気に入っているかどうかも分からなかったけど。
私が好きだった服 なぜかママらしいと思たもの

薄い黄緑のニットカーディガン
前面に豪華に花の刺繍がされたもの

これはすぐに見つかった


ただ下に合わせるものを考えていなくて、少々時間ロス
結局会社用にしていたスカートを選んだ


荷物を車に積み、寝ていた娘を乗せ、出発
たぶん7時50分とかそのぐらい






休日の朝 道はガラガラ
急いだ
ママを後部座席にのせ、またお見舞いに通った日々何度となく通った道
ここを通るのも今日がもう最後になるのかもしれないと思ったら冷静だった私もさすがに涙がとまらなかった
もういよいよ時間がない そう思った。