離婚してからは、
私は毎晩の様に夜、車で
ウロウロした。


どこへ行って
何をする訳じゃなくて
家で作ってきたコーヒーを
飲みながら
好きな曲を聞きながら
ひたすら車を走らせる。


それが、毎晩続いた。
だって眠れないから。


車で徘徊中も、
私はありとあらゆる物を
食べまくっていて
あの時は、妊婦の時位
体重があった。


でも、そんな事気にならない
それでも食べるのが
止まらなかった(笑)


私は夜勤を、長めにした。
何故なら昼間は
長男と次女を連れて行かれる
恐怖心で一杯だったから。


朝一緒に、登校班まで行き
学校まで一緒に行き
知らない人には
絶対についていかない事
真っ直ぐ帰る事
何かあったら、誰かに会ったら
全部言ってね。
そう、毎日話して
毎日ドキドキしながら
帰りを待っていた。


私は、保育園の物を
根こそぎ捨てた。
写真はあるけど、
先生とのやり取りや
出席のシール帳も
迷わず捨てた。


当時は、保育園の先生に
八つ当りしてました(笑)
だから、捨てたんだと思う
けど、今思ったら
残してあげれば良かったな。


でも、
娘は保護される前の話を
しなかったんです。
しなかった、と言うより
『していいの?』
と聞いてきた事があったから
もしかしたら、児相に
『話さない様にしようね』
とでも言われたのかも。


娘が連れて行かれて
1年ちょっとで
私は胃炎になった。
初めは薬でおさえてたけど
中々良くならないし
詳しく診たいとの事で
胃カメラを飲んだ。


先生に、
暴飲暴食辞めんしゃい。
そう言われました。
食べなきゃやってられないのよ
そうは言っても、
治って貰わなきゃ困るから
暴飲暴食辞めました。


極端に食べない日が続いた。
子どもと一緒に食べる
夜ご飯とかだけ
きちんと食べてたと思う
夜も、ママさっき食べたから
って1食も食べない日も
結構あった。


でも、朝も昼も食べないのに
夜ご飯をお腹が受け付ける
訳もなく、ずっと
お腹が痛かったし下してたし
胃がキリキリしてた。


私は、過敏性腸症候群
になっていた。


また引用です。

過敏性腸症候群などの心身症は
言葉で表現できないので、
代わりに身体が”辛い”と
表現することで症状が
起こる。辛いという
気持ちを意識できないと、
ストレスに気づかないため、
ストレスにさらされ続ける
そのうちに身体が悲鳴を
あげてしまう。


らしいです。
私は、ずっと下痢でした。
食べないのに下痢で
衰弱しきってました。
よく、点滴しました。
して帰らないと怒られた。


胃が弱りきっていて
2回目の胃カメラも
しました。
次は、先生に食べなさい。
と言われた(笑)
体重が35キロきってたから。


紫斑症になる前に
足を悪くした事もあった。
5年とか前かな?
膝から下が浮腫んで
歩けなくなった。


原因は、急に
体重が減ったから。
らしい。
私は、そこで初めて
体大事にしなきゃ
と思いました。


そんな決意をしたのに
長時間は働けない体
になってしまった(笑)


そんな事がありながら
私は児相と戦った。
離婚して
親兄姉とも縁を切った。
働きながら、長男と次女を
一人きりで育てた。


今年は紫斑症に
なったし、
娘とも会えなくなった。
波瀾万丈な人生で
私はもう、クタクタです。


子ども達が育ったら
自分だけで食べて行ける
分だけ働いて
孫の顔でも見たら
私は早めに死にたい。


ヨボヨボのばーさんに
なりながら生きたくないし
もう、体もアチコチ痛いし。
本当は死ぬのは
恐いんやけどね(笑)


心残りは、長女の事。
それだけです。


暗い内容ですみません。。
次からは明るい内容に
したいと思います。