ほんとは母の更年期との付き合い方とか書いてみようかなーって思ってたけど
今の所は自分の人生で1番の大きな出来事だった、このタイトルから回収していこうかな。
あんまり今まで振り返ったことってそんなに無いんだけど
今年35歳になって来年は年女を迎えるにあたって
人生を一回振り返るにはなんとなくいいタイミングかなーって。笑
一応病名も載せるので、もし今自分に当てはまる部分がある場合や違和感があればすぐ病院へ検査に行くことをおすすめします。
ではでは…
今から約18年前。
大手術を迎える年、高校一年生まで遡ります。
高校受験では推薦に落ちたので
必死に勉強して(こんなに勉強したの初。笑)
地元ではかなり倍率の高い方だった商業高校の商業科へ入学。
これから新しい友達作ってエンジョイするぞ!って張り切ってた。
無事に入学して、友達もできて…
この高校初の友達がまじでもう関わりたくないくらい最悪だった話はまた今度…笑
入学して数ヶ月が経った頃から生理がなかなか一週間で終わらなくなりはじめて、あれ?なんか長いなぁ。程度に思ってた。
それまでは大体7日間で終わるのが普通だったのに、あの頃は10日くらいで終わってた。
生理痛も元々重めではあったけど、どんどん生理痛がひどくなって薬なしでは学校行くのがしんどかった。
自転車通学だったから尚のこと身体が動かないと困る。
薬飲めば授業中眠すぎて本当嫌だったなー。
その生理痛が長くなり始めたあたりくらいから、他にもだんだんあれ?って思うことが増えてきて
ある日。
体育の授業でマラソンがあって
走ってたら急に左腹部裏?あたり(伝えづらいけど左の骨盤の上のウエスト部分の裏、つまり背中側)が激痛起こって…
どんな痛みかっていうと
生理痛の何倍の言葉では言い表せないくらいの痛みで…なんか気持ちは金属バットでそこ思いっきり殴られてグリグリされてるような衝撃。
そこからズキズキと鈍器で常に殴られてる痛みが続いてもはや立っていられなかった。
生理でもないのになんで?って不安で怖いのと自分の身体に何が起きてるのかわけわかんない状態。
痛すぎてうずくまってたら
友達が先生呼んできてくれて
とりあえず保健室へ行った方がいいってことで
一緒に付き添おうかと言われたけど
その時には痛みがどんどん引いてきてたから
歩けます…。って言いながら保健室へ。
時間の感覚的に多分10分弱くらいかな。
その時には永遠に感じるくらい痛かった。
保健室に着く頃にはもうほぼ痛みなかったけど、保険医の先生に事情を説明して体育の時間だけ休ませてもらうことに。
その日はその後夕方まで何事もなく授業受けれたし、自転車でも普通に帰れた。
そんな事が何回かあったんやったかな。
もう記憶古すぎてあんま覚えてないけど。笑
決まって体育の走った後とかやったから、運動不足か?とか考えてて
母には心配させたくなくて激痛のことは言わずに
とりあえず生理が終わるのが遅いってことと
生理痛が重いってことは伝えてた。
まさか母も病気なんて思わんから
生理痛の時は無理せずに、辛い時はお薬飲んでいいよって言ってくれてた。
そして運命の日
ある夜、寝る前からあの激痛が始まりだした…
我が家は兄は自分の部屋で寝てて、
私は常に母のそばにいたい究極の母っ子だったのでいつも一緒に布団を並べて寝てたの。
運動もしてないのになんで!?って焦りつつ
めっちゃ痛かったけど心配させたくなくて
普通におやすみーって言い合って、母が電気を消したタイミングで布団の中で足抱えて必死に痛みが過ぎるのを待ってた。
いつもなら10分くらいで痛みが消えるから
早く!はやく!はやく!痛み消えて!!
って強く思ってたけどこの日は
全く痛みが消えてくれなくて…
これはあかん。母を起こして病院連れて行ってもらおうか。
ってもう喉まで言葉が出かかってたけど、普段朝早くから仕事行って、帰っても1日中動いてシングルマザーで頑張ってくれてる母には休んでほしくてまじで何も言えなかった。
でも痛い。痛みが引かない。どうしよう。
って涙が出てきて…。
とりあえず夜中は耐えよう。
このまま痛みが消えなければ、朝方になったら母には申し訳ないけど一緒に病院行ってもらおう。
って決めた。
痛みも波があって、一瞬和らぐ瞬間に疲れと眠気から寝落ちしそうになるんやけど、すぐに強烈な痛みがきてハッと目が覚める。この繰り返し。
そして朝4:30くらい?かな
少しずつカーテンの隙間から外が明るいのがわかってきて、部屋も明るくなり出した頃。
…もう少し。もう少しだ。ってひたすら母の起きる時間まで待ってた。
私が痛みで体勢変えてたから多分布団の擦れる音で母が起きて、
ん?どおした?寝られんの?って声かけてくれて
布団から顔だした私の顔を見た瞬間
母が、ガバっ!!!っと起きて
え?!どうしたん!!顔真っ青よ!!!
って血相変えて電気つけてくれて…
寝てないの!?なんで起こしてくれなかったの!
って母の方が泣きそうに真っ青になってた。
私はなんとか、最近この痛みがたまにある。ってことといつもは消えてくれる痛みが消えないってことを伝えた気がする。
そこまではなんとか必死に自分で意識強く痛みに耐えながら起きて待ってたんやけど、
母が起きてくれた安堵感から
急に痛みが増して意識も朦朧とし始めてた。
その時母がお付き合いして一緒に暮らしてた人も一緒の部屋で寝てたんやけど
(その時すでにお付き合いして4年くらい?その人とは今も母は籍を入れず内縁として暮らしてる。これもまた別のお話で)
母が大きい声で叩き起こして
すぐ病院連れてって!!!!!って言ってた。
母は車を持っていないから、救急車にするか悩んでたけど、その人が
すぐ車出す!朝方やから車も今はほとんど走ってない時間だから!準備しよう!!
って言ってくれて私は母の手伝いでなんとか着替えて車へ。
車に乗るのも支えがないと歩けなくなってて
意識も痛みでほぼ飛んでた。
そして地元で1番大きい病院の救急外来に到着。
母は症状を伝え当直の先生との話し合い。奇跡的に産婦人科医の先生だったのでスムーズに話も進んだそうです(後に主治医)
とりあえず私はすぐ簡易ベットに横になり
痛みが酷すぎるので
右肩からボルタレン注射(たぶんこんな名前だった)打ってもらって
そしたら少しして痛みが不思議とどんどん引いてきてやっと気持ちがほっとして緩んだのを覚えてる。
けど今度は眠気が半端なくて…目を開けていられず、目を閉じたら一瞬で寝られる状態。
ベッドで意識が半落ちしてたら母が戻ってきて、今から詳しい検査をするって伝えられた。
その時の母の目は真っ赤だった。
あぁ。きっと泣いたんだなって。心配かけてごめんねって眠くて話すこともできなかったけど、心の中ではずっと母に謝ってた。
私は後日聞いたのですが、この時先生と2人で話して悪性腫瘍の可能性を指摘されていたようです。
そうなると娘には辛い闘病生活が待っている。そう思いきっと泣いたけど、私の前では泣かないように我慢してくれていたんだなってわかった。
その後すぐに看護婦さんが車椅子を持ってきてくれてそのまま詳しい検査へ。
CT?MRI?の予約は本当はかなり前にしないといけないんだけど、緊急性が高いってことですぐしてもらえたみたい。
なんの検査したかはもう全然覚えてないけど
確か他に血液検査と心電図は撮った記憶ある。
CT?MRI?みたいな筒に入るやつに入って検査して、ガラスの向こうで先生が険しい顔でパソコン見てたのだけ覚えてる。
私は眠すぎてその中で寝てた。笑
それから車椅子のまま母と診察室に入って
私が覚えてるのは
血液検査の結果からなんかの数値が爆上がりしてて、画像検査でも腫瘍がお腹にへびのように巻き付いてて、子宮や内蔵を圧迫するくらい大きくなってるってこと。
👨⚕️とりあえずすぐに入院と早急な手術が必要です。
とのことで
診察室から出る前、母が良性ですか?悪性ですか?って聞いたけど、先生はまだはっきりとは申し上げられない。って会話してた。
1番早い手術日を取るので、日付が決まり次第、そこに向けて詳しい検査をしますってことで病室へ。
最初に案内されたのは6人の大部屋。
入り口側のトイレの横。
看護婦さんがすぐにカーテン閉めてくれてベッドに入った瞬間に、やっと寝れる…ってことだけだった。
その時の私は、自分の身体のこととかこれからのことは何も考えられなくて、ただただゆっくり寝たかった。
母が看護婦さんと入院の手続きと準備や仕事、学校への連絡で席を外すことを聞いて部屋を出るのを確認した瞬間パチっと意識が途切れた…。
とりあえず今日は
発症〜入院編としてここまでにしようと思います。
何せ18年前で記憶が薄い部分もあり…自分なりに思い出しながらなので、つたない文章ですみません。
まだ病名は出てきていないですが、次の投稿ではお伝えできると思います。
私にとっての人生で1番大変だった時期。
でも今では貴重な体験だったと、その分人に優しくできるんだと、この時の乗り越えた自分を誇りに思っています。
それに辛いことだけではなくて幸せなこともありました。
そこも含めてこれからお伝えしていけたらなって思います。
では、また。