祖父が亡くなり、今週お通夜とお葬式がありました。


とても悲しい。

……とても悲しいけど、そう思うのは一緒にいろんな場所に行って、美味しいものを食べて、楽しい時間を共有できたから。

そこに後悔やネガティブな気持ちはなく、感謝の気持ちしかなかった。

そもそも平均寿命を考えるとかなり長く生きてくれていたから、祖父にも神様にも周りの人にも御礼を言いたい。


祖父との関係もよかったと思う。

会うたびにポジティブな報告ができるように生きてきたし、社会人になってからも定期的に会っていたし、敬老の日とクリスマスには毎年プレゼントを贈っていたし、喜んでもらいたくて好物のお菓子も調べて取り寄せた。

自分にできる限りのことはしてきたし、自画自賛みたいになってしまうけど、思い返せば思い返すだけ「おじいちゃんも孫も最高だったな〜」と感じてしまった。

長くなるので割愛しますが、本を1冊書けそうなくらい、今回の葬儀だけでもいろいろ思うことやドラマがありました。




子どもも孫もひ孫も全員集合して、雲ひとつない晴天の日にいい形でお別れができました。


祖父は子どもの頃に戦争を経験していて、本当にいろいろ大変だったと思うから「生きていれば必ず楽しいことが起こる」というのは本当なのかも。

だって、これ以上にないハッピーエンディングだよね。

自分もこれからの人生で心が折れてしまいそうな時は、祖父の葬儀を思い出して強く生きようと思いました。


本当に親族が亡くなるたびに悲しいはずなのに「いいお葬式だったな」「みんなに見送ってもらって羨ましい」「同じように人生を終われたら幸せだろうな」と前向きな気持ちになれるし、なんなら遺影もめっちゃカッコよかったり美しかったり……“写真って「真実を写す」と書くけど、文字通り表情に人柄が出たりするから、1枚の写真に感動するって簡単じゃないよね。

細かいところを切り取っても、こういう老人になりたいと思うことばかりでした。

葬儀に出ると必ず尊敬の気持ちが増す。



実は私が「子どもを産みたい!」と本気で行動に移すようになったきっかけは母方の祖父のお葬式で。

もう8年ほど前だけど、母方の祖父のお葬式も子ども孫もひ孫も全員集合して見送りました。

日本の葬儀は、かなり静かな雰囲気のなかで行われるから、そこで自由に声を発することができるのは子どもだけなんだよね。

人生の最期に子どもの笑い声や泣き声が聞こえてきたら雰囲気も和むし「後世に自分の意思を引き継いだ子が残る」って安心できるんじゃないかな。

それってすごく幸せなことなんだろうなって。

自分もそうだったらいいな。


もし子どもを産まなかったら、それはそれでお金にも時間にも余裕があって、また別の楽しみがあるのかもしれない。

でも、私は祖父のお葬式に参列した時に「同じような景色を見てみたいなぁ」と本気で思ったの。

祖父達が私達孫にしてくれたことを自分に孫ができたときに同じようにしてあげれたら……それが恩返しになるのかな。

意思を受け継ぐとは、そういうことじゃないかなって。

こればかりは授かりものだから、必ずできることではないけど、猛烈に「子どもを産みたい!」と意欲が沸いた瞬間だったと振り返ることも多いです。

そして、今回のお葬式でも初心を思い出しました。

祖父や祖母のように、孫に愛される存在になりたい。

素敵に歳を重ねていきたい。


さらに親族代表の挨拶をしている父を見て、父と母が亡くなる時にも子どもと孫とひ孫が全員集合して見送りたいなと、家族の在り方について深く考え「やはり産めるだけ子どもを産みたい」「しばらくは妊活を最優先に生きていこう」と。

今は子どもを産みたくて産みたくて仕方ないです。


妊活を始めてから第一子が産まれるまでも時間がかかったし、第二子の妊活もなかなかスムーズにいっていませんが、近々祖父の生まれ変わりが来てくれるんじゃないかと、私達家族は前を向いて走り続けます。