「この小さな命を助けたい」優しさが招いたとある多頭飼育崩壊の現実

ある日、一匹の子猫が生まれました。

小さな命の輝きを宿し、これから始まる未来に目を輝かせているかのように、真っ白な毛並みをしていました。

しかし、その子が生まれた場所は、あまりにも過酷で想像を絶するひどい環境だったのです。
 

子猫は、肌寒く薄暗い部屋の隅で、母猫のお腹に必死にしがみつきました。

子猫が甘える母猫の体は、骨が浮き出るほど痩せこけています。

乳を吸っても、十分なミルクは出てきません。満足に食べることもできない状態──それが日常でした。

部屋のなかは、鼻を刺すようなツンとした臭い。目を開ければ、そこは茶色く汚れた世界。

床には黒い塊のようなものが散らばり、足を踏み入れるたびに粘つくような感触がします。

それは、排泄物や古い食べ物の残骸、抜け落ちた毛がごちゃ混ぜになったものでした。

いくつか並べられたお皿には、何日も放置されて固まったエサ。何日も変えられていない水。

新鮮な水など、子猫は一度も口にしたことがありません。

周りには、たくさんの猫たちがいます。

どの子も痩せ細り、毛並みは汚れ、元気がないように見えました。

生まれたときは真っ白だったこの子の毛並みも、この劣悪な環境で次第に汚れ、今はくすんだ茶色に染まってしまっています。
 

一緒に生まれた兄弟の中には、たった数日で息を引き取ってしまった子猫もいます。

この子も、いつまで生きられるのか──。
 

「どうして、こんなことになってしまったんだろう…?」


「命を助けたい」その思いから始まった

今から13年前のこと。ある夫婦が、近所にいた子猫2匹を拾ったのが始まりでした。

この小さな命を助けたい、そんな優しい気持ちだったのだと思います。

しかし、「手術をするのは可哀想だ」という飼い主の判断で不妊手術をしないまま猫を飼い続けた結果、家の中と外を行き来する間に猫たちはどんどん子どもを産んでいきました。
 

一度は、親戚が費用を出して、メス猫5〜6頭とオス猫1頭に不妊手術を受けさせました。

これで少しは落ち着くかと思いきや、また新たにメス猫を1匹拾ってきてしまったことから、最終的には60頭近くにまで増えてしまったのです。

猫は年に3回も出産することができ、一度に5〜7頭の子猫を産みます。

さらに、生まれた子猫は生後6ヶ月で妊娠できるようになる、驚くほどの繁殖力を持っています。

あっという間に猫は増え、飼い主の手には負えなくなってしまったのです。
 

世話をしきれない数まで増えてしまい、ご飯や水を十分に与えることができない。

病気になっても病院に連れていくお金もない。掃除も追いつかず、家の中はひどい状態に。

これが、いわゆる「多頭飼育崩壊」です。

閉ざされた扉を開くために

そんなある日、地域の方からボランティア団体に「あの家から悪臭がする。猫が沢山いて、今も増えているようだ」という情報が寄せられました。

行政とボランティア団体が一緒に現場へ向かい、そこで目にしたのは、まさに「多頭飼育崩壊」のひどい現実だったのです。
 

行政は、飼い主への定期的なゴミ出しの実施や猫の居住環境を整えるよう指導し、飼いきれない猫は新しい家族を探すよう依頼もしました。

そして、「今飼っている猫たちが亡くなるまで猫は拾わない。もしも、拾ってしまった場合はすぐにボランティア団体、町、県に連絡してくださいね」という約束の書面も交わされました。
 

しかし、不妊手術を行わなければ、猫の数は今後も増え続けてしまいます。

ところが、この地域では、猫の不妊手術に対する補助制度がありません。

約60頭もの手術を行うには、莫大な費用がかかるのです。

増え続ける猫たちを前に、飼い主も行政、ボランティア団体も、どうすればいいのか分からず、途方に暮れていました。

そんな時、希望の光となったのが、公益財団法人どうぶつ基金が発行している「無料不妊手術チケット」

行政は、全頭の不妊手術を行うためにチケットの申請をしました。
 

そして1ヶ月半ほどかけて、動物病院の協力のもと無料不妊手術チケットによる不妊・去勢手術を全頭の猫に行うことができました。

手術後、汚物で埋め尽くされていた部屋は徹底的に清掃されました。

猫用トイレは1台から8台へと増やされ、砂の交換も定期的に行われるように。

床に排泄物が散乱することはなくなり、まだ微かなアンモニア臭は残るものの、猫たちは清潔な環境で過ごせるようになりました。
 

この現場では、手術を受けた猫のうち40頭が元の家に戻り、残りの17頭はボランティア団体によって新たな家族のもとへと旅立ちました。

あの白くて汚れてしまった子猫も、その中の一匹として、今は穏やかな日々を送っていることでしょう。

どうぶつ基金の担当者は、今回の件に関して怒りをにじませていました。

十分な餌や水も与えず、不衛生な環境で飼育することは立派な虐待にあたります。飼育環境は改善されつつありますが、当事者が二度と同じことを繰り返さないよう、行政がしっかりと見守りや指導を継続していただきたいと思います」