認知症や それに限らず 高齢者や障害者、そういった人を介護している人をケアラーと呼ぶそうです。
先日、ケアラーズカフェ を体験してみました。
そこに その日 同席した方々は、同業種というのか‥‥そういう活動に燃えて🔥いる人達がほとんどでした。
業界や行政の課題を議論したり、ケアマネの資格を持つ その場の中心的な人の話に至っては、家族の苦悩に寄り添うと言うよりは、施設側の現状を ― 穏やかな口調であったにしろ ― 理解してもらわなければ というような話振りに始終している印象でした。
自治体の長たる方々との交流や、自分達が活動する意味の重要性を時に力説し、同志同士の意見交換やら賛辞やらを聞かされ続ける中、それは、貴重な解放の時を割き、安らぎを求めて未知の空間に一歩踏み出す勇気を奮って ここを訪れる介護者が、果たして パンフレット通りに ホッとする一時を実感し得るのか‥‥と 疑問に感じてしまった時間でもありました。
介護社会の課題が山積されているのは 事実であり、従事者の意見や疑問が業界へ伝わり 反映されるべく討議される場の必要性、重要性については頷けます。本当にそうだと思います。
しかし、それと 「ケアラーズカフェ」の在り方とは、似て非なるもの ではないでしょうか。
介護者の悩みを聞き、問題点を吸い上げる場としての機能する意味は大きいと思いますが、まずは 彼等の心の解放、精神的負担を忘却するひとときを与えられるかどうか こそが、その本来の目的なのでは と思うと、違和感を感じてしまいました。
同志ともいうべき同業種活動家の多数参加をして、このケアラーズカフェの運営が成功かのように喧伝されるのは何故なのか。
行政からの訪問を受けたり、取材を受けたり、主宰者は その多岐にわたる介護関係活動に注目されているようですが、主軸と謳うケアラーズカフェが、実際に その本来の性質で実現されているかと言えば、見た限りでは 疑問です。
ケアラーが ホッと一息つける場 であるためには、もう少し 介護者側に寄り添う余裕を持ち、主宰者こそ傾聴の姿勢を大切にして あの場の空気感を造り出して欲しいと感じながら、帰路につきました。