父の日から始まってこの数週間、父のことばかりが自分の頭の中を占めていました
良いのか悪いのか、私は負の感情を忘れてしまいやすいという傾向があり、父との思い出も、悲しかったことや嫌だと思った感情の方は薄れつつあったのです
文章にする為に思い出そうと神経を集中していたら、少しずつですが、父の本当に様々な細かいことまでもが浮かんできました。
それはやはり嬉しい感情ばかりではなく、胸がきゅっと痛むことの方が多かったように思います
でも、久しぶりに父のことをゆっくりと偲ぶことができました。
言葉にするということは、自分の気持ちを整理することができて爽快なのですね
改めてそう感じました。
父が亡くなって数ヶ月したあと、父の夢を見ました。
それは、父以外の誰かのお通夜や葬儀の段取りをしている場面で、色々な家族の顔の中、祖母の姿が見えなかったので、もしかしたら父の後に亡くなった祖母の葬儀だったのかもしれません。
私や弟や母は、和室で皆と一緒に大きなテーブルを囲んで、祭壇のお花の相談などをしていました。外の庭では子供たちが遊んでいるのか、高い声が楽しそうに聞こえています
その時、私の向かいあわせにいる母の肩越しに父の姿があったのです。
父は奥の箪笥の前であぐらをかき、片膝を立てて足の爪を切っていました。
畳の上にティッシュを一枚敷き、パチンパチンと音を立てています。
父は、夢の中でももう亡くなっていたはずなので、私は驚いて「お父さん!」と、声を上げてしまいました
母も振り向き、皆ビックリしています。
父は下を向いて、足の指を切る体勢のまま、目だけをこちらに向けて「おぉ」と答えました。
老眼鏡の奥の目尻は下がり、にやっと笑うその姿は父そのもので、私は思わず「どうしたの?」と聞いてしまいました。
すると父は「俺死んでんだよな」と笑いながら言いました……
そこでぷつりと夢は終わりました。
目覚めた私は、天井を見上げながら何故か泣いていて、胸がいっぱいだったのを覚えています
もう一度父と話ができたのです。
もう一度元気な父の姿を見ることができて、あの父の肩の丸いラインや、静かなトーンの声がなんとも懐かしく、とてもとても幸せな夢でした。
父が亡くなってから1、2年は、実はあまり父のことを思い出すことがありませんでした。
やっぱりどこかで、父はまだ長い入院の最中のような気がしていて、死というものがぴんとこなかったのだと思います。
ただ、家族との談話中や、親戚の集まりの中に父はいないこと、他の人から父の思い出話などを聞いたりしているうちに、少しずつ少しずつ、父が亡くなったことに心が応じていった気がします。
私は散歩をするのが好きで、よく散歩の途中に立ち止まって流れていく雲を見上げたり、お寺にある池の鯉をしばらく眺めていたり、寄り道をしながらその時間を楽しみます。
そんなふとした瞬間に、よく父のことを思い出すのです
父とは、川で一緒に魚を無心で採ったり、父の部屋から覗く藤棚に来ている蜂の羽音を2人で聞いていたり、特別おしゃべりをしなくても同じ時間を共有できる、私の中では数少ない人でした。
私にとってはそんな何気ない時間が大切で、父にとってもそうであったら良いなと思うのです。
不思議と父が浮かんでくるそんな瞬間は、私の中で年々増え、忘れるどころかどんどん父の面影が色濃くなっているような気さえします。
寂しがり屋の父がそうしているのでしょうか。
お酒の力を借りなくても、むこうで気を張らずに、穏やかに過ごしていてくれてることを願って。。。
私は忘れませんよ。
あなたのことをずっと。
おわり