第一話はこちら
1953年6月
前大統領が企業を説得し島の援助を得たらしい。
教会、医療施設、ガレージ、個人口座の4つから選べるらしいが
島にまだ無い医療施設を選び建てた。
足りない施設を建てたほうがいいのは確定的に明らか
少し資金が浮いてきたので外務省を建てる
方針はもちろん親ソ
1954年8月
外務省が建ったので直ちに布告
俺のターン、ドロー
「ソ連の開発支援」発動!
$2.000払い共同住宅とアパートの建築費用が恒久的に50%割引かれる!
これにより住民の満足度が高いアパートが$2.500で建てられる
序盤にはチートともいえる強力な布告
1955年4月
果物をはじめとする農作物の価格が世界的に上昇
しかし、企業との独占契約の為、価格の変更は無し
騙されたっ!!!
1955年7月
入国管理局、外務省など働く際に“高卒”の条件が付く
建物が増えてきた。
我が国には高校がないので海外から移民を呼ばなければならないのだが
高卒以上は価格が高い。
将来的なビジョンを見据えて高校建設
1956年3月
農家がストライキを始める。
我が国と契約している企業のライバル社が黒幕らしい
最低賃金を$10にするなんて馬鹿げた要求は受けられない。
軍で蹴散らしたい所だが我が国に警察署はあっても軍はまだ無い
仕方なく保証金として$2.000でこの場をしのぐ。
1956年8月
島民が遂に100人を突破する。
1958年2月
住民が急に選挙を要求してきた。よかろう、受けてたつ!
現在の票予想
チュチュ・ゲバン64票、バネーサデルガド56票
何気に接戦
住民は
資本主義者、共産主義者
知識人、宗教の信者
軍国主義者、環境保護論者
国粋主義者と多数の意見を持っていて
全てを納得させるなどは夢物語
ここは現段階で指示者が多い共産主義者、環境保護論者に的を絞り
彼らを納得させる演説を行う。
1958年6月
投票日までの間、少し資金が浮いたので缶詰工場を建設
建築費が$15.000とべらぼうに高い物件だが
「魚、コーヒー、パイナップルといった、ぼったくり価格の缶詰を製造します」
と説明文にあるとおり、軌道に乗れば資金は暫く安心だろう。
1958年8月
気づいたら票予想が逆転されてかなりの差が。
これはまずいと
「住民の食料倍増」
食料消費量が2倍になるが住民の満足度が上がる
「社会保障」
退職者と学生に平均賃金の3分の2を支給する。
全住民の敬意が向上する
2つの布告を発令する
一気に民意が傾きほぼ同率まで盛り上げる
こんな口約束で簡単に民意が傾くのか
そりゃポッポもry
1958年12月
官僚の計算によると49%の得票が予想されている
このままでは負けが確定してしまう。
集計方法の工夫や刺激策で得票数を引き上げられますと悪魔の囁き
そんな不正をせずともプレジデンテは誰からも愛される存在だ!
・・・が念を入れて結果を見てから判断しよう。
1959年1月
68票対56票で勝利!
諜報員が7票を動かした模様。
この7票が無ければ負けていたな・・・
住民の間には不正の噂が立ち、怒っているらしい
聞こえんなぁ
1959年5月
財政が厳しくなってきたので選挙中に発令した
布告を2つ取り消す。
住民が怒ってry
聞こえんなぁ
1959年8月
カリブ海全体の農産物の輸出価格は値上がりしているが
就任初期に行った企業との独占協定が足枷となる
1960年6月
軍国主義者からこのままでは島が守れない
軍を作ってくれ!との陳述。
さっそく兵器庫を作る。
これで反乱軍が意気消沈して沈静化すればよいが。
1961年6月
缶詰工場も思うように稼げず赤字が増えていく
どうしたものかと迷っていたところで
目標である8.000ユニット輸出達成
このまま島を育てていくことも出来るが
私の想いは既に次の島へと向かっている。
こんな感じでゲームは進行していきます。
今回は無事に目標達成出来ましたが
もしあと数年延びるようなことがあれば
クーデターが起きたりして政権奪取されていたかもしれませんね。
1953年6月
前大統領が企業を説得し島の援助を得たらしい。
教会、医療施設、ガレージ、個人口座の4つから選べるらしいが
島にまだ無い医療施設を選び建てた。
足りない施設を建てたほうがいいのは確定的に明らか
少し資金が浮いてきたので外務省を建てる
方針はもちろん親ソ
1954年8月
外務省が建ったので直ちに布告
俺のターン、ドロー
「ソ連の開発支援」発動!
$2.000払い共同住宅とアパートの建築費用が恒久的に50%割引かれる!
これにより住民の満足度が高いアパートが$2.500で建てられる
序盤にはチートともいえる強力な布告
1955年4月
果物をはじめとする農作物の価格が世界的に上昇
しかし、企業との独占契約の為、価格の変更は無し
騙されたっ!!!
1955年7月
入国管理局、外務省など働く際に“高卒”の条件が付く
建物が増えてきた。
我が国には高校がないので海外から移民を呼ばなければならないのだが
高卒以上は価格が高い。
将来的なビジョンを見据えて高校建設
1956年3月
農家がストライキを始める。
我が国と契約している企業のライバル社が黒幕らしい
最低賃金を$10にするなんて馬鹿げた要求は受けられない。
軍で蹴散らしたい所だが我が国に警察署はあっても軍はまだ無い
仕方なく保証金として$2.000でこの場をしのぐ。
1956年8月
島民が遂に100人を突破する。
1958年2月
住民が急に選挙を要求してきた。よかろう、受けてたつ!
現在の票予想
チュチュ・ゲバン64票、バネーサデルガド56票
何気に接戦
住民は
資本主義者、共産主義者
知識人、宗教の信者
軍国主義者、環境保護論者
国粋主義者と多数の意見を持っていて
全てを納得させるなどは夢物語
ここは現段階で指示者が多い共産主義者、環境保護論者に的を絞り
彼らを納得させる演説を行う。
1958年6月
投票日までの間、少し資金が浮いたので缶詰工場を建設
建築費が$15.000とべらぼうに高い物件だが
「魚、コーヒー、パイナップルといった、ぼったくり価格の缶詰を製造します」
と説明文にあるとおり、軌道に乗れば資金は暫く安心だろう。
1958年8月
気づいたら票予想が逆転されてかなりの差が。
これはまずいと
「住民の食料倍増」
食料消費量が2倍になるが住民の満足度が上がる
「社会保障」
退職者と学生に平均賃金の3分の2を支給する。
全住民の敬意が向上する
2つの布告を発令する
一気に民意が傾きほぼ同率まで盛り上げる
こんな口約束で簡単に民意が傾くのか
そりゃポッポもry
1958年12月
官僚の計算によると49%の得票が予想されている
このままでは負けが確定してしまう。
集計方法の工夫や刺激策で得票数を引き上げられますと悪魔の囁き
そんな不正をせずともプレジデンテは誰からも愛される存在だ!
・・・が念を入れて結果を見てから判断しよう。
1959年1月
68票対56票で勝利!
諜報員が7票を動かした模様。
この7票が無ければ負けていたな・・・
住民の間には不正の噂が立ち、怒っているらしい
聞こえんなぁ
1959年5月
財政が厳しくなってきたので選挙中に発令した
布告を2つ取り消す。
住民が怒ってry
聞こえんなぁ
1959年8月
カリブ海全体の農産物の輸出価格は値上がりしているが
就任初期に行った企業との独占協定が足枷となる
1960年6月
軍国主義者からこのままでは島が守れない
軍を作ってくれ!との陳述。
さっそく兵器庫を作る。
これで反乱軍が意気消沈して沈静化すればよいが。
1961年6月
缶詰工場も思うように稼げず赤字が増えていく
どうしたものかと迷っていたところで
目標である8.000ユニット輸出達成
このまま島を育てていくことも出来るが
私の想いは既に次の島へと向かっている。
こんな感じでゲームは進行していきます。
今回は無事に目標達成出来ましたが
もしあと数年延びるようなことがあれば
クーデターが起きたりして政権奪取されていたかもしれませんね。