自信がないけど起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座

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~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。


集客のためにブログを使うなら、「読者登録をしましょう」って言われますよね。


読者登録は、自分の読者を増やす基礎の基礎で、世界を広げていける素晴らしいシステムです。


最初の一歩として、大事なことは私もよぉ~~~くわかってますよ。


実際、コンセプトがきちんと決まったブログで、多くの人が興味がありそうなことを書いて、毎日更新して、適切なブログに読者登録していけば、ランキング上位に行けることは知っています。



・・・・・・・が。



「こういう人に読者登録すべき」みたいな理論に従って、行動しようとしても、うまくできないんだったらね、基本に帰るべきって思いますよ。


つまり、読みたい人のブログに読者登録していくだけ。


普通でしょ?


でも、普通だからこそ、いいんじゃないですか?


大事なんじゃないですか?


自分の気持ちを無視しないっていうか、ウソをつかないっていうか、そういうことです。


「役に立ちそう」でもいいし、「自分に似てる」でもいいし、その読者登録で『仲間』が増えていくわけですよ。


特に、「自分に似てる」って強いと思うなぁ。


共感し合えるんですからね。


自然と、お互いのためになることを書いてるというかんじ。



書いてある内容だけじゃなくて、なんとなくのフィーリングも気になりますしね。


どうしても、なんか違うなっていう人はいますよね。


言ってること、やってることは、「いいことやってるなぁ」とか「ためになるなぁ」とか思っても、その人と友達になるって考えたら「ちょっと違うかな」と思ってしまうような。


そういうことがあるんで、私は、興味のあるワードで検索して、一旦、相手に知らせずに読者登録しておいて、しばらく見るんです。


で、「ああ、この人のブログ読みたいな」と思ったら、一旦読者登録を解除して、再度、相手に知らせて登録し直す。


面倒ですけど、一度、相手に知らせて登録してから解除するのって抵抗あるんで、見極めるための期間を置いてます。


それに、しばらく、「いいね」をするだけでも、相手が気づいてくれる場合もあると思います。


「ああ、いつも、いいねしてくれる人だ」と思ってくれたら、いきなり読者登録するより、心情的に受け入れやすいっていうか。


まあ、読者数の多いブロガーさんでしたら、そこまでチェックする方は少ないと思うので、ちょっとした、おまじないというか、気休めみたいなものですが。


と、書いてる私も、このブログから読者登録をしている方ってまだまだ少ないんですよね。


それは、やっぱり、このブログの内容と、自分が読みたいブログの間に何かしら、差を感じてしまうからなのではないかと思っています。


つまり、「どういう仲間がほしいのか」っていう部分ですね。


それをはっきりさせるためにも、こうして、最近、思いのままにブログを書くようにしているのです。


そうしているうちに、見えてくるのではないかと。


それと並行して、自分の興味を知るためにも、読者登録はしていく必要があるとも思いますけどね。



はい、というわけで、今日はここまで。


また明日、よろしくお願いします。


かなえ





~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。


日々生活している中で、いろいろなことをやってみたり、いろいろなことを考えたりしています。


特に意識しないかぎり、それは、自分で考えてやってるわけなんですが、突き詰めて考えると、『完全なオリジナル』なんて、ないと思いませんか?


だって、生まれてから、これまで、誰かが何かをするのを見て、学習してきているんです。


知らず知らずのうちに、身に着けてきているんです。


実際に見たわけでなくても、聞いたり、本で読んだりしても同じです。


だから、『オリジナリティ』なんて言っても、結局、誰かの模倣でしかないのです。


これまで自分がどういうものをインプットしてきたかということなんです。


オリジナリティの源泉がまるで自分の中だけにあるように勘違いすると、自分のオリジナリティのなさに愕然とするかもしれません。


「自分ってフツーじゃん」


そんなふうに思って、落ち込む必要はないんです。


せっせせっせと自分の中に取り入れてきたものが、うまい具合に融合したとき、自分だけの特別な何かが生まれるんです。


最初からそんなものありません。


例えば、私は最近、趣味で小説を書いているのですが、小説の文章ってブログなどに書く文章とは違うんですね。


そのまま書くと何かが足りない。


そういうときに、「いい文章書くなぁ」と思う人の文章を読んでいくんです。


そうすると、その人のコピーではなく、自分の中に新しい引き出しができてくるんです。


最近、私は、「どうやら自分は文章を書くのが好きらしい」ということに気づいたので、こういう例ですが、なんでも同じだと思うんですね。


いいものに触れた分だけ、自分に返ってくるのではないでしょうか。


起業のコンサルタントさんなどが、売れている人の真似をすることを勧めているのを見ます。


「この方のブログ、参考にしてくださいねー」とか。


そういうのを見て、少し前の私は、「いやいや、真似したら、自分らしくないし!」とか「変な影響を受けたくないし!」って思う部分がありました。


でも、そうじゃないんですね。


影響を受けたからって自分らしさがなくなるわけではないし、むしろ、磨かれる部分もあるんです。


もちろん、多すぎる情報や、多すぎる影響というのもまた問題だろうとは思いますけど、自分の中だけに閉じこもっていては、そこから先に発展しません。


いいものを取り入れることと、取り入れたものを自分なりに融合させて試してみること、そのバランスが大事なのかなぁと思いました。



ではでは、よい週末をお過ごしくださいませ^ ^


かなえ




~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。


ここ数日、モチベーションだとかやる気だとかについて書いてきました。


が、忘れちゃいけないのが、これって、あくまでも、「相対評価」だってこと。


他人と比べてどうとか、インプットに比べてアウトカムがどうとか、そういう比較対象があってのことなんですね。


でも、誰かや何かと比較する評価というのは、自分が変わらなくても比較対象が変わるだけで評価が変わってしまいます。


「変わり続けることが必要だ」「現状維持は退化だ」という意見について、私も反対するつもりはないんですが、それだけだと厳しいなと思うわけですね。


つまりね、相対評価だけで自分の価値を判断するということは、一年中、薄着で外で暮らすようなものだと思います。


夏は暑いし、冬は寒い。


その影響をもろに受けるわけです。


でも、夏は涼しい部屋で過ごしたいとか、冬は暖かい部屋で過ごしたいとか思いますよね。


そういう調節できる部分、快適に保つためのものっていうのが、自分に対する「絶対評価」なんです。


私は相対評価で生きる人間でしたが、一つだけ、絶対評価を手に入れることができました。


それは、


「私は私が一番かわいい」


という評価です。


完全な主観であるがゆえに、あらゆる批判を受け付けないのです。


「私が一番かわいい」だと、他人との比較ですよね。


別に、そういう意味でかわいいと思っているわけではありません。


そうではなくて、「私にとっては私が一番大事」という意味ですね。


これは私も人から教えてもらったものですが、鏡を見ながら、一日1000回唱えるように言われました。


1000回って、相当ですよ?


意識的に時間を作って、鏡の前でひたすら唱える必要があります。


バカらしいと思っても、とにかく続けてみました。


最初は違和感がありましたが、1000回唱える時間を作って実践することで、少しずつ自分のものにできてきた気がします。


今はもう唱えていませんが、なんだか落ち着かないときとか、よくわからないけれども不安だというときに、「私は私が一番かわいい」と心の中で唱えると、気持ちが落ち着きます。


「これが自分の価値観なんだ」って、自信を持って言えるからなのかもしれません。



だから、これから起業にしろ、何をやるにしても、他者と比較する相対評価ではなく、自分だけの絶対評価も持っていることが大事だと思うのです。


相対評価は頑張ることで得ることができます。


絶対評価は考え方を変えることで得ることができます。


自分を最高に大切にできる絶対評価をみつけられるといいなと思いますよ。



私にこの言葉を教えてくれた方には本当に感謝しています。


ありがとうございました。



ではまた明日、よろしくお願いします^ ^


かなえ




~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。



またまた昨日の続きです。


「インプット(労力) > アウトカム(見返り)」 → 「やりがいが足りない!」


この構図において、インプット(労力)に注目したいと思います。


インプット(労力)が大きすぎるから、アウトカム(見返り)を少ないと感じてしまうんです。


インプット(労力)の量を、生活に占める仕事の割合、ひいては、人生における仕事の割合と考えるならば、どうして、みんな、そんなに熱心に仕事をするんでしょうね。



それは、人間は、「評価をされないと生きていけない」からです。



仕事って、わかりやすく評価してもらえますからね。


少なくとも、お金という形で評価を得られます。


それ以外にも、昇進だったり、同僚や上司や顧客からかけてもらう言葉などからも、評価を感じ取ることができます。


専業主婦の方でも、「このまま終わりたくない!」とプチ起業に興味のある方は多いですよね。


私も育児休暇中に感じましたが、育児や家事って終わりがなくて、とにかく毎日自分の時間を費やしているにも関わらず、評価されていないと感じてしまうんです。


むなしい。


わかってくれない。


私の存在ってなんだろう。



そういうことを考えてしまうのです。



「評価してほしい。正当に評価してほしい」


そういう思いを持っている人が日本にどれだけいることでしょう。


だから、評価を求めて、仕事に没頭していくのです。


昇給、昇進、感謝の言葉、誰かの役に立っているという実感。


何を重視するかは人それぞれあると思いますが、それがなんであれ、評価された経験というのは、忘れられない快感のようになっているのではないでしょうか。


また、「評価」というのは、一度手放すと、再び手に入れるのが難しい、という性質もあります。


だから、手放さないように必死に守り続けてしまうです。



「評価」への渇望が、インプット(労力)をどんどん増やし、いつまで経ってもアウトカム(見返り)が追い付かない。


そういう面もあるのではないでしょうか。


また、「どういう評価を求めているのか」ということも、ポイントだと考えます。


「昇進したがらない(管理職になりたがらない)若者が増えている」なんていう記事を見たことがあると思います。


昇進に対する、マイナスイメージがあるんですよね。


責任ばかりが重くなる、みたいな。


つまり、「インプット(労力) > アウトカム(見返り)」という構図を予想できてしまうんです。


今だってその状態なのに、ますます悪くなるとしたら、「とてもやってられない」と思うのは当然なんです。



頑張ったら頑張っただけ評価を得られる時代に、頑張りすぎてしまう人がいたのも事実でしょう。


でも、頑張っても頑張っただけの評価を得られない時代に、それでも頑張ることにしか道を見いだせないとしたら、とても苦しくてつらいことだと思いませんか?



人はひとりでは生きられない、と言いますよね。


きっと、だから、誰かに認められたいし、誰かの役に立ちたいんです。


ただただそういう純粋な欲求があるんです。


でも、それが叶いにくい世の中になってしまったのかもしれません。


身内であればあるほど、相手のことを認められないなんていうこともあるかもしれません。


きっと、自分のことを相手が認めてくれていないと感じているんでしょうね。


お互いがお互いをマイナスに評価している関係って、ギスギスしますね。


相手が自分を評価してくれないと思うから、自分も相手を評価できない。


そういう無限ループに入ってしまっていませんか。


もしかしたら、本当はそこに一番の原因があるのではないでしょうか。


その身近な関係に満足できないから、それ以外での場で評価を求めている。



この仮説が正しければ、追い求めるのは仕事での評価ではなく、家庭での評価です。


相手から自分への評価を期待するより、自分から相手への評価をいいほうに変える。


そういうことになります。



うーん、難しい!


それができたら苦労はしない!


なんだか、そういう声が聞こえそうですが・・・・・・。


「本当の問題から逃げていては、いつまで経っても何も解決しない」と考えると、取り組む価値はあるのではないでしょうか。



なにかのヒントになれば幸いです。


かなえ

~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。



先日の「やる気が出ない原因とは 」に関連する話です。


先日書いた記事では、自分がやったこと(インプット)に対しての見返り(アウトカム)と、他人が受けている見返りを比較して、自分の見返りが少ない場合にやる気をなくす、という話を紹介しました。


このうち、「見返り(アウトカム)」に注目して考えてみたいと思います。


よく、「仕事にやりがいを感じられない」とか言いますよね。


でも、本当に仕事にやりがいって必要なんでしょうか?


仕事にやりがいが必要なんていうのは、幻想じゃないんですか?


例えば、何時間でもやっていたい趣味があるとします。


その時間が楽しくて、幸せな時間だとします。


そうしたら、仕事って、お金を稼げればいいと思いませんか?


やりがいよりも、なるべく短時間で、なるべく多くの収入を得られたほうがいいと思いませんか?


だって、そのほうが趣味に時間もお金も使えるじゃないですか。


もちろん、仕事自体も楽しかったら、趣味も楽しくできて、仕事も楽しくできて、本当にハッピーだとは思います。


でも、「仕事はやりがいがなければいけない」って思っているのに、仕事にやりがいを感じれらなかったら、それだけで不幸ですよね。


なんか、もったいなくないですか?


本当は、きちんとした仕事につけて、そこそこの収入を得られるだけで幸せなはずなんですよ。


なのに、やりがいを求めるが故に、自らの境遇を不幸だと思ってしまうとしたら、どうでしょう?


決して、今の状況に満足すべきだと言っているわけではないんです。


でも、「当然必要だ」と感じているものが、本当に、必要なのか考えてみたほうがいいと思うんですね。



そうすると、疑問が出てきます。


どうして、「仕事にやりがいが必要だ」という価値観が大勢を占めるのでしょうか。


年代によって違うと思うんですが、少なくとも、私と同年代(30代前半)は仕事にやりがいを求めている世代のような気がしています。


そこで、先日の、インプット(労力)とアウトカム(見返り)の関係に注目してみたんです。


「やりがい」はアウトカム(見返り)ですね。


つまり、やりがいがない状態は、インプット(労力)に対してアウトカム(見返り)が足りていない状態だといえます。


「インプット(労力) > アウトカム(見返り)」 → 「やりがいが足りない!」



でも、考えてみると、別に、アウトカム(見返り)が「やりがい」である必要ってないですよね??


それなのに、どうして、やりがいだけが注目されるんでしょうか?



思い返してみると、高校生の頃、すでに、「やりたい仕事」とか「興味のある仕事」とかを考えさせられていました。


その方向性によって、大学での専攻を決めるというわけです。


でも、ろくに仕事を知らないのに、やりたい仕事なんて考えることもできなくて、モヤモヤした記憶があります。


つまり、そのころから、すでに、自己実現の手段としての「仕事」という価値観が刷り込まれていたのではないかと思うのですよ。


だから、「やりがい」が重要なのは、当然のことと思ってしまっているというわけです。



では、もっと上の世代の人はどうでしょうか。


40代後半や50代の方の話を聞くと、仕事における自己実現的なやりがいを求めてはいないように感じます。


「自分たちは、理不尽とも思えることを当然のようにこなしてきたから、若い世代も同じようにすべきだ」みたいなお話を聞く機会が何度かありました。


でも、いくらそういう説教をされても、その方たちと同じ価値観で働くことが私にはできないと思ってしまいました。


その根底にあるのは、私の場合は、実は、「収入の格差」だったりします。


どう考えても私より仕事ができないおじさんが、私よりもずっと給料をもらっていたりするわけです。


一番ひどかったのは、仕事ができるできない以前の問題でした。


依頼した仕事が期日までに終わっていないにもかかわらず、書道の練習と称してメモ帳に大量の文字を書いているのを見たときは、唖然としてもう何も言えませんでした。


会社の仕組みとして、親会社から出向してきているおじさまたちは、純粋な社員の私よりももらっているんですね。


出向でないにしても、ある程度の年齢の方と、若い世代の間での給与格差ってありますよね。


実は実は、そういう収入の格差がアウトカム(見返り)の違いとなって表れて、「やりがい」が主張されるもとになっているのではないかと思うのです。



そして、もう1つ、インプット(労力)の違いもある気がしています。


つまり、生活に占める仕事の割合です。


どれだけ仕事に労力を費やしているか。


これは、単に労働時間だけの話じゃないと思うんですね。


その人が仕事をどうとらえているか、だと思います。


「仕事=やりがい」とか「仕事=自己実現」とか、とにかく仕事が大事だという価値観を持っていて、なおかつ、そうあることを要求される環境にある場合、インプット(労力)は相当大きく感じると思いますよ。


だからね、足りないんです、アウトカム(見返り)が。


ここまで考えて、ちょっとインターネットで検索してみたら、こんな記事をみつけたので紹介しますね。


「やりがいがある仕事を探せ」というムチャ振り(東洋経済online)


なんか、私の言いたかったことの大半言われてるかんじですが・・・・。


ブラック起業にとって「やりがい」ほど美味しいものはない、というサブタイトルがすべてを表していると思います。



だから、今の仕事にやりがいを感じられなくて、起業しようとか思っているならば、一度、「本当にやりがいが必要なのか」考えてみてほしいと思います。


仕事にやりがいなんて不要だと言っているわけではありません。


ただ、足りないものがなんなのか、それを見誤らないでほしいなと思いました。


ではでは。


かなえ






~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。



「起業したい」と思っている人ってけっこういますよね。


でも、何をしたらいいかわからない。


そもそも、自分が何をしたいのかわからない。


だから、何もできずに終わる。



私も、「自分が何をしたいのか」がわからないと言っていました。


わからないなりに、やりたいこと、やったほうがいいこと、世間的に求められていることなどに挑戦してきました。


正直、まだ、本当に自分がやりたいことがわかったとは言えません。



でも、そんなもんじゃないですか?



自分の人生の目的だったり、役割だったり、そういう「何か」を求めながら生きていくんじゃないですか?



どんなに成功しているように見える人だって、常に「何か」を求めているんじゃないですか?



「自分はまだ何もみつけてない」と言って、何もしないなら、そりゃあ、何もみつからないまま終わりますよ。



「何か」がみつかったらか、先へ進めるんじゃないんです。



「何か」をみつけるために、先へ進むんです。



それを理解しているかどうか、ただ、それだけなんです。



「あれもやりたい」


「これにも興味がある」


「それもやっておくといいかもしれない」



だったら、全部やっちゃいましょう。


調べましょう。


本気で取り組みたいと思うものかどうか、まずは、試しましょう。



その1つとして、「想いを綴る」という方法があります。



単純な方法です。


毎日、ブログを書くんです。


興味があることについて書くんです。


続けられれば、本気になれる可能性があります。


3日くらいで飽きてしまったら、その程度だったということです。


1ヶ月続いたら、可能性があると思いますよ。


本当に興味があれば、書きたいこと、伝えたいことが自然と出てきます。


「書かなきゃ」なんて思わなくても書けます。


書いちゃうんです。



あーだこーだ言う前に、やってみましょう。


実は、私も別のブログを書いてまして、このブログを更新したあと、もう1つのブログも更新しているんです。


完全に趣味のブログなんですけどね。


書きたくてしょうがない。


モチベーションとかいらないんですよ。



でね、私、このブログだって、そういう風にしていきたいって思ったんです。


自然と伝えたいことが出てくるブログに。



それで、今日は本当に思ったままに書きました。


明日からもそれでいきます。


まあ、土日はお休みなので、次は月曜ですね。



次のブログの更新も楽しみです^ ^


では、よい週末をお過ごしください!!


かなえ




~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。



昨日はモチベーションの話をしました。



まとめると、こんなかんじでしたね。


・当たり前以上のことをするときにモチベーションが必要になる


・やるべきことを当たり前にできる仕組み、環境をつくる


・「こんなことをやっても無駄なんじゃないか」という疑念はやり続けることでしたか解消できない



でも、どうでしょうか。


「当たり前のことを当たり前にする」って意外に難しい。


本当にやる気がなくなってしまうと、それまでの当たり前すらキープするのが難しくなるんです。


会社勤めをしていて、出勤日に決められた時間働くって、当たり前ですよね。


でも、私のやる気が過去最低だった時期、毎朝、「今日、私が会社に行く必要あったっけ?」と考えて、理由がみつかったら出勤するという状態でした。


だいたいの場合、理由があるので週4日は出勤していたと思いますが。


会社に行くことが当たり前でなくなってしまうと、出勤にすらモチベーションが必要になってしまって、辛いですね。



では、なぜ、そこまでやる気がなくなってしまうのでしょうか。


こちらの記事にそのヒントが載っていました。


モチベーション、エクイティー:「あほらしさ」の正体



昨日と同じく、日経ビジネスの記事です。


自分がやったこと(インプット)に対しての見返り(アウトカム)と、他人が受けている見返りを比較して、他人のほうがうまくやっていると思ったとき、「アホらしい」と感じてしまう、という話です。


アホらしいと思った人は、熱心に仕事をしなくなることによって、バランスをとろうとすることが多い、と書いてあります。


やる気が過去最低だった時期の自分を思い返してみても、まさに、このような状況でした。


今考えてみれば、そんなに大袈裟な話ではありません。


ただ、これって、主観なんですよね。


「こんなにがんばったんだから認めてよ!」と思っているのは本人だけで、たいした仕事をしていない場合もあるでしょう。


見返りだって、同じ収入を多いと思うか、少ないと思うかは、人それぞれですよね。


周りの人が同じようなレベルであれば、満足するかもしれませんし、同業他社と比べて少ないと不満を持つ人もいるかもしれません。


収入にはそこそこ満足していて、賞賛を欲している場合だってありますよね。



では、起業の場合はどうでしょうか。


最初から、インプットと、アウトカム(見返り)のバランスがとれていることは珍しいのではないでしょうか。


それで、やる気が出なくて、インプットを減らしてしまうのはもったいないですよね。


インプットを減らして、「自分はこれだけしかやっていないんだから、収入がこれだけでもかまわない」って思ってしまったら、それ以上の発展はありませんよね。



ポイントは、あくまでも「主観である」ということ。


先日、こちらの記事で紹介した「プラダを着た悪魔」の主人公もそうでした。


自分では精一杯やっているつもり、というインプット。


でも、給与が少ないという、アウトカム。


それで思わず、同僚に愚痴をこぼした。


でも、そこで、「あなた、それで本当にがんばってるつもり?」と言われ、自分のインプットに対する認識を改めたわけです。



だから、やる気をなくす前に、認識を見直せばいいんです。


(1)インプットへの認識を見直す


 「がんばってる、がんばってる」って本当にがんばってるのか。


 それ以上できることは本当にないのか。



(2)見返りへの認識を見直す

 

 収入以外に、すでに手に入れているものがあるんじゃないか。


 一年前の自分と比べて、今の自分はどうだろうか。成長した部分はないのか。


 この先、収入につなげていくために、必要なものを少しずつ手に入れていっている段階ではないのか。


 手に入れたものを具体的にあげてみてはどうか。


 「どうせ自分なんてダメだ」という前提で結果を判断していないか。



これだけだと、気持ちを落ち着かせただけで終わってしまいそうなので、さらにもう1つ。


(3)インプット自体を見直す。


本当に成果につながるためのことをやっているのか。


なんとなく、よさそうなことをやっているだけじゃないのか。


続けてみてもうまくいかないときに、もっといいやり方がないか探して試しているのか。



今の自分がイマイチだと思って、やる気が出ないときは、お試しくださいね^ ^


少しでも参考になれば幸いです。


かなえ

~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。


昨日はブログを更新しませんでした。


それは、「なんだかモチベーションが上がらないなー」と思ったからなんですね。



でも、そもそも、モチベーションが上がらないっていうのはどういうことなのか?


それが気になって、ちょっと、インターネットで検索してみたのですよ。



すると、おもしろい記事をみつけました。


できる人ほど「モチベーション」を口にしない


日経ビジネスの記事です。


この記事の中で、一番衝撃を受けて、なおかつ、納得したのがこれ。


「当たり前以上のことをやる場合に必要な心理的エネルギー。これがモチベーションである。」



そういわれてみると、納得することばかりです。


昨日の私で言えば、「ブログを更新する」というのは、「当たり前」ではなかったということになります。


だから、いちいち、モチベーションが必要になってしまうということなのですね。



では、モチベーションに頼らずに、やるべきことを日々きちんとやっていくにはどうしたらいいのでしょうか?



この記事の中では、「やるべきことを自然とやっていける仕組み、環境をつくること」という趣旨のことが書かれています。



ただ、仕組みだけ、環境だけつくればそれでいいのかというと、またそれも違います。


「やるべきこと」を納得している必要があります。


不信感や反発心を持ちながら、「やるべきこと」に取り組もうとしても、やらない理由を作りたくなってしまうからです。


そういうとき、「正論」って弱いんですよね。


不信感や、反発心の正体は、「こんなことやっても無駄なんじゃないか」という疑念です。


無駄なことはしたくないですよね。


効率的にいきたいですよね。


そんなことをしなくても、うまくやっていそうな人が周りにいる場合は、なおさら。



だから、「こんなことをやっても無駄なんじゃないか」という疑念を消す必要があるんです。


そうです、そうなんです。


でも、残念なことに、やる前から疑念を消すことなんてできないんです。


やってみて、「ああ、これでよかったんだ」って思うことで初めて、疑念が消えるからです。



つまりね、「やるしかない」って信じることが必要なんです。


例えば、1ヶ月やってダメだったらそのときは方針を考え直そうとか、とにかく、続けてみる。


「やったことのないことをやるときは、70回やってみる。70回やって初めて向いているかどうかわかる」という話を聞いたこともあります。


やろうと思っていることがあるなら、まずはやってみませんか?


そして、毎日続けるためにはどうしたらいいか考えてみませんか?


気合だけでは乗り切れません。


モチベーションにも頼りません。


まるでご飯を食べたり、歯磨きをしたり、お風呂に入ったりするのと同じように、こなしていくにはどうしたらいいでしょうか?


ぜひ、いい習慣になるように、考えてみてください^ ^


私も二度とモチベーションとか言わないように、仕組みや環境づくりを考えていきますね!


では。


かなえ














~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。



結局ね、他人の生き方に口を出すことはできない。


そういうことなんじゃないでしょうか。



他人の生き方に口を出すっていうことは、自分の価値観を押し付けるということ。


よくある嫁姑問題を例に考えるとわかりやすい。


どちらかの側に立ってしまうと、相手が悪いようにしか思えなくなるんですが、お互いに別々の価値観を持っていて、それぞれに「最善」と思うことを主張しているだけです。


ただ、何が問題かというと、相手の価値観なんて関係なしに、「これが絶対に正しい。こうすべき!」という主張になってしまうこと。


それでは相手の心を動かすことはできません。


相手が口だけ従ったふうにしても、その場限りは合わせてくれたとしても、完全に相手を自分と同じ価値観にして、思うとおりに動かすことはできないんです。



これは、嫁姑問題というわかりやすい話だけでなく、どこにでもある話です。


いろいろな問題、特に、確執が生じるのは、相手の生き方に口を出したことが発端ではないでしょうか。


難しいのは、自分ではよかれと思って発言していること。


相手のためを思って、発言しているつもりなんです。


これがややこしい。



例えば、相手に対して、「○○すべき」と言ったら、自分の価値観を相手に押し付けていることに気づきやすい。


でも、相手に対して、「○○したほうがいい」と言った場合はどうでしょう?


ただのアドバイスだから、価値観を押し付けていることにはならないと思いますか?


私はこれも、場合によっては、自分の価値観を押し付ける行為だと考えます。


だって、○○したほうがいい根拠は、自分の価値観の中にあるから。



そう考えると、アドバイスって難しい。


自分が「こうしたほうがいい」と思ったことをただ伝えるだけでは、通じないから。


価値観が似ていることがわかったうえでアドバイスをするならいい。


そうでないなら、一度、考えてみる必要があるんだと思う。



「相手の価値観はなんだろう?」


「なにを一番大切にしたいのだろう?」



そして、自分が伝えようとしているアドバイスが、相手の生き方に口を出すようなものでないか、考えてみる。


相手のことをむやみに責めていないか。


自分の価値観を押し付けようとしていないか。




「伝わらない」とか「わかってくれない」とか言う前に、そもそも、自分が相手のことを理解しようとしていたかを考えてみる。


誰が一番正しいか、なんて、問題じゃない。


みんな正しくて、みんな間違ってる。


それをわかっているかどうかが、重要だってこと。



相手のことを理解したうえで、アドバイスする方法の一つとして、


「この人なら、○○できる」


って考えてみること。


この人なら、何をどうできるんだろうか。

本人の力が最大限出せるのはどういうことなのか。

そのために、どういう言葉をかけたらいいのか。


「絶対にできる!」と信じて声をかけてみる。



口で言うほど簡単じゃありません。


相手のことを知らなきゃいけないし、まず、知ろうとしなきゃいけない。


けっこうハードル高いよ。


でもね、中途半端なアドバイスをして、あとでモヤモヤするより、本気で向き合った結果のアドバイスは相手も自分も気持ちいい。


これ、ほんと。



もし、人間関係でモヤモヤしているなら、参考にしてみてくださいね。


ときと場合によると思うので、参考にできる部分だけ使ってください^ ^



かなえ












~自信がなくても起業したい!小心者の為の起業ステップアップ講座~


こんばんは!かなえです。


昨日、ずいぶん前に録画していた、「プラダを着た悪魔」を見ました。



ひさしぶりに見ましたが、以前見た時とは少し受け止め方が変わりました。


以前と変わらず、主人公のアンディー(アン・ハサウェイ)が編集長のミランダ(メリル・ストリープ)のもと、がんばって働いて、徐々に信頼を得ていく様子はとても気持ちがよかったです。


ただ、以前見たときは、正直、最後の主人公の決断は「それでよかったのかな?」と疑問に思う部分がありました。


というか、なぜ、そんな心境になったのかよくわからないというかんじでした。



昨日、あらためて、見てみて、「自分にとって何が大切か」「どういう生き方をしたいのか」を考えた末の決断だったのだろうと思いました。


今ならよくわかります。


最初に、主人公が変わるきっかけとなったナイジェル(同僚のデザイナー)の言葉とともに、人生を前に進めるための、大事な決断だったと思います。


前半で、主人公に対して放ったナイジェルの言葉も、私にとっては、けっこう重かったです。



「あなた、それで本当にがんばってるつもり?」



ナイジェルがどれだけの想いで今の仕事しているのか。


そして、与えられた仕事を精一杯がんばってこなすだけでは、まだまだ足りないということを指摘している。



そして、それに対して主人公が思いついたのは、「見た目を変える」ということ。



とても美しかったです。



ファッション雑誌の編集部で働く彼女と、私の間には大きな差があるわけですが、見た目が大事だという点においては私も同感です。


誰のためでもなく、自分のためにね。


自分でも「似合わないなぁ」「ちょっとダサイなぁ」と思う服を着て、伸びっぱなしの髪を適当に結ぶだけ。


そんな自分に自信を持てますか?


他で圧倒的な自信がある人はいいんです。


でも、そうじゃないなら、少しずつ、「自信がない」から「自信がある」に変えていく必要があります。


服装だって、髪型だって、自分を構成する大事な要素ですから。


自分以上になろうと思って、過度に飾り立てる必要はありません。


今、自分でも、イマイチだなと思うところがあるなら、思い切って変えていきませんか?



世の中には、「パーソナルスタイリスト」というサービスもあります。


服装でお悩みなら、一度、利用してみてもいいと思います。


私も利用して、非常に満足しています。


服装で「迷わない」ということがどれだけ素晴らしいことか。



最先端のファッションに流されるということではなくて、なんていうかな、「あぁ、今の自分もけっこういいな」と思えることが重要だと私は思いますよ!


人それぞれ、タイミングがあるとは思いますけど、一度、挑戦してみてはいかがでしょうか^ ^



かなえ