「右に向いて左に向いて」
と言われて不安はありましたが、緊急性はあるものとは思いませんでした。
「一度、NSTを取ってみましょう」
と個室に案内され、予定にはなかったNSTをとりました。椅子の左側にモニターがあり、モニターを見ると、心拍が60くらいまで下がることがありました。一気に、血の気が引きました。
「どうしよう、赤ちゃんが、死んでしまう。」
と、焦りました。助産師さんが
「先生を呼んできます。」
と部屋から出て行きました。頭が真っ白で何も考えれませんでした。産婦人科の女医さん2人が慌てて、駆けつけてくれ
「赤ちゃんの心拍が下がっており、赤ちゃんがしんどい状態なので、今すぐ帝王切開で赤ちゃんを出します。」
と言われました。
ただただ、赤ちゃんが心配で涙を流すことしかできませんでした。
外来で来ていたので、たくさんの患者さんがいる中、酸素マスクをつけて、ストレッチャーに乗り、産婦人科病棟の5階までエレベーターに乗り運ばれました。涙が止まりませんでした。産婦人科担当の看護師さんも駆けつけてくれました。その1人の看護師さんは、私の手を握り、
「私たちが助けるからね」とずっと言ってくれました。その言葉が、本当に胸に響いたのですが、そんなに、大変な状態なんだと、感じました。手術の準備が始まりました。手術着に着替え、尿道カテーテルが入り、採血し、点滴が入りました。
手術室に入ると、すぐ麻酔科の先生から挨拶があり、すぐに脊椎麻酔が入り、下半身の感覚がなくなりました。仰向けになり、お腹がすぐに切られました。痛みはないが、触られている感じはわかりました。麻酔科の先生が頭もとについてくれ、説明をしてくれました。
「今、お腹を切りました。赤ちゃんが出たら、見えるんで、頑張ってくださいね。」
その言葉で、本当に早く、見たいと思い、待っていました。
「おめでとうございます。今、赤ちゃん出ました。これから胎盤を出すので、押される感じがすると思います。」
と、言われ、ずっと待っていましたが、赤ちゃんは、来ませんでした。
「あかんかったんじゃ。」
吐き気がして、嗚咽が込み上げてきて、涙がとまりませんでした。怖くて、自分からは何も聞けませんでした。どれくらい時間がたったのか、分からなかったのですが、小児科の先生がやってきて、
「おめでとうございます。3224gの男の子です。」
と言われ、
「あー、生きてるんだ」と思いました。
先生の説明では、
「お腹から出た時、息が出来てなかったから、管を入れて、呼吸のお手伝いをしています。全身の色も良くなり、NICUで治療をしていきます。」
という説明でした。
とりあえず、生きているということで、少しホッとしましたが、人工呼吸器がついているということは、良くない状態なんやろなと、また、涙がでてきました。
産後の処置が終わり、病棟の入院する部屋にストレッチャーで戻ると、主人と母が来てくれていました。2人の顔を見ると、我慢していたものが、吹き出してきて、声をだして、大泣きしてしまいました。処置があるため、外で待つように、看護師さんより、指示があり、一旦部屋から出てもらいました。泣いている私に、手術前に手を握り、「私たちが助けるからね。」と言ってくれた。看護師さんが、
「我慢しないで、泣いていいんだよ。」
と言ってくれ、処置をしてくれました。

主人と母が、部屋に入ってきました。
「NICUに行ってきたよ。海斗可愛かったわ。」
と、主人がいい、写メを見せてくれました。
小さな口に太い管が入り、人工呼吸器につながり、左の鼻には、経管栄養のチューブがはいり、右手背には、酸素飽和度を測る機械が装着され、テープで固定され、心電図の電極が3本、小さな体に貼られていました。
「なんて、かわいそうに、私は、なんてことをしてしまったんだろう」と思い、辛くなりました。
でも、主人は
「俺に似てかわいいわ。俺の指をぎゅって握るんでよ。パパ行かないでって」
と、何の不安もなく穏やかな笑顔で話します。
少し、その顔を見て、そんなに心配ないのか?と、考えました。母も、
「手も足もよく動かしていたわ」
と落ち着いた口調で言います。私に心配かけないために、2人ともそういうふうに言っているのかなと、思いました。そこからいろいろ話をして、家の事や上のお姉ちゃんとお兄ちゃんの学校の事、入院の荷物のカバンを持ってきてもらうことなど、相談しました。
母は、一度、自宅に帰り、用事を済ませ、それから私の家に泊まりに来てくれることになりました。主人とは、検診の事や今までの流れを説明し、入院計画の書類などにサインをしてもらいました。
助産師さんが、術後のバイタルを取り、点滴を更新し、オロの量や子宮の状態を診てくれました。特に私には、何も異常はありませんでした。私は、今日は赤ちゃんには会いに行けないようです。主人に、私の携帯を渡して動画を撮ってきてもらいました。
母が中学生のお姉ちゃんともう一度病院に来てくれました。13歳のお姉ちゃんも、驚いた様子で私の心配をしてくれました。
NICUに入れるのは、配偶者と自分の父親、母親、配偶者の父親、母親までしか無理ということで、お姉ちゃんは、赤ちゃんに会う事はできませんでした。残念そうに帰っていきました。主人も、明日は仕事を休めるということで、また明日来てくれると、少しすると家に帰りました。
そこからは、1人となり、地獄の始まりでした。「何がいけなかったんだろう、なんでこんなことになってしまったんだろう」1人でずっと考えていました。1時間おきに看護師さんや助産師さんが部屋を訪れ、バイタル測定し、点滴の滴下を合わしにきてくれました。
夕方、小児科の先生が部屋を訪ねてきてくれました。
「赤ちゃん、生まれた時は少ししんどくて、人工呼吸器をしているが、自発呼吸もしっかりあります。この入院計画書に沿って適切なケアをさせていただきますね。ここには入院期間2週間とありますが、それより早くなることもあれば長くなることもあります。もしかしたら輸血製剤を使用することがあるかもしれないので、同意書にサインをお願いします。」
先生の言葉が、その後ずっと頭の中を回っていました。自発呼吸があると言う事は、人工呼吸器をとっても生きていけるのか、一生人工呼吸器が必要なのか、全くわかりませんでした。主人の撮ってくれた動画を見て、泣くことしかできませんでした。

現在、子供はもう少しで3ヶ月になります。今は、元気に自宅ですくすく育っています。でも、出産当時は不安しかなく、とても苦しかったのを今でも思い出すので、自分の記録として、また、私の経験が誰かの役に立てばいいなと思い記事にすることにしました。子供が寝ている間や、時間があるときに少しずつ忘れないうちに書いていこうと思います。