やりました!ついに、ついに、待ちにまった初書籍がAmazonに反映されました。

 

「続ける力〜36年間、

小学校教師として生きたママ先生の物語〜」

https://www.amazon.co.jp/dp/4867396761

 

 必死にパソコンに向かって、執筆していた10ヶ月前を思い出しました。編集者さんに「最低、5万字は書いてくださいね」と言われた時は、「大丈夫かな?」と心配になりましたが、章立てを考え、書き進めていくうちに没頭していつの間にか超えていきました。

 

 自分の教師時代の思いと家族との絆がテーマです。自分も早速注文して読んでみます。

 きっと、その頃より自分はさらに進化していると信じたいので、「こんなこと書いてしまった!」という後悔を感じたり、「さらに成長した」という嬉しさがあったりするのだろうと期待しています。

 

 まずは、家族、友人に「出たよ〜」(お化けか?)とお知らせしていますが、次第に自分と直接つながりのない方でも、もしかしたら買ってくださることを夢見て、今はこの生まれたての自分の子供のような存在の著書を味わっていきたいと思います。

 

 ご縁があり、手にとってお読みいただけましたらぜひレビューにご感想をお書きいただきますと、飛び上がって喜びます。ありがとうございます。

 88歳の父は、ずっと仕事人間で家事などできない人だった。しかし、3年前に母を亡くしてから一人暮らしになり、生きていくために食事の用意、洗濯、掃除をするようになった。好きなゴルフも、1ヶ月に1回は行っていた。

 

 母が認知症になってから、施設が空かず一人で3年ほど家で母の世話をしてきた、辛抱強く責任感のある父、その父の世話を今度は長女である私が引き受けようと考えて、同居することにした。それまでは、週に1度は顔を見て、会話をするようにしてきた。これも近くに住む利点だ。

 

 2025年10月に88歳を無事迎えたので、「米寿の祝いをしよう」と半年前から計画し、孫たちも呼んで温泉を予約していたけど、「体力に自信がない、中止してほしい」と言われ、やむなく断念。事前にその宿に下見に行くほど、本人も楽しみにしていたから、相当残念だったと思う。

 

 それまで元気だった父は、カツ丼をペロリと平らげ温泉に愛車で出掛けていたのに、2、3日前から左の腎臓のあたりを痛がるようになり、「動くと辛い」と昼間も寝ているようになった。

 

 かかりつけの医者に行き、血液検査、尿検査、CTも撮ってもらうと「精密検査を受けた方がいい」と言われ、紹介状をいただいてくることに。

 

 これが、高齢者の体なのか・・

 

 急激に悪くなる、動けなくなり寝てばかりいる、その先は・・?

寝たきりの生活にこのままなってしまうのだろうか?そう思うと、ちょっと信じられない。娘3人とも「お父さんは、ボケそうにないよね」と言ってたのに。

 

 これから、父の介護生活が始まるのかもしれない・・

 

 そう思うと一人では、とても心配なので地域の包括支援センターに相談してみるつもり。また、2人の妹にも連絡して、一人で抱え込まないようにしようと思っている。

 

 あとは冷静な判断力を保つよう、自分もしっかりしないと。同情や余計な気遣いは無用。やるべきことを淡々としていく、これが自分のスタイルなので。

 

 今は、少し元気になって「冬囲い(雪国の11月のお仕事、家の周りを雪で壊されないように整備しておくこと、タイヤ交換も含まれますね)しないと」と気を揉んでいる。こんなところも、胃を痛めてしまう原因かもしれないけど。それを励みに、なんとか気力、体力を取り戻して欲しい。

 

 これからは娘3人、力を合わせて父を支えていきたいと思っている。

 あなたが死ぬまでに成し遂げたい夢は何ですか?

 

 58歳で早期退職を決意したのは、それまで教頭を9年勤めていて、その後は校長になって理想の学校づくりをしたかったのだけど、人生最後の校長採用試験にも不合格の通知が来てしまい、教員を続ける目標をなくし、同時に意欲もなくしてしまったから、ただのガソリン切れでです。

 

 それまで10数名の校長の姿を見てきて、自分なりの理想の校長像があって、「こうなれたらいいな、子供達が喜んで通える学校にしたいな」とあれこれ考えていたのですが、実力不足でした、採用されなかったのですから。

 

 「教頭を9年もしていて、校長にならなかったの?」と周りから聞かれたけど、「ならなかった」のではなく、「なれなかった」のです。質問してくる方には、率直にそう答えてます。質問したみなさんは、「しまった」って顔をなさいますけど、それが真実です。

 

 さて、早期退職を決めたのはいいけど、これから死ぬまで一体何をするか?自分は何者なのか?この問いへの答えがなかなか得られず、退職後ずっと探してきました。これが残りの人生を充実して生きる、重要なポイントだと実感していたからです。組織に属さない自分は、一体何を社会に貢献できるのか?

 

 新しい出会いがあったとして、「何をしているの?」と聞かれ、自分は何と答えるのか?退職後も、できることをしていたいじゃないですか。体が動かなくなるまで、社会と繋がっていたいし、日常的に会話も楽しみたい。退職して、毎日出勤する場所があることのありがたさが身に沁みました。

 

 今、私がまま先生にお伝えしたいのは、退職後も自分らしく生きたいなら、退職前から自分に挑戦し、自分を試し、自分の人生を何か特別なものにするための道や方法を見つけておき、その道を進んでいく、粘り強く、諦めずにということです。その道は、現在の好きなことを続けてもいいですし、新しいことを始めてもいい。

 

 私は退職後1年間は、社会に出て働くことはせず「クルーズ」と「食べ歩き」とソーシャルメディアを活用した人脈作りに励みました。ここで発信したInstagramの内容が、今回の本出版のきっかけになったので、ありがたいことだと思います。

 

 私は趣味もなかったので退職後どう生きていくか、探して探して探し回って退職後2年目にようやく占い師の道に辿り着きました。占い師養成学校を紹介してもらい、そこで学んだことがきっかけです。この仕事に定年はなく、90歳になってもできると思うと、これからの人生が楽しみで仕方ありません。

 

 占いは奥が深く歴史も長いですが、「ちょっと怪しい感じ」も否めず、そこが面白いところだと思っています。占い師としての腕をこれからどんどん磨いていきたいし、知識もつけたい。これから占いを通して、どんな方と出会えるかと思うとワクワクしてきます。

 

 「占い師しているの。よかったらあなたの未来をみましょうか?」

 こう言われて、気味悪いと思う人もいるけど、「面白そう」って思ってくれる人もいると思います。後者との関係を、新しく築いていったらいいと思うのです。新しい出会いの道具を手に入れられたと思います。

 

 私の占いを受けた方が人生を明るく、力強く進んでいってくれたらこれ以上の喜びはないですね。人生後半で、そんな道を見つけられた自分はラッキーでした。

 

 あなたは、どんな道を進んでいきますか?あるいは、今歩んでいるのでしょうか?

 

 

 今、子育て真っ最中の方にとって、子育ては楽しいでしょうか?

 

 32歳で3人の母となり、夫の提案で義父母と同居することになりました。たまに会ってはいたものの、一緒に住むとなるとお互いの良いところ、悪いところが見えてきます。

 

 それでも、子供たちを働いている間見てもらえる安心感はありました。私の実家は、車で10分の距離でしたので、両親に3人とも見てもらうこともできたはずなのですが、「母の負担を減らしたい」という思いと「3人の朝晩の送り迎え」を考えると夫の申し出を受け入れることにしました。

 

 というのも、長男は私が1年間の育休を明けてから、実家に預け母に世話をしてもらっていましたが、帯状疱疹になったり、「旅行に行きたい」と言われたりしていたからです。それでも、両親は長男を目の中に入れても痛くないほど、可愛がってくれました。躾もしてくれました。今でも感謝しています。

 

 平日は朝や夕方の短い時間でしたが、子供達と関わるようにしました。小さい頃は、体に触れスキンシップをとる、小学生になったら時間を一緒に過ごす、3人を平等に扱うことは特に気をつけました。宿題を見たり、行事には休みをとって必ず参加しました。

 

 中学生、高校生は会話を多くする、食事時には特に子供たちの学校の話題から社会問題まで自分の考えを話すように努めましたし、子供達にも話をするように促してきました。お金の話もよくしました。

 

 長女が学校でいじめられた、長男がいじめっ子をこうやって撃退した、次男の修学旅行の武勇伝などなど。さらに体育祭など大きな行事が終わると、カラオケルームにパーティーに行きました。誕生日には手作りケーキと料理でお祝いしました。

 

 義父母は3人を可愛がってくれましたが、子供たちは両親がいない時に叱られたことも多かったようです。特に長男は、口答えをしていたらしく帰宅すると私も舅から叱られることもありました。昔気質の人だったので、私とは子育ての方針が合わず、よく衝突したものです。

 

 途中、反抗期と呼ばれるものも経験しましたが、今は良い思い出です。3人が成長し社会人となって家を出て行くまで、20数年間ありました。3人と過ごした時間があっという間に過ぎ去ってしまった、今はその寂しさを感じ、20年間幻を見ていたようであったと思います。

 

 同居したのは10数年でした。舅に怒鳴られたことも1度や2度ではなかったです。子供たちを安心して見てもらえたことは何よりの財産だったと今では思います。お仕事をなさっている方は、少しの我慢で安心を得られるなら、同居という選択も考えてみてはいかがでしょう。キャリアを失わずに済みます。

 

 もちろん自分の親なら、なおいいですが、その際はご主人と親の関係に配慮していきましょう。

 

 2026年4月、私に初孫が誕生する予定です。私も母のような優しい祖母になります。

 

 

 

 

 

 11月中に、初の書籍がAmazonから出版されます。タイトルは、

「続ける力〜36年間、小学校教師として生きたママ先生の物語〜」

 

 1ヶ月間、朝イチで原稿を執筆し完成させた渾身の1冊です。ぜひ、ご覧いただけたら嬉しいです!

 

 さて、その本では語り尽くせなかったことについて紹介します。

 1回目は「お金の管理」について。

 

 私は、長男、次男、長女の3人の子供たちを育ててきました。下の二人は、男女の双子です。3人とも今は社会人になり、家を出ています。関係性は、とても良いと思ってます!

 小学生の頃は、ディズニーランドと家族旅行に年2回出かけていました。行きたい学校にも行かせることができました。

 

 そのためには、お金の用意が不可欠です。そのために努力したことは、

1 長期的な計画を立てる・・育休中からこれからの資金計画を立てて行きました。タイムバスケットを作り、「○歳の時に、○○がある」と書き出し、そのための過程で何をすべきか考えていきました。同じ職業の元夫はギャンブル好き、お金のことはあまり期待できなかったので、自分で何とかしようと考えていました。給料から一定額を先取りして別口座に移し、残すものと投資するものに分けます。

 

2 金融関係の書籍を読み漁った・・「隣の億万長者」「私の財産告白」など時代の変遷の中でも名著と言われているものを片っ端から学びました。3人の母になった30代の頃です。休日は、ほぼ勉強していたと言えると思います。子供達を図書館によく連れていきましたが、「お母さん、よく本読んでたよね」とあとで言われてました。ウォーレンバフェットやジム・ロジャース、ジョージ・ソロスを知ったのもこの頃です。勉強せずにリスクがあることを始めることは危険ですし、「子供達の将来がかかっている」「元金を失うことがあってはならない」と思っていたからです。

 

3 そのために投資を始めた・・まだオンラインの証券会社は、今のように発展していませんでしたし、むしろパソコンが普及し始めた頃でした。それでも証券口座を開設し、どこの株がいいのか勉強し、取引を始めました。勉強は経済雑誌や書籍から銘柄と考え方を学びました。株ばなりでなく、投資信託も始めました。これは退職するまで続けました。

 

 今は銀行預金の金利が信じられないくらい低いので、投資を始めるのは「お金に働いてもらう方法」として有効だと思います。今なら、私は債券を購入するでしょう。上がり下がりがなく一喜一憂する必要もないからです。

 

 まま先生は、子供たちの未来を見据えてしっかりお金の管理もしていきたいですよね。