実家で2匹の猫を飼っていました。
そのうち黒猫の方の「ノア」が、3月2日の朝方突然、15歳で亡くなりました。
朝普通にカリカリを食べて、ノアの定位置であるダイニングチェアに座って眠っていたのに、10時頃にふと気がついたら大量によだれを流しながらぐったりしていて、呼吸も心臓も止まっていたそうです。
第一発見者は母。
そして妹が蘇生を試みたものの、戻ってきてくれることはありませんでした。
電話をもらって駆けつけたときにはまだ少し温かく、抱き上げようとしたら当たり前なんですけど力が抜けててぐにゃぐにゃで、体が大きいから抱っこの姿勢を保つことも難しくて…
最近痩せてきたとか、水を飲まないとか血を吐いたとか、そういう兆候は全くなくて、そもそもいままで病気ひとつしたことがなくて、ついこの間実家に行った時も私が椅子の背もたれの隙間から指を出したり引っ込めたりしたら猫パンチを繰り出してきたりして、
まだまだ現役だね〜このまま20歳まで長生きしてネコマタになりそうね!
なんて思っていたのに、本当に突然、もがきもせず、うめきもせず、誰にも気付かれずに静かに眠るように逝ってしまいました。
いつも、その巨体を詰め込むように無理やりギュウギュウになって入ってた上、そのままそこで伸びまでするもんだから四隅が決壊寸前になっている小さなダンボール箱の寝床に、ビニールの風呂敷と保冷剤、そしていつも使っていた毛布を敷いて、寂しくないように子猫の頃にお気に入りだったボロボロのウサギのぬいぐるみも添えて、丸くなった体勢で箱の中に寝かせてやると、本当に眠っているだけみたいに見えました。
ただ、お腹はいつもみたいにすうすう動かないし、触っても温度を感じられなくて、ぬいぐるみが2つ置いてあるみたい。
抜け殻になってしまったノアの毛並みを整えるように撫でていたら、背中に涙をポタポタ落としてしまい、それをまた拭き取るようにゆっくりと撫で続けました。
私が高校1年の時に7つ下の妹が小学校で拾ってきた、たぶんまだ目も見えていないような手のひらに収まる大きさの黒いボサボサの子猫。
当時おフランスにかぶれていた私が、フランス語で黒いという意味の「Noir(ノワール)」という単語から「ノア」と名付けました。
拾ってすぐに母が連れて行った獣医さんの診立てでは、生後1週間くらい。
人間の赤ちゃんと同じく3時間おきの授乳が必要で、母が夜な夜な目覚まし時計をかけて毎日寝不足になりながらミルクをあげてくれました。
あっという間に大きくなり、ボサボサだった毛並みは縞模様になったり体だけグレーのパンダ柄になったりと、ご先祖さまの系譜を辿っているのか?目まぐるしく変化し、
最終的には名前の通り艶やかな濡羽色の毛並みの、6キロもある大きな美猫に成長しました。
よく「捨て猫には見えないね」とか「なんか高級そう」とか言われた気品あふれる姿とは裏腹に、いつも「あおん」とか「おわあ」とか野太いへんな声で鳴いていました。
彼が「ニャー」といわゆる猫らしい声で鳴くのは、何か獲物を狙っているときや怒っている時だけ。
でもどんなに怒っていても本気を出して人に怪我をさせたりすることは滅多にしない、優しくて賢い子でした。
来客があるとすぐ近くに寄って行きしきりに匂いを嗅いで何者か確かめていて、それを客人が「歓迎されている」と思って撫でようとすると激しく威嚇する、臆病で警戒心の強い子でした。
人がたくさんいるときはクールな一匹猫を気取ってるくせに、二人きりになるとゴロゴロ言って甘えて膝に乗ってくる、カッコつけでかわいい子でした。
ホットカーペットの上で胡座をかいてその上に膝掛けをかけていると、ゴロゴロ喉を鳴らしながら股の間に入ってきて、本当にでっかくて重いからだんだん足が痺れて感覚がなくなっていくのを
江戸時代の処刑みたいだ…
なんて思いながら、彼の気が済んでどこかへ行くまでの間片手で艶やかな背中を撫でていました。
こんなにでっかい図体なのに、家の横にあった田んぼに大発生するカエルが大の苦手で、喜ぶと思って捕まえてきたカエルと初めて対面させてカエルが跳ねたとき、
見たことがないくらい毛を逆立てて横っ飛びで逃げて行ったのを、
そして
「猫でも『忌々しい』って表情するんだ」
と驚いたことを、
あと申し訳ないけどちょっと笑っちゃったことを、すごくよく覚えています。
玄関のドアを開けると脇からピューっと外に脱走する常習犯で、でも家の敷地より外には滅多に出ず、ぐるっとお散歩して気が済むと玄関の前で
「おぁ〜ん(開けてー)」
と大声で人を呼ぶので、
何かの音を聞き間違えて
「ノア出てない?」
「ここにいるけど」
みたいなやり取りをよくしていました。
これが、
「そうだ、もういないんだった」
になってしまったのが、悲しくて寂しくて。
にゃあにゃが大好きなんだけど子供なので扱いや動きが乱暴なキョウ。
ノアはキョウのことを怖がっていて、キョウがちょっと近寄っただけでいつもフーフー唸っていたのに、お昼寝している2歳前のキョウのお腹の上で香箱を作って落ち着いている貴重な一枚。
子猫の頃はよく写真を撮っていたのに、3年も前に撮ったこの写真がノアの顔が写っている一番最近の写真になってしまいました。
大人になってからのノアは真っ黒すぎて、写真を撮っても黒い物体にしか写らなくて、細部が写る明るい太陽光の下だとまぶしいから目つきが悪いしで、ほとんど撮ることがなくなっていました。
こんなことになるなら、真っ黒で何が何だかわからない写真でも、ガン飛ばしてるような怖い顔でも、老いて動きの少ない動画でもいいからもっとたくさん撮っておけばよかったな。
家族の誰かが「ノアー!」と呼んでも振り向くか尻尾で返事しかしないくせに、母が呼んだときだけはすっ飛んで傍にやってきました。
洗濯物を干すときはいつも母の後ろをついてベランダを回り、洗濯物で足元が見えていない母に尻尾を踏んづけられたりしても、毎日懲りずにストーカーしていました。
夜寝るときは、みんなが寝静まって誰もいなくなったのを確認してから、母の近くで丸まって寝ていました。
ときどき赤ちゃんみたいに甘えて母の首の皮に吸い付いてフミフミ。(誰かに見られてることに気付くとやめる)
おかげでマザコン!と言われていました。
拾ってきた妹と育てた母の悲しみは深く、亡くなった当日は二人とも泣き崩れていました。
今後は日常の中でついノアの姿をどこかに見つけようとしてその度に泣いてしまうんじゃないかとか、そこら中にノアの存在感が残ってるあの家で日に日に喪失感が募っていってペットロスに陥ってしまわないかとか、とても心配です。
私はと言えば、去年の夏に実家を出て最近あまり触れ合えていなかったからか、涙は溢れるしショックではあるのにノアがいなくなったという現実をいまいち受け止めきれずにいました。
というか、横にいるおチビ2人がいつも通り「お腹すいたー!」やら「公園行きたい!」やら大騒ぎで、悲しい気持ちに浸らせてもらえる暇もなく否応無しに襲い来る日常、みたいな。笑
火葬の手配や愛猫との別れについてネットで検索したりしている間も、自分が何をしているのかよくわからない、頭と体がちぐはぐなような、心がどこかへ行ってしまったような、そんなボンヤリした状態のままで。
それでもまるで自動操縦モードみたいに公園でママ友と談笑したりしているうちにあっという間に1日が過ぎていき、予約の時間を迎えて、ノアは、小さな骨のかけらになってしまいました。
本当の死因は誰にもわからないけれど、火葬してくださった葬儀屋さんは悲しみに暮れる私たち一家に、そして(本当はこんな言い方したくありませんが)たかが雑種の猫一匹の亡骸に、とても丁寧で温かな対応をしてくださり、お骨の部位の解説だけでなく骨の残り方を見て今際の際の体調を推測し、
「おそらく老衰でしょうね」
と教えてくれました。
…いや、ただ私たちが異変に気付いてなかっただけじゃないのか?
数日前に大暴れして嫌がるのを押さえつけて便が毛にくっつかないようにするため大嫌いなお尻周りの毛の散髪をした、そのストレスが負担になったんじゃないか?
と家族はそれぞれに自分を責めますが、
私は母の「本当に今朝まではいつも通りだった」という言葉や、葬儀屋さんの見解を信じたいです。
看病や介護を必要とすることも、苦しむこともなく、安らかに眠るように寿命を迎えたんだ、まさしく「ピンピンコロリ」だったと、そう思いたいです。
家族の誰も、猫の平均寿命こそ超えていたもののノアとこんなに突然お別れする日が来るなんて思ってもいなかったので、心の準備も何もないままでしたが、奇しくも亡くなったのはだいたいいつも母の仕事が休みな木曜日。
やっぱりマザコン…いや、最期の親孝行だったのかな?お母さん、こんな状態で普通に仕事行けるわけないもんね。
なんて都合のいいように考えてしまいます。
元々はどちらかというと犬派だった私が猫大好きになったのは、ノアがうちにやってきたから。
家族みんな持ち物が黒猫グッズだらけになって、今はそれらを目にするたびに胸の奥がツンとするけど、いつか時間が癒してくれるはず。
ノアを見送って一晩明けて、子が寝たりした隙にこれを書いていてズンと現実味と涙がわいてきました。
こんなに可愛い猫と暮らしていたことをいろんな人に自慢したくて、思い出を形に残しておきたくて、
そして
ボンヤリから抜け出せないままあっという間にお骨になってしまったので、文章にアウトプットすることでどこかへ行ってしまった心を呼び戻してしっかり悲しむ時間を作りたくて、ブログの記事にしました。
命あるものはいつかその生涯を閉じる。
君が幸せだったかどうか自信はないけれど、私はとてもたくさんの幸せをもらいました。
大事なお布団におしっこされたり、子供のために買ったジョイントマットで爪を研がれてボロボロにされたり、困らされたこともいっぱいあったけど…
うちにやって来てくれて、ありがとう。
たくさんの思い出とにゃんこ萌えをくれて、ありがとう!
艶々な毛並みのなめらかな手触りも、お腹に顔を埋めたときのにおいも、肉球のやわらかさも、黄緑のおめめも、ちょっと曲がった尻尾も、へんな鳴き声も、膝に伝わる暖かさやゴロゴロいう振動も、そして重さや脚のしびれも…全部全部、忘れない。
もう触れられないのが寂しすぎるけど、1日経った今でも私の手のひらは最後に撫でた背中の毛並みの感触をしっかりと覚えてる。
もう1匹の家族、ノアの妹分、腎臓が弱ってきてる「シュシュ」のことまだ連れて行かないでね。
虹の橋のふもとでのんびりお母さんのこと待っててあげてね。
おやすみなさい。