私が娘とお別れをした事を知っている人達に会うと、最初の一言は必ずみんな同じ事を言います。
『なんだ、元気そうだね』
この言葉、自分が想像していたよりも私が元気な姿をしていたから思わず出てしまった、本人からすれば悪気のない言葉なのでしょう。
その言葉に対して私は口頭では返事をせず『元気なはずがないでしょ…』と心の中でそう呟きます。
大切な我が子との別れ。これ以上の悲しみや辛さなんてあるのかしら?と日々感じます。
今まで生きてきた人生、最高最大の苦しみです。
同じ経験をすれば、かけた言葉の配慮の無さ、心の無さに気が付くでしょう。
毎月通っている病院の看護士さん達も『もう大丈夫?』『元気そうだね』『良かった良かった』と、私と会うたび、この言葉を呪文のように繰り返します。
親戚や友人の中には『もっとこう…目の下にクマが出来たり頬がコケたりしてるものだと思っていた』『意外と元気でびっくりした』『心配して損した』とまで言う人がいます。
『もう大丈夫そうだね…あ、そうそう』と勝手に人の心を完結させ、自分の悩みの方が深刻だとばかりに、くだらない悩み事を話してくる人もいます。
勇気をだして『元気なはずないでしょ?』と言い返してみる。
そしたら『頑張って』とか『辛い過去は忘れて前を向きなさい』『世の中にはアナタ達以上の苦しみを背負った人達が沢山いるんだよ』といった説教じみた定型文が必ず返ってきます。
― 所詮は他人事 ―
心無い声掛けのひとつひとつに、苛立ち、腹立たしさ、悔しさ、惨めさ、孤独を感じます。
相手も何か話しかけないと気まずいのかも知れない。でも互いに苦しい言葉なら、無理に話しかける必要ってないと思います。
あえて話さない。この態度が逆にコチラ側も淡々とその時を過ごせて楽なのだと気が付いてくれたらと感じます。
大切な我が子とお別れをして人生最大の悲しみを経験しても、人はそう簡単には死ねないのです。
こうして生きている以上、お腹も空くし、眠たくもなる。
毎日まいにち一日中泣いて過ごしている訳ではなく、笑顔になる時もあるし、怒ることだってある。
逆に何かしていないと、言葉に出来ない辛い気持ちが溢れて、また泣き叫んでしまうから、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観たり…とにかく何かしようと一日中ジタバタと動きまわってみる。
夫も私と同じ悲しみを背負っているのに弱音を吐かずに、悲しみに暮れている私を精一杯支えてくれているから、私もまた立ち止まってばかりはいられないと、自分なりに夫を支えようと、いま私が出来る事で夫にエールを送っているのです。
だから『なんだ、元気そうだね』の一言で、何も知らない私達の今を勝手に完結させないで欲しいです。
『元気そう』の裏側では、日々普通の家族以上にたくさんの生きにくさを感じながら我が子との早すぎる別れと向き合い、生涯癒える事のない悲しみを抱えて、必死で今を生きていることを少しだけでも気付いて貰えたらと思います。
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ブログタイトル『エストレ・リータ』は、父が私に贈ってくれた詩のタイトルで小さな星という意味です。(本ブログの中でも父の詩を紹介しています→記事【父の唄】)父の愛がこもった素敵な言葉。小さな星になった最愛の娘を想いメインタイトルとしました。
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